|
|
アフガニスタン・カブール無差別爆撃
「子も家も失った」
長く幸せだった子育ての時間はもうかえらない
市内北西部のアカベタペビマル地区。航空レーダーがある丘のふもとに比較的貧しい人々が暮らす。住人のサヘブドットさん(40)は、2週間ほど前の午前6時ごろ、ここで米軍の爆撃を受けた。爆弾は3軒の家を直撃し、10人が死亡、3人がけがをした。サヘブドットさんの8歳の娘と1歳の息子も亡くなった。
近くのモスクで早朝の礼拝を済ませて自宅に帰ったときだった。米軍機が500メートルほど離れたレーダー施設に爆撃を始めた。寝ていた4人の子どもを起こし、再び通りに出ると突然地面が揺れ、吹っ飛ばされた。振り返るとがれきの山ができていた。かき分けて家族を助け出したが、2人が死んでいた。
「ラジオではタリバーンの施設だけを狙っていると言っていたのに……。妻は今も泣いている。家もカネも子どもも失った。アメリカに人生を壊された」。サヘブドットさんは嘆く。自宅は柱が数本残るだけで、家具の破片が散らばる。
隣のグラマトさん宅では7人が死亡し、次男(13)だけ生き残った。親族宅で手当てを受けているが、家族が死んだことは近所中で申し合わせて伏せているという。
共産政権時代に建てられたアパートが並ぶマクロロヤン地区にも、何日かに分けて爆弾が落ちた。団地入り口の道路には直径約10メートルの穴があいて水がたまり、アパートの前にはコンクリート片が散乱している。アブドゥル・バジルさん(34)は、10月17日午前11時ごろの空爆で長女ナジーラちゃん(5)を失った。
爆弾は、自宅から300メートルほど離れた兵舎を狙ったようだった。しかし、アパートの前で遊んでいた長女を巻き込み、長女はコンクリート片の下敷きになり死亡した。
「誤爆だ」とバジルさんは言う。「ナジーラは頭が割れ、脳が飛び出していた。賢くて可愛くて自慢の娘だった。遺体があまりに傷んでいたのでだれもひつぎを見なかった」と言う。
妻は「ここにいるとつらい」と、郊外の親族宅に出ていった。
2001年11月20日 Asahi。
一つの爆弾で何人もの人生が永久に失われた。
もう、彼らが元の日に還ることは二度と出来ない。
金儲けのための人殺しを、戦争と呼ぶ。
|
湾岸戦争でアメリカはイラン、クウェート、サウジアラビアに跨る地域に300〜800トンの劣化ウランを投下した。アメリカの軍産複合体に連動する自自公政権の利権屋たちは、今又、イラクの子供たちの頭を吹き飛ばすそうとしている。
|
週ポより。
池澤夏樹のベストセラー
『イラクの小さな橋を渡って』
|
|