システムが創り出す障害


何故学校でケーススタディ評価が必要なのか考えたことがあるでしょうか。学校でケーススタディ評価に必要な各種検査をすることによって知ろうとする内容は、子供の学習問題の原因になっている障害名を割り出すことではありません。普通、精神科医や臨床心理士などは、心理的な症状を判断するのにDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)という精神医学書や知能テストなどを元に障害名を割り出し、例えば「あなたのお子さんはADHDです。」などと診断、精神科医の場合は免許の範囲上、症状を抑える薬の処方もしたりするわけですが、これはアメリカの心理学が《この病気にはこの処方》というスタイルの医学を基に発達してきたことが大きく影響しているためだと言われています。学校におけるケーススタディ評価の必要性は、子供の現在の学習活動の状態を多角的に測り、個人の学習活動をいかに促すかという学校生活に沿った実践的な取り組みが焦点になります。というのも、医学モデルと違い、《この学習関連障害にはこのサポート》という単純な形式があてはまらないからです。学習がすすまない原因は、環境的、心理的、健康的…様々な面が絡み合いながら影響し、個人によってどのような面が特に強く影響し、脳の機能に障害を与えているのか、もしくは、反対に活発にしているのか、結果的に表れる子供の学習発達状態が千差万別なので、胃薬や風邪薬のように特定の障害にはこれという便利な対処法がないのです。しかし、残念ながら、実際のところ、学校環境でもいまだに医学モデルがシステムに根強く残っており、障害名を割り出すことが中心になってしまっている学区が多いのも事実です。私の知っている範囲では、個人学習サポートの必要な子供達全員が障害名など関係なく必要な特別支援教育サービスを受けられるのはアイオワ州だけです。他の州は特別支援教育サービスを受けるにあたって、IDEAという法律に基づき、specific learning disability、intellectual disability、 emotional disability、speech and/or language impairment、autism、vision impairment、hearing impairment、orthopedic impairment、other health impairment、deaf-blindness、multiple disabilities、traumatic brain injury、developmental delayだけを特別支援教育を受ける資格にしているため、子供に上のうちのひとつの障害名が与えられてしまうのが現状なのです。(特別支援教育関連用語集を参照下さい。)このため、基礎学習を怠ってきたために中学校ぐらいから学習問題が浮上してきた場合や言語や環境の変化の適応問題のある場合など、通常の授業にサポートなしでついていくのが困難な状態にある子供に対し、個人教育サポートを施すために、便宜上、学習障害や感情障害にしてしまうケースが多く、教育の法律、そして、システムが子供を“障害”にしてしまうことがあるわけです。中でも、学習障害と感情障害が最も誤診が多いと思われます。障害は一時的なものではなく、脳のなんらかの機能不全が原因なので、事故でもない限り幼少期から徴候が見られるはずです。IDEAの提唱する特別支援教育は、障害を把握した上でいかに適応させ、学習状況の発達を促すかが目的なので、障害自体は治ったりなくなったりしないものなのです。(特別支援教育の個人サポートを施すことにより、自分にあった学習方法を身につけ、適応力が向上して、周りからのサポートが最低限ですむようになり、脳の部分的機能不全が生活の支障にならなくなることはありますが、不活発だった脳の部分が活発に戻る、もしくは、活発過ぎた脳の部分的な働きが元の状態に戻るような一時的なケースとは異なります。)

学校で診断の微妙な学習障害や感情障害と判断された場合、学校以外の臨床心理士や精神科医の方が信頼性があるのかというと、子供の様子を毎日見ていない専門家の診断にも問題が多くあります。病気を判断するのと違い、脳にあきらかな傷害などが見られる場合は別として、学習問題は原因が目に見えるわけではありませんから、数回の面接や月に1回ほどの面接ぐらいでは、子供の本当の状況が把握できず、面接時の子供の心理状態だけで判断される可能性もあります。検査なども、例えば、人見知りが激しかったり、緊張感の高い子供の場合、慣れない場所で見知らぬ専門家を前にしてテストされるわけですから、本来の子供の能力を測ることが難しいでしょう。実際、まだ発達中の3歳の子供に病院で学習障害という診断が下されたにも関わらず、後に障害が消滅してしまうようなケースもありました。子供のことを知ってもらうには、子供の行動範囲で子供のいつもの振る舞いを観察できる立場にいる専門家の得る情報の方が信頼性が高くあるべきであり、長期間の観察などからの情報を元に子供に必要なサポートが施されるべきなのです。学校での授業の様子や休憩時間の友達とのやりとりの様子も知らない外部の専門家に障害を診断してもらったところで、適切で具体的な、子供の生活の大部分を占める学校における学習環境改善策に必ずしもつながるわけではありません。

自分の子供の障害名を知るということは、親にとってはずっと疑問に感じていた子供の発達を理解することが出来たり、同様の障害を持つ子供を育てている家族と知り合って精神的なサポートやアドバイスを得ることが出来るという面でプラスになります。そのためか、学校以上に親の方が子供に障害名をつけたがったり、障害名に執着するケースも少なくありません。障害からくる生活への支障が重度の場合は、誤診も少ないでしょうから、特別支援教育の個人サポートサービスを受ける手続きが比較的スムーズだと思うのですが、支障が軽度の場合、親が障害名にとらわれて、重度と勘違いし、必要以上に子供を特別支援教育環境にかくまろうとし、親が子供の学習向上を妨げているような場合もあります。障害名により、自分の子供はこういうことは無理だろうと早々と結論を出し、子供にチャレンジさせないわけです。しかし、先天的な障害を持つ人の環境適応力と大人になってから事故で障害を持つようになった人の大変さを比べてもわかるように、子供の脳というのは傷害のない部分は柔軟性に富んでいるので、少しずつチャレンジさせることにより、他の脳の部分が代わりの役目を果たし、新しいスキルを習得することもできるのです。ですから、障害名にとらわれて子供に過保護になると、子供に必要な社会経験や学習経験を十分与えず、必要以上に子供の障害を大きくしてしまう可能性もあることを理解する必要があります。

結局、障害名を必要としているのは子供の周りの大人達、大人のつくったシステムなのではないかと思います。本来は集団に教えなければならない授業にサポートなしでついていくのが難しい子供の学習スタイルを把握し、それがその子の個性だという見方の方が障害名の与える一般的な特徴よりもよっぽど正確ですし、サポートもその個性によって的確に施されるという姿勢が、心身の成長を考えた上でも子供にとって最も望まれるべき形だと思います。幸い近年の教育法の変更で、公立学校では通常の学級の授業内で段階別介入方法が取り入れられるようになり、特別支援の資格が認定される前に何らかのサポートが受け始められるようになりました。しかし、継続的なサポートが得られるように特別支援教育に登録する際にはやはり便宜上障害名が与えられてしまいますので、特別支援教育サービスを受けている子供を持つ家庭は、サービスのシステムの中でどこが最も重要な部分(=サービスの内容と質)であり、どういった部分(=障害名)を加減しながら受け入れるべきなのか、着眼点をしっかり持つことが子供の将来のためにも最善なサポートであると思います。

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05/21 updated