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2004-4-13Asahi








2003・11・20 ゲンダイ
イラクを調査した慶応大学藤田助教授
「サマワで活動する自衛隊はかなりの確率で被爆すると思う。」




すべての軍隊は「物取りに利用された人殺し集団」に過ぎない。
そのような世界を肯い、そのような世界に棲むおとこたちと交わることは出来ない、、

あらゆる国の女性たちが、いま、全ての軍関係者から遠ざかりめた。「G・フィッツ」


湾岸戦争に従軍した保健物理学博士ベテラン陸軍少佐Doug Rokkeの証言
米誌『YES!』(2003年春号)より 
「これは私たち自身に対する戦争だ」
(The War Against Ourselves)

劣化ウランと世界の終わり
精液中にウランが出て、遺伝メカニズムがめちゃくちゃになっている。

兵士たちは消耗品にすぎない。

湾岸戦争に従軍したベテラン陸軍少佐ダグ・ロッキー氏は、イラク国内の戦闘で米軍兵士の安全確保のための任務についた。そこで知った米兵とイラク一般市民双方への劣化ウランなどによる戦争被害の実態は、彼に「もう戦争ができる時代は終わった」と確信させるものだった。



『Yes』
spring 2003

精液中にウランが出ているというのは、遺伝メカニズムがめちゃくちゃになっているということです。その条件で受胎された子どもは、アルファ放射線によって凄まじい細胞損傷や遺伝子損傷を受け、何もかもおかしくなります。


インタビューはTraprock Peace CenterのSunny Miller氏
訳: 星川 淳氏

Q: 湾岸戦争をテレビで見た人たちは、遠隔操作の楽勝で、米兵の被害もわあい少ない印象を受けました。実態はどうだったんですか?

ロッキー: 湾岸戦争が終わって1991年の秋にアメリカへ帰還したとき、米兵の死傷者合計は760名でした。死者294名、負傷と病気が400名あまりです。ところが現在、湾岸戦争復員兵の死傷率は約30%に達しています。2002年9月の復員軍人援護局(Veterans Affairs=VA)報告によれば、実戦後も含めて現地入りした将兵のうち22万1000人が障害補償を受けました。米軍戦死者の多くは、ウラン弾による味方の誤射・誤爆が直接原因で死んでいます。米軍が米軍を死傷させたわけです。

 われわれは、ウラン粉塵の風下にいた者、ウラン汚染現場とその周辺で作業した者、ウラン弾を被弾した車両や建物の中に立ち入った者のすべてに対し、医学治療を行なうよう提言しました。米軍だけでも何千・何万もの兵士が該当しますが、治療は米軍にとどまらずイラク兵にも、またその被害を受けたイラクの女性
や子どもたちにも施されるべきですし、イラク国内の汚染除去も行なわなければなりません。

 さらに、被害はイラクの子どもたちにとどまらず、帰還した米兵から生まれた子どもたちにもおよんでいます。米軍は、復員兵の精液中からウランが検出されることを認めました。精液中にウランが出ているというのは、遺伝メカニズムがめちゃくちゃになっているということです。その条件で受胎された子どもは、アルファ放射線によって凄まじい細胞損傷や遺伝子損傷を受け、何もかもおかしくなります。湾岸戦争に従軍した男性兵士から奇形児が生まれる確率は通常の2倍、女性兵士では3倍に上るという研究結果が出ています。

Q: あなたは35年間も軍務についてこられました。ベトナム戦争では爆撃手を務め、いまでも陸軍予備役に登録しているとのこと。それでも現在、全国をまわりながら劣化ウラン(depleted uranium=DU)の危険について警鐘を鳴らしています。劣化ウランの問題をおおやけにしなければいけないと決意した理由は何ですか?

ロッキー: 湾岸戦争で私のチームにいた全員が病気になりました。親友のジョン・シットンが瀕死の症状に陥ったのに、軍は医療責任を拒否し、ジョンを死なせました。彼は湾岸戦争全体の医療避難通信システムを構築した功労者ですよ。その任務で被曝したのです。

 ジョンとローラ・ドルフと私は、民間人としても軍人としても無二の親友でした。ローラも病気にかかりました。彼を戦地に送る命令は私が受けたのです。私たちは二人そろって配属されました。私の任務は兵士たちに核・生物・化学戦争について教え、無事に復員させることでした。私はその任務に心血を注ぎました。湾岸戦争で私に与えられた軍命は単純明快、「兵士を生きて国へ連れ戻せ」でした。しかし、私がそれに必要な訓練内容をまとめ、環境浄化マニュアルを書き上げ、医療指示をすべて整えたにもかかわらず、何ひとつ実行されなかったのです。

 友軍の誤射・誤爆によって100人以上の米兵が劣化ウランに被曝しました。そのうえ、劣化ウラン弾を被弾した敵の戦車に入ったり、写真を撮ったり、土産の戦利品を集めたりして被曝した兵士は数えきれません。危険について知らされていなかったのです。

 劣化ウランはきわめて有効な兵器です。10ポンドの対戦車砲弾は大部分がウラン238で、微量のプルトニウム、ネプツニウム、アメリシウムが含まれています。自然発火性があって着弾すると高熱を発し、比重が重たいので戦車の装甲を貫通することができます。ウラン弾を被弾した車両や建物は内部が火事場と化すため、凄まじい火傷や裂傷が見られました。それは無惨なものです。

 米軍がイラクの生物・化学・核兵器の備蓄を爆破することにしたせいで、米兵やその地域に住むすべての人びとが被害を受けました。いたるところで、化学物質探知機やガイガーカウンターの針が振り切れていました。なかには生物兵器もありましたし、破壊された原子炉もありました。イラク全土が毒物の荒野だったのです。そして、この修羅場に劣化ウランが加わっていました。

 私たちが最初に劣化ウランの除染命令を受け、サウジアラビア北部に到着すると、72時間以内に病状が現われはじめました。呼吸器系障害、発疹、出血、皮膚潰瘍などが、ほとんど到着と同時に発症したのです。環境中に大量の放射性粒子が存在し、それを吸入しはじめると、粒子は咽頭の裏側に付着します。一人目のガン患者が出ると、あとはまたたくまに広がりました。当時、一緒に仕事をした父子がいますが、父親はすでに肺ガンで亡くなり、病身の息子にはまだ医療補償が認められていません。

Q: 何が起こっているのかご存知でしたか?

ロッキー: 湾岸戦争がはじまったとき、劣化ウランのことなど何も知らされていませんでした。兵士は上官の命令に従うものですが、上からは劣化ウランに健康上の悪影響はないと聞いていたのです。けれども、この物質について調べはじめ、物理学や工学の知識と照らし合わせてみると(私の専攻は環境科学と工学でしたから)、それらの知見や実際の見聞と軍の公式見解との矛盾にすぐ気づきました

 1991年6月にアメリカ本国へ帰還したとき、私は病気でした。呼吸器系疾患や発疹や神経障害が現われはじめていたのです。

Q: なぜ復員軍人援護局に医療補償を求めなかったのですか?

ロッキー: まだ現役兵士の身分だったので、医療補償の申請はできないと言われたからです。復員軍人援護局に申請するには、軍務と病状とのつながりを示す情報がなければなりません。復員軍人援護局の補償がとうてい見込めなかったので、私はかかりつけの個人医に相談しました。当時は原因がわかりませんでしたが、とにかくあまりにも多くの復員兵が病にかかっていたのです。

 軍は私や私のチームに対して医学テストを行ないませんでした。1992年に出された国防総省のガイドラインによれば、尿中のウラン排出量が一日あたり15マイクログラムを超えたら、すぐに医学テストを受けることになっていますし、一日あたりの尿中ウラン排出量合計が250マイクログラムを超えたら、継続的な医療を受けなければならないとされています。

 1994年11月、私が国防総省の劣化ウランプロジェクト主任担当官だったとき、ようやく私の放射生物学的測定が行なわれました。一日あたりのウラン排出量は約1500マイクログラムでした。継続的な医学治療を受けるべきレベルの5倍から6倍です。しかし、そのことは二年半ものあいだ私に知らされませんでした。

Q: 劣化ウランに被曝すると、どんな症状が現われるのですか?

ロッキー: 線維筋痛(せんいきんつう)です。放射線による白内障も起こります。ウランが車両や建物に着弾すると、酸化ウランの塵とウランの破片があたり一面に飛び散ります。人間はこれを吸い込んだり、傷口から取り込んだりします。体内に入ると、この一部が水溶性となり、血液を通じて全身に広がります。不溶性の微粒子は、たとえば肺などにとどまります。放射線とそれら微粒子が肺を破壊するのです。

Q: いま、第二次湾岸戦争がはじまりそうな場所へ送り込まれている部隊は、どんな訓練を受けたのですか?

ロッキー: 私は劣化ウランプロジェクトの主任担当官として40時間で完結する訓練計画を作成しました。ところが、そのプログラムは丸々お蔵入りになっています。軍は私が書いたものを20分のプログラムに焼き直しましたが、ウソばかりです。ウラン弾の実態をとらえたものではありません。

 装備にも欠陥があります。会計検査院(GAO)の検査で、ガスマスクも化学防護服も漏ることがわかりました。信じられないことに、国防総省の役人が最近、そういう欠陥はガムテープで補修できると言いました。

Q: もし隣近所の人たちが不十分な訓練と装備で戦場に送られ、しかも劣化ウランなどの毒物兵器で戦うとしたら、それに対して異議申し立てをできるのはだれでしょうか?

ロッキー: 兵士の夫や妻、息子や娘、祖父母、叔父や叔母のだれでも、自分の選挙区の国会議員に電話をかけ、いま私が引用したような政府の公式報告を挙げて、軍が兵士たちに必要十分な装備と訓練を与えることを求めるべきです。もしわれわれが、湾岸戦争後に起こったように米軍の復員兵士を正しく処遇しないのなら、そんな戦争はすべきではない。それは神への冒涜です。戦争でウラン弾を使うのは人類に対する犯罪ですし、戦争の結果を無視することも許されざる罪悪です。

 この結果は永遠に続きます。ウラン238の半減期は45億年です。それを、湾岸戦争でわれわれは320トンもイラクに残してきたのです。米軍はコソボ攻撃の訓練中、プエルトリコのビエケス島にもウラン弾を落としました。アメリカ領に住むアメリカ市民に対してそれをやったのです。私が国防総省のチームを動かして、ビエケスの放射能に関する安全対策と劣化ウランの除染を行なおうとしたら、それを差し止められました。現地で医療対策を取ろうとしたら、それも止められました。

 アメリカ陸軍は、私をこの分野の専門担当官に任命したのですよ。私は軍人ですから、米軍がウラン弾を使用できるよう、全力でその任務を遂行するつもりでした。しかし、劣化ウランプロジェクトの主任として、自分や他のあらゆる復員兵の病状を見ながら研究を進めたすえ、私が達した結論は、ウラン弾は地球全体で永久に禁止すべきだということです。そして、あらゆる被害者に医療の手が差し伸べられるべきです。アメリカやカナダ、イギリス、ドイツ、フランスといった多国籍軍の復員兵士だけではありません。ビエケス島のアメリカ市民にも、イラクや沖縄の住民にも、スコットランド、インディアナ、メリーランド、さらにはアフガニスタンやコソボの人びとにもです。

Q: もしあなたの情報が広まったら、いまイラク戦争に向けて配属された兵士たちの家族から、兵役拒否の嘆願が出てくる可能性はあると思いますか?

ロッキー: もし毒物の荒野に送り込まれ、穴のあいたガスマスクや化学防護服をつけなければならず、しかもそれらの毒物にさらされたあと何も医療補償を受けられないことがわかっていたら、あなたはそんな戦争に行きますか? 政府が戦争をしかけたくても、兵隊が一人もついていかなかったらどうでしょう。どこかで平和をはじめなければいけないんですよ。

Q: 35年も軍にいた人が、平和への着手について語るなんて驚きですね。

ロッキー: こういう話をするとき、とくに教会だと、「そして幼な子がわれらすべてを平和へと導いた」という聖書の一節を思い出します。しかし、もし環境を汚染したら、どこから子どもが生まれますか? 子どもたちが消えてしまうでしょう。もう戦争ができない時代になったのです。その理由は、のちのち兵士や環境に与える影響が手に余るからですが、一番重要なのは非戦闘員への影響です。使用する兵器のせいで、戦争による汚染や健康被害を除去できなくなったら、敵味方双方の戦闘員にも民間人にも医学治療が与えられなくなったら、残された道は平和しかないのです。



The War Against Ourselves

An Interview with Major Doug Rokke

Doug Rokke has a PhD in health physics and was originally trained as a forensic scientist. When the Gulf War started, he was assigned to prepare soldiers to respond to nuclear, biological, and chemical warfare, and sent to the Gulf. What he experienced has made him a passionate voice for peace, traveling the country to speak out. The following interview was conducted by the director of the Traprock Peace Center, Sunny Miller, supplemented with questions from YES! editors.


photo by Charlie Jenks
QUESTION: Any viewer who saw the war on television had the impression this was an easy war, fought from a distance and soldiers coming back relatively unharmed. Is this an accurate picture?

ROKKE: At the completion of the Gulf War, when we came back to the United States in the fall of 1991, we had a total casualty count of 760: 294 dead, a little over 400 wounded or ill. But the casualty rate now for Gulf War veterans is approximately 30 percent. Of those stationed in the theater, including after the conflict, 221,000 have been awarded disability, according to a Veterans Affairs (VA) report issued September 10, 2002.

Many of the US casualties died as a direct result of uranium munitions friendly fire. US forces killed and wounded US forces.

We recommended care for anybody downwind of any uranium dust, anybody working in and around uranium contamination, and anyone within a vehicle, structure, or building that’s struck with uranium munitions. That’s thousands upon thousands of individuals, but not only US troops. You should provide medical care not only for the enemy soldiers but for the Iraqi women and children affected, and clean up all of the contamination in Iraq.

And it’s not just children in Iraq. It’s children born to soldiers after they came back home. The military admitted that they were finding uranium excreted in the semen of the soldiers. If you’ve got uranium in the semen, the genetics are messed up. So when the children were conceived?the alpha particles cause such tremendous cell damage and genetics damage that everything goes bad. Studies have found that male soldiers who served in the Gulf War were almost twice as likely to have a child with a birth defect and female soldiers almost three times as likely.

Q: You have been a military man for over 35 years. You served in Vietnam as a bombardier and you are still in the US Army Reserves. Now you’re going around the country speaking about the dangers of depleted uranium (DU). What made you decide you had to speak publicly about DU?

ROKKE: Everybody on my team was getting sick. My best friend John Sitton was dying. The military refused him medical care, and he died. John set up the medical evacuation communication system for the entire theater. Then he got contaminated doing the work.

John and Rolla Dolph and I were best friends in the civilian world, the military world, forever. Rolla got sick. I personally got the order that sent him to war. We were both activated together. I was given the assignment to teach nuclear, biological, and chemical warfare and make sure soldiers came back alive and safe. I take it seriously. I was sent to the Gulf with this instruction: Bring ‘em back alive. Clear as could be. But when I got all the training together, all the environmental cleanup procedures together, all the medical directives, nothing happened.

More than 100 American soldiers were exposed to DU in friendly fire accidents, plus untold numbers of soldiers who climbed on and entered tanks that had been hit with DU, taking photos and gathering souvenirs to take home. They didn’t know about the hazards.

DU is an extremely effective weapon. Each tank round is 10 pounds of solid uranium-238 contaminated with plutonium, neptunium, americium. It is pyrophoric, generating intense heat on impact, penetrating a tank because of the heavy weight of its metal. When uranium munitions hit, it’s like a firestorm inside any vehicle or structure, and so we saw tremendous burns, tremendous injuries. It was devastating.

The US military decided to blow up Saddam’s chemical, biological, and radiological stockpiles in place, which released the contamination back on the US troops and on everybody in the whole region. The chemical agent detectors and radiological monitors were going off all over the place. We had all of the various nerve agents. We think there were biological agents, and there were destroyed nuclear reactor facilities. It was a toxic wasteland. And we had DU added to this whole mess.

When we first got assigned to clean up the DU and arrived in northern Saudi Arabia, we started getting sick within 72 hours. Respiratory problems, rashes, bleeding, open sores started almost immediately.

When you have a mass dose of radioactive particulates and you start breathing that in, the deposit sits in the back of the pharynx, where the cancer started initially on the first guy. It doesn’t take a lot of time. I had a father and son working with me. The father is already dead from lung cancer, and the sick son is still denied medical care.

Q: Did you suspect what was happening?

ROKKE: We didn’t know anything about DU when the Gulf War started. As a warrior, you’re listening to your leaders, and they’re saying there are no health effects from the DU. But, as we started to study this, to go back to what we learned in physics and our engineering?I was a professor of environmental science and engineering?you learn rapidly that what they’re telling you doesn’t agree with what you know and observe.

In June of 1991, when I got back to the States, I was sick. Respiratory problems and the rashes and neurological things were starting to show up.

Q: Why didn’t you go to the VA with a medical complaint?

ROKKE: Because I was still in the Army, and I was told I couldn’t file. You have to have the information that connects your exposure to your service before you go to the VA. The VA obviously wasn’t going to take care of me, so I went to my private physician. We had no idea what it was, but so many good people were coming back sick.

They didn’t do tests on me or my team members. According to the Department of Defense’s own guidelines put out in 1992, any excretion level in the urine above 15 micrograms of uranium per day should result in immediate medical testing, and when you get up to 250 micrograms of total uranium excreted per day, you’re supposed to be under continuous medical care.

Finally the US Department of Energy performed a radiobioassay on me in November 1994, while I was director of the Depleted Uranium Project for the Department of Defense. My excretion rate was approximately 1500 micrograms per day. My level was 5 to 6 times beyond the level that requires continuous medical care.

But they didn’t tell me for two and a half years.

Q: What are the symptoms of exposure to DU?

ROKKE: Fibromyalgia. Eye cataracts from the radiation. When uranium impacts any type of vehicle or structure, uranium oxide dust and pieces of uranium explode all over the place. This can be breathed in or go into a wound. Once it gets in the body, a portion of this stuff is soluble, which means it goes into the blood stream and all of your organs. The insoluble fraction stays?in the lungs, for example. The radiation damage and the particulates destroy the lungs.

Q: What kind of training have the troops had, who are getting called up right now?the ones being shipped to the vicinity of what may be the next Gulf War?

ROKKE: As the director of the Depleted Uranium Project, I developed a 40-hour block of training. All that curriculum has been shelved. They turned what I wrote into a 20-minute program that’s full of distortions. It doesn’t deal with the reality of uranium munitions.

The equipment is defective. The General Accounting Office verified that the gas masks leak, the chemical protective suits leak. Unbelievably, Defense Department officials recently said the defects can be fixed with duct tape.

Q: If my neighbors are being sent off to combat with equipment and training that is inadequate, and into battle with a toxic weapon, DU, who can speak up?

ROKKE: Every husband and wife, son and daughter, grandparent, aunt and uncle, needs to call their congressmen and cite these official government reports and force the military to ensure that our troops have adequate equipment and adequate training. If we don’t take care of our American veterans after a war, as happened with the Gulf War, and now we’re about ready to send them into a war again?we can’t do it. We can’t do it. It’s a crime against God. It’s a crime against humanity to use uranium munitions in a war, and it’s devastating to ignore the consequences of war.

These consequences last for eternity. The half life of uranium 238 is 4.5 billion years. And we left over 320 tons all over the place in Iraq.

We also bombarded Vieques, Puerto Rico, with DU in preparation for the war in Kosovo. That’s affecting American citizens on American territory. When I tried to activate our team from the Department of Defense responsible for radiological safety and DU cleanup in Vieques, I was told no. When I tried to activate medical care, I was told no.

The US Army made me their expert. I went into the project with the total intent to ensure they could use uranium munitions in war, because I’m a warrior. What I saw as director of the project, doing the research and working with my own medical conditions and everybody else’s, led me to one conclusion: uranium munitions must be banned from the planet, for eternity, and medical care must be provided for everyone, not just the US or the Canadians or the British or the Germans or the French but for the American citizens of Vieques, for the residents of Iraq, of Okinawa, of Scotland, of Indiana, of Maryland, and now Afghanistan and Kosovo.

Q: If your information got out widely, do you think there’s a possibility that the families of those soldiers would beg them to refuse?

ROKKE: If you’re going to be sent into a toxic wasteland, and you know you’re going to wear gas masks and chemical protective suits that leak, and you’re not going to get any medical care after you’re exposed to all of these things, would you go? Suppose they gave a war and nobody came. You’ve got to start peace sometime.

Q: It does sound remarkable for someone who has been in the military for 35 years to be talking about when peace should begin.

ROKKE: When I do these talks, especially in churches, I’m reminded that these religions say, “And a child will lead us to peace.” But if we contaminate the environment, where will the child come from? The children won’t be there. War has become obsolete, because we can’t deal with the consequences on our warriors or the environment, but more important, on the noncombatants. When you reach a point in war when the contamination and the health effects of war can’t be cleaned up because of the weapons you use, and medical care can’t be given to the soldiers who participated in the war on either side or to the civilians affected, then it’s time for peace.




日本の若者をアメリカ軍による攻撃直後のイラクに送り込むという
2003-3-9の読売の記事が
日本の女性達に怒りの波紋を広げている。

「精液中にウランが出て、遺伝メカニズムがめちゃくちゃになって
アルファ放射線によって
凄まじい細胞損傷や遺伝子損傷を受け、
何もかもおかしくなるという戦場」に
石油利権と有事利権目当ての自民党政権が
平然と若者を送り込むと言う恐るべき作戦に
若い女性達が怒りに震えている。


2003・11・20
イラクを調査した慶応大学藤田助教授
「サマワで活動する自衛隊はかなりの確率で被爆すると思う。」



湾岸帰還兵251世帯中67%に奇形。
もし朝鮮半島でこの爆弾が使われたら日本の子供たちも未来は無い。


3・22現代より
・拡大可



初めから難民が出ないよう

アメリカの攻撃阻止に政権・国を挙げ反対すべきなのに
石油や兵器利権のために
若い隊員の将来をずたずたにする有事法利権小泉自自公政権。

しかし
自分の遺伝子が破壊される、それだけではない

中東に派遣された日本の隊員は
イラクの子供の頭を吹き飛ばした米英侵略軍という
人殺しの共犯者になってしまった。
愛国商売人におだてられようが、本人がどう思っていようが
生活のためであろうが
アラブの民衆からみれば憎むべき殺戮の共犯者である。



2001年01月20日

国連 劣化ウラン弾の毒性を実証
国連環境計画(UNEP)は17日、コソボ地区で北大西洋条約機構(NATO)が使用した劣化ウラン弾の破片からウラン236を確認、これは劣化ウラン弾にある劣化ウランが「処理された劣化ウランであることを証明している」と指摘した。
科学者らによると、劣化ウラン弾は着弾すると、弾頭の含まれているウランとプルトニウムが気化して微粒子となり大気中に放出され、呼吸を通じて肺に取り込まれる。プルトニウムの放射性はウランの20万倍あり、毒性も100万倍あると言われ、例え微量であっても健康に影響を与え、肺がんや骨がんなどの発病率が高まる



2000年7月、中国新聞の特集から。
、、、、
若くしてさまざまな疾病に苦しむ米・英両国やイラクの湾岸戦争退役兵。白血病などに侵され希望のない闘病の日々をすごすイラク南部の子どもたち。がんなどの病気の増加に不安を抱く劣化ウラン弾の製造現場や試射場周辺の住民…。 
九年後になっても尿から検出される劣化ウラン…。その影響は、性交渉を通じて妻に、そして流産や先天性異常という形で新しい生命にまで及んでいる。危険性さえ知らせておれば、家族に累を及ぼすことだけは防ぎ得たはずだ。その他十分なテストもなしに兵士たちが取らされた抗化学兵器剤の臭化ピリドスチグミン(PB)などがある。湾岸戦争では、米・英の多国籍軍兵士のほかにもカナダ、フランス、旧チェコスロバキアなどの退役軍人の間にも健康被害が広がっている。
 「加兵2000人に障害」
 カナダ人で昨年四月、四十五歳で夫のテリーさんを亡くした妻のスーザン・ライアドンさん(45)=ノバスコシア州ヤーマス市=は「湾岸戦争参加のカナダ兵約四千五百人のうち、二千人以上が健康障害にかかっている」と、電話で訴えた。
 帰還直後から体に異変を覚え、最後は全身の痛みに襲われたテリーさん。尿から大量の劣化ウランが検出されていた彼は「自分の死が劣化ウランによるものとの証明になるなら」と、遺書であらゆる臓器や骨などの組織検査を、米国の独立の研究機関に依頼した。
 「肺や甲状腺(せん)、骨などから研究者も驚くほど検出されたわ」と言うスーザンさんは、夫の死が劣化ウランによってもたらされたと確信する。
 医療現場でのエックス線照射など低レベル放射線の人体への疫学的調査を長年続けるカナダ・トロント市の「公衆衛生に関する国際研究所」所長ロザリー・バーテルさん(71)は「湾岸戦争から九年がたち、今後がんの増加など退役兵らの疾病は一層深刻になるだろう」と厳しい見方をしている。


湾岸戦争では、戦車や戦闘機から米・英両軍合わせて約九十五万個(劣化ウラン約三百二十トン分)の砲弾が広範囲に使われた。その 結果、地上戦に加わった米軍兵士だけでも、四十三万六千人が放射能汚染地帯に入り、劣化ウラン粒子の吸入などで被曝したとされ る。


 昨年七月までに、湾岸戦争に参加した退役米軍人五十七万九千人のうち、二十五万一千人(約四三%)が退役軍人省に治療を求め、 十八万二千人(約三一%)が病気や傷害に伴う「疾病・障害」補償を請求した。病名は白血病、肺がん、腎臓(じんぞう)や肝臓の慢 性疾患、気管支障害、慢性的けん怠感、皮膚斑点(はんてん)、関節痛などである。

 これまでに少なくとも九千六百人以上が亡くなり、湾岸戦争後に生まれた彼らの子どもたちの間には、先天性障害を抱えた子も多 い。また、同じ症状は湾岸戦争参加の英国兵にも表れている。

 イラクでは、前線で辛うじて生き延びた兵士ばかりでなく、市民、とりわけ子どもたちの間に白血病やリンパ性がんなどさまざま ながんが増加。先天性異常を持つ新生児の誕生も目立つ。国連決議に基づく米国、日本などの対イラク経済制裁による医薬品不足や医 療設備の不備などが、いっそう事態を悪化させている。
米国防総省や英国防省は、劣化ウラン弾による人体や環境への影響を認めておらず、米軍は昨年のコソボ紛争で再び空爆に使用。北 大西洋条約機構(NATO)軍は今年二月七日付のアナン国連事務総長あての書簡で、約三万一千発の劣化ウラン弾の使用を公式に認 めた。
 このほか米国では、劣化ウラン弾の製造工場作業員や周辺住民、試射実験場周辺住民らにも大きな影響が出ている。しかし、被曝の 全体像は今もつかめていない。



ドキュメンタリー・ビデオ『劣化ウランの恐怖−湾岸戦争でアメリカは何をしたか−』より。
一九九一年の湾岸戦争
アメリカは初めて、劣化ウラン弾を使用した。イラク軍戦車への有効な武器として、多数の戦車を破壊し、イラク軍兵士を殺戮した。最前線の野戦病院に勤務した女性兵士キャロル・ピコーは帰国後、脳障害と甲状腺異常に襲われる。生まれた子どもには、甲状腺がなかった。ピコーの部隊百五十人のうち、四十人が病気に苦しみ、六人が自殺・心筋梗塞・癌などで命を失った。兵士の子どもたちも先天性の欠損症をもって生まれている。兵士に何があったのか、なぜ病気になったのかとピコーは調査を開始。しかし、ペンタゴン(米国防総省)は、検査・面会・質問への回答のすべてを拒否した。アメリカ政府は事実が知られるのを恐れ、すべてを隠蔽する態度に出たのだ。湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾は戦車から四千発、空から百万発にも及び、放射線を出すその破片や微粒子がイラク全土を汚染した。その結果、イラクでは現在でも、子どもたちの間に奇形児・先天性欠損症児・白血病・癌が多発している。ある村では、過去四年間で二十人もの奇形児・先天性欠損症児が生まれている。父親たちは兵士として戦場にいたのである。 オーストラリアの医者で反核活動家のヘレン・カルディコットは「湾岸戦争は核戦争だった。湾岸大虐殺と呼んでいる」と指摘する。
 「ペンタゴンが恐れているものが一つだけある。それは、民衆が情報を持ち、怒りを結集することだ」(セーラ・フランダース国際行動センター副事務局長)


ヘレン・カルディコット
劣化ウラン弾は核兵器だ

02/10/06、ボルチモア・サン紙より。
ブッシュ政権がイラク民衆に対する戦争(攻撃を受けるのはフセインではなく、国民なのだから)を準備しているいま、湾岸戦争の医学的結果を思い起こすことが重要である。あれは、実は核戦争だったのだから。
 湾岸戦争終結時、米国は、イラク、クウェート、サウディアラビアの戦場にを併せて 300〜800トンの劣化ウラン(ウラン238)を、対戦車爆弾その他の爆弾として残した。核分裂性のウラン235を抽出した残りが劣化ウラン、ウラン238で、鉛の1.7倍の密度があり、対戦車爆弾をこれで作ると、大変な貫通力をもつ。

ウラン238は、自然発火しやすい。高速でタンクにぶつかると、燃える。このとき直径5ミクロンにみたない微粒子を噴霧状に発生させる。これが容易に肺に吸い込まれる

第二にそれは、強力な放射性をもつ発ガン物質だ(アルファ線を放つ)。肺からも吸い込まれるし、傷にも浸透するし、食物連鎖とともに濃縮されて水を汚染しもする。肺、骨、血液、腎臓などに癌を起こす。

第三に、半減期が45億年である。それだけの間、イラクやクウェートは放射能を帯びるのである。子どもは成人より10〜20倍も放射線の影響を受けやすい。バスラにいる私の知人の小児科医によれば、子どもの白血病や癌が6〜12倍増えたという。劣化ウラン弾が使われた地域では、先天性奇形が倍に増えた。目が一つしかない赤ん坊、無頭症の赤ん坊が生まれているのである。

しかし、劣化ウランの医学的影響を被るのはイラクだけではない。ある医療研究者によれば、米国の復員兵のなかには、その後10年たつのに、尿中にウラニウムを排泄する人がいる。精液に混じっているという報告もある。「砂漠の嵐」作戦で使われた戦車のほぼ1/3が劣化ウランを使用しているので、それに乗っていた兵士は全身にガンマ線を浴びているが、その影響については、まだ調査中である。

米国の当局は、こんなことに驚かない。砂漠の嵐作戦の前から、軍はこのことを知っていたのだ。では、ブッシュやチェイニー、ウォルフォウィッツ、コンドリーサ・ライス、ラムズフェルドは、1991年の戦争の医学的結果と、今度の戦争の引き起こす事態を理解しているのだろうか。理解していなければ、その無知も驚くべきことだが、知っていても気にかけないというほうが、よほど信じがたいとはいえ、いっそうありそうなことである。

ヘレン・カルディコット 核政策研究所創立者・所長。核が健康に及ぼす影響について、大衆啓蒙のための国際キャンペーンに従事。近著『新たな核の危険 ジョージ・ W・ブッシュの軍産複合体』



2004-2-15東京
劇作家・渡辺えり子


2003/03/17共同などの記事より。
開戦間近…精子バンクに若い兵士が殺到
生物・化学兵器で生殖機能損失恐れ
 【ロサンゼルス16日】イラクの生物・化学兵器の使用で生殖機能が失われることを恐れた米兵らに精子銀行が大人気だ。「将来の子づくり」を願う妻や恋人の強い勧めで、中東への派遣が決まった若い兵士が精子の保存を求め、全米の銀行窓口に殺到している。
 ロサンゼルスに本社のある全米最大の精子銀行「カリフォルニア・クライオバンク(CCB)」は中東派遣兵士向けに1月から、精子保存の無料サービスを開始。通常280ドル(約3万3000円)の保存料を1年間に限って無料にしたところ、応募が相次ぎ50人以上の兵士と契約を結んだ。
1991年の湾岸戦争に従軍した元米兵が原因不明の体調不良に悩む「湾岸戦争症候群」の存在も、精子保存の動きに拍車を掛けているとCCBはみる。

罪も無いイラクの子供殺しにされた挙句、精子銀行、余りにも惨めな若者たちに声も出ない。兵士たちは消耗品にすぎない。ブッシュ政権の閣僚は殆ど兵役逃れの経歴が問題視されているのである。自自公政府は自衛隊の若者とその家族にどういう責任を取るのか?


2003年03月27日 朝日、毎日など。
米中東軍のブルックス作戦副部長は3月26日、記者会見し、米英軍がイラク軍攻撃で劣化ウラン弾を使用していることを認めた。貫通力が強い劣化ウラン弾は、91年の湾岸戦争、99年のユーゴスラビア空爆でも使用され、イラク保健省などは白血病などのがん多発との因果関係を指摘している。

 同作戦副部長は「我々の武器・弾薬の中で劣化ウランを使っているものは極めて少ない」と明言した。使った日時や場所には言及しなかった。がんなどの健康被害を懸念する質問には「過剰な言い方だ。安全だとわかっている」と答えた。 劣化ウラン弾がイラクの民間人の人体に与える悪影響については「これまでの研究によれば人体に害を及ぼす可能性があるのは攻撃対象の極めて近くにいる場合だけだ」と述べた。



世界がイラクの子供たちを殺し続けている

イラク:裏切られた人々
ジョン・ピルジャー
A People Betrayed
by John Pilger
インデペンデントより。
February 23, 2003
Dr Al-Ali is a cancer specialist at Basra's hospital and a member of Britain's Royal College of Physicians. He has a neat moustache and a kindly, furrowed face. His starched white coat, like the collar of his shirt, is frayed.

Before the Gulf War, we had only three or four deaths in a month from cancer, he said. Now it's 30 to 35 patients dying every month, and that's just in my department. That is a 12-fold increase in cancer mortality. Our studies indicate that 40 to 48 per cent of the population in this area will get cancer: in five years' time to begin with, then long afterwards. That's almost half the population.

Most of my own family now have cancer, and we have no history of the disease. We don't know the precise source of the contamination, because we are not allowed to get the equipment to conduct a proper survey, or even test the excess level of radiation in our bodies. We strongly suspect depleted uranium, which was used by the Americans and British in the Gulf War right across the southern battlefields. Whatever the cause, it is like Chernobyl here; the genetic effects are new to us.

The mushrooms grow huge, and the fish in what was once a beautiful river are inedible. Even the grapes in my garden have mutated and can't be eaten.

アル=アリ博士はイラクのバスラにある病院の癌専門医で、英国王立医師協会会員でもある。端正な口ひげを蓄え、優しい皺のある顔立ちをしていた。糊のきいた白衣も、シャツの襟首も、すり切れていた。

湾岸戦争の前、癌で死亡する患者は月に3、4人でした」と彼は語った。「今では、私の部局だけで、毎月30人から35人の患者が死んでいきます。癌による死者が12倍に増えているのです。私たちの調査では、この地域では、住民の40パーセントから48パーセントが、癌になるでしょう。向こう5年のうちにの話です。こうした状況は、その後も長く続くでしょう。人口の半分近くが、癌になるのです」。

「私自身の家族も、ほとんどが癌にかかっています。過去、私の家系に、癌の記録はありませんでした。正確な汚染源はわかりません。というのも、きちんとした調査を行うための機材を入手することは、許されていないからです。私たちの体の放射能レベルを調べることすらできません。劣化ウランが原因ではないかと強く疑っています。湾岸戦争のときに、南部の戦場で、米英軍が使ったものです。原因が何であれ、ここは、まるでチェルノブイリのようです。この遺伝上の影響は、私たちには初めてのことです」。

「キノコは巨大に育ちます。以前は美しかった川から採れる魚も食べられなくなりました。私の家の庭にあるブドウまでもが変異を起こして、食べられなくなってしまいました」。

I have studied what happened in Hiroshima. It is almost exactly the same here; we have an increased percentage of congenital malformation, an increase of malignancy, leukaemia, brain tumours: the same.

Under the economic embargo imposed by the United Nations Security Council, now in its 14th year, Iraq is denied equipment and expertise to decontaminate its battlefields from the 1991 Gulf War.

Professor Doug Rokke, the US Army physicist responsible for cleaning up Kuwait, told me I am like many people in southern Iraq. I have 5,000 times the recommended level of radiation in my body. Most of my team are now dead.

We face an issue to be confronted by people in the West, those with a sense of right and wrong: first, the decision by the US and Britain to use a weapon of mass destruction: depeleted uranium. When a tank fired its shells, each round carried over 4,500g of solid uranium. What happened in the Gulf was a form of nuclear warfare.

In 1991, a United Kingdom Atomic Eneregy Authority document reported that if 8 per cent of the depleted uranium fired in the Gulf War was inhaled, it could cause 500,000 potential deaths. In the promised attack on Iraq, the United States will again use depleted uranium, and so will Britain, regardless of its denials.

Professor Rokke says he has watched Iraqi officials pleading with American and British officials to ease the embargo, if only to allow decontaminating and cancer assessment equipment to be imported. They
described the deaths and horrific deformities, and they were
rebuffed,he said. It was pathetic.

The United Nations Sanctions Committee in New York, set up by the Security Council to administer the embargo, is dominated by the Americans, who are backed by the British. Washington has vetoed or delayed a range of vital medical equipment, chemotherapy drugs, even pain-killers. (In the jargon of denial, blocked equals vetoed, and on hold means delayed, or maybe blocked.) In Baghdad, I sat in a clinic as doctors received parents and their children, many of them grey-skinned and bald, some of them dying. After every second or third examination, Dr Lekaa Fasseh Ozeer, the young oncologist, wrote in
English: No drugs available. I asked her to jot down in my notebook a list of drugs the hospital had ordered, but had not received, or had received intermittently. She filled a page.
I had been filming in Iraq for my documentary Paying the Price: Killing the Children of Iraq. Back in London, I showed Dr Ozeer's list to Professor Karol Sikora who, as chief of the cancer programme of the World Health Organisation (WHO), wrote in the British Medical Journal: Requested radiotherapy equipment, chemotherapy drugs and analgesics are consistently blocked by United States and British advisers [to the Sanctions Committee]. There seems to be a rather ludicrous notion that such agents could be converted into chemical and other weapons.

Nearly all these drugs are available in every British hospital. They are very standard. When I came back from Iraq last year, with a group of experts I drew up a list of 17 drugs deemed essential for cancer treatment. We informed the UN that there was no possibility of converting these drugs into chemical warfare agents. We heard nothing more.

The saddest thing I saw in Iraq was children dying because there was no chemotherapy and no pain control. It seemed crazy they couldn't have morphine, because for everybody with cancer pain, it is the best drug. When I was there, they had a little bottle of aspirin pills to go round 200 patients in pain. They would receive a particular anti-cancer drug, but then get only little bits of drugs here and there, and so you can't have any planning. It's bizarre.

「私は、ヒロシマで何が起きたかも調べました。こことほとんどまったく同じ事態が起きていました。ここでは、先天性形成異常が増加し、悪性腫瘍、白血病、脳腫瘍が増えています。ヒロシマと同じなのです」。

国連が適用した、今年で14年目になる経済封鎖のもとで、イラクは、1991年の湾岸戦争で汚染された戦場の汚染除去に必要な設備も専門知識も手にすることができないでいる。

クウェートの除染を担当した米軍の物理学者ダグ・ロッケ教授は私に次のように話した。「私もイラク南部の多くの人と同じような状態にあります。私の体は、基準レベルの5000倍の放射能に冒されているのです。私のチームに参加したメンバーのほとんどは、すでに死んでしまいました」。

「私たちは、西洋の人々が直面しなくてはならない問題を抱えています。正と邪の観念を備えた人々が直面しなくてはならない問題を、抱えているのです。その第一は、米国と英国が大量破壊兵器である劣化ウランを使うと決定したことです。戦車の砲弾一発ごとに4500グラムの固形ウラニウムが発射されます。湾岸戦争で行われたのは、ある種の核戦争なのです」。

1991年、英国原子力局の報告は、湾岸戦争で使われた劣化ウランの8パーセントを人々が吸入したとすると、「50万人の死者を生む」可能性があると報じた。米英が現在計画しているイラク攻撃でも、米国は、ふたたび劣化ウランを使うだろう。そして、英国も。そのことを否定してはいるが。

ロッケ教授は、イラク政府関係者が米英の政府筋に、汚染除去と癌の検査のための機材を輸入する点だけでも封鎖を緩和するよう求めたところを目にしたという。「彼らは、死と恐ろしい形態異常について説明したのですが、拒絶されました。・・・痛ましいことでした」。

経済封鎖を管理するために安保理が設立したニューヨークの国連制裁委員会は、アメリカに支配されており、それをイギリスが後押ししている。米国政府は、一連の決定的に重要な医療器材、化学療法のための薬、さらには鎮痛剤の輸出すら、拒否したり遅らせたりした。(「否定」世界の慣用語法では、「妨げる」ことは拒否することを意味し、「待機中」は遅れるか、または妨げることを意味する。)バグダッドの、とある診療所で、私は、医師が両親と子供を診療するのを診ていたことがある。人々の多くは灰色の肌をしており、髪の毛が抜け落ちていた。死にかけている人もいた。2、3人診るごとに、腫瘍の治療を専門とする若いレカー・ファセー・オゼール博士は、英語で次のように書いていた。「薬、なし」。私は、彼女に、病院が発注したけれど、受け取っていないあるいはとぎれとぎれにしか受け取っていない薬を私の手帳に書いてくれるよう頼んだ。まるまる一ページが、薬のリストで一杯になった。

イラクで、私は、「代償を支払う:イラクにおける子供たちの殺害」というドキュメンタリー・フィルムを撮影していた。ロンドンに戻ったとき、私はオゼール博士が書いてくれたリストをキャロル・シコラ教授に見せた。シコラ教授は世界保健機構(WHO)の癌プログラムの委員長であり、英国医学会誌に次のように書いていた。「要求された放射線療法の機材や化学療法の薬品や鎮痛薬は、[制裁委員会の]米国と英国のアドバイザによりいつも阻止されている。こうしたものが化学兵器などの武器に流用できるというのは、馬鹿げた考えであるように思われる」。

シコラ教授は、私に次のように説明した。「ほとんどすべての薬は、英国ではどんな病院でも手に入るものです。極めて標準的な薬です。昨年イラクから戻ってきたとき、私は専門家のグループとともに癌治療に必須の薬品17種類のリストを作成しました。そして、国連に、これらの薬品を生物兵器物質に用いる可能性はないと言いました。その後、国連からは何の連絡もありません」。

「イラクで私が目にした中でもっとも悲しいことは、子供たちが、化学療法を施せず鎮痛薬もないために死んでいくことです。モルヒネさえないのは異様なことです。癌の痛みにはモルヒネがもっとも効果的なのです。私がイラクにいたときに、痛みに悩む200人の患者にアスピリンの小瓶を配るところを見ました。特定の抗癌剤を投与されることもあり得ますが、それからときおりわずかな薬を得るだけだったりします。何の治療計画も立てられないのです。グロテスクなことです」。

Denis Halliday is a courtly Irishman who spent 34 years with the UN, latterly as Assistant Secretary-General. When he resigned in 1998 as the UN's Humanitarian Co-ordinator for Iraq in protest at the effects of the embargo on the civilian population, it was, he wrote, because the policy of economic sanctions is totally bankrupt. We are in the process of destroying an entire society. It is as simple as that ... Five thousand children are dying every month ... I don't want to administer a programme that results in figures like these.

Since I met Halliday, I have been struck by the principle behind his carefully chosen, uncompromising words. I had been instructed, he said, to implement a policy that satisfies the definition of
genocide: a deliberate policy that has effectively killed well over a million individuals, children and adults. We all know that the regime
- Saddam Hussein - is not paying the price for economic sanctions; on the contrary, he has been strengthened by them. It is the little people who are losing their children or their parents for lack of untreated water. What is clear is that the Security Council is now out of control, for its actions here undermine its own Charter, and the Declaration of Human Rights and the Geneva Convention. History will slaughter those responsible.

In the UN, Mr Halliday broke a long collective silence. On 13
February, 2000, Hans Von Sponeck, who had succeeded him as
Humanitarian Co-ordinator in Baghdad, resigned. Like Halliday, he had been with the UN for more than 30 years. How long," he asked, "should the civilian population of Iraq be exposed to such punishment for something they have never done? Two days later, Jutta Burghardt, head of the World Food Programme in Iraq, another UN agency, resigned, saying that she, too, could no longer tolerate what was being done to the Iraqi people.

The resignations were unprecedented. All three were saying the
unsayable: that the West was responsible for mass deaths, estimated by Halliday to be more than a million. While food and medicines are technically exempt, the Sanctions Committee has frequently vetoed and delayed requests for baby food, agricultural equipment, heart and cancer drugs, oxygen tents, X-ray machines. Sixteen heart and lung machines were put on hold because they contained computer chips. A fleet of ambulances was held up because their equipment included vacuum flasks, which keep medical supplies cold; vacuum flasks are designated dual use" by the Sanctions Committee, meaning they could possibly be used in weapons manufacture. Cleaning materials, such as chlorine, are dual use, as is the graphite used in pencils; as are wheelbarrows, it seems, considering the frequency of their appearance on the list of holds
デニス・ハリデーは、34年の長いあいだ国連に勤務し、最近では事務総長補佐にもなった、上品なアイルランド人である。彼は、1998年に、国連のイラク人道調整官を辞任した。一般市民に対する経済封鎖の影響に抗議してのことであった。辞任する際、彼は、理由を次のように述べていた。「経済封鎖政策は、完全に破産している。われわれは、一社会全体を破壊しつつある。そういうことなのだ・・・毎月5000人の子供が死んでゆく。私は、こんな人数の犠牲を出すプログラムを担当したくはない」

ハリデーに会って印象づけられるのは、その注意深い、けれども妥協しない言葉の背後にある原則である。「私が実施するよう指示されたのは、ジェノサイドの定義に合致するような政策でした。100万人をゆうに超す人々 −子供も大人も− を実質的に殺害してきた意図的な政策なのです。私たちはみな、経済封鎖の代償を払っているのは、イラクの政権 −サダム・フセイン− ではないことを知っています。逆に、彼の権力は強化されたのです。きれいな水がないために子供を失ったり両親を失ったりしているのは普通の人々です。国連安保理が現在、制御不能状態にあることは明らかです。安保理の行動は、国連憲章に反し、人権宣言に違反し、ジュネーブ条約を犯しているのです。歴史が、責任者たちを裁くでしょう」。

国連内で、長いあいだ続いた集団的沈黙を破ったのがハリデー氏だった。2000年2月13日には、ハリデーの後継としてバグダッドの人道調整官となったハンス・フォン・スポネックも辞任した。ハリデー同様、彼も30年間国連に勤務していた。「自分たちがしたことではないことについて、イラクの一般市民は、どれだけのあいだ、これほどまでの罰を受け続けなくてはならないのでしょう」と彼は述べていた。その二日後、イラクの世界食料計画(WFP)代表ジュタ・ブルガートが辞任した。彼女もまた、イラクの人々に対してなされていることに耐えられないと語った。

一連の辞任は、前例のないものだった。3名が3名とも、口に出してはならないとされていたことを語っていた。すなわち、ハリデーの推定で100万人以上にのぼる大量の死に対して、責任があるのは西洋であるという点である。技術的に言えば、食料と医薬品は経済封鎖の例外になっているが、制裁委員会は、頻繁に、乳児食や農業用品、心臓病や癌の薬、重患ベッド用酸素テント、X線撮影機などの求めを拒否したり遅らせたりしてきた。心臓と肺の治療に用いる16の機器が、コンピュータ・チップを含んでいるとして「待機中」扱いにされた。救急車の一群も、医用品の保冷用に真空フラスコが含まれていたため差し止められた。真空フラスコは、制裁委員会により「二重利用」品目に指定されていたのである。「二重利用」というのは、兵器製造に利用される可能性があるという意味である。「差し止め」リストに頻繁に顔を出すところを見ると、塩素のようなクリーニング用の物質も、鉛筆に使われるグラファイトも、一輪車も、「二重利用」品目に数えられているようである。


2004-4-12朝日・号外より。
「侵略の片棒を担ぐ日本」の汚名と
18歳の真摯な青年の訴え。



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