現地校裏話〔7〕:
親の威厳を失わないで

学校の環境に慣れずに教室で無意図的にも授業妨害行為に走ってしまう低学年の子供達の調査を始めると、親が家庭で子供の“友達”になっているパターンが多い。就学時まで、ずっと家庭で自分の言うことを聞いてくれる大人だけを相手に育ってきたのだから、学校でいきなり先生という大人の言うことを聞かなければならないのが苦痛になるのは当然だと思う。極端なケースになると、大人は自分の言うことを聞くものだとしか思っていない上、家庭で好きなことばかりしてきて誰かから何かを教わるという学習の大切さを教わってこないため、大人が自分に何か大切なことを教えてくれる、導いてくれる存在であるという観念がすっぽり抜けてしまって、教室で大して新しいことを学べなかったりする。そして、自分がうまくできて遊び感覚で楽しい工作や体育ぐらいしか興味が持てず、まともに授業活動に参加しないため、同級生との基礎学力の差が少しずつ広がり、授業にさらについていけなくなり、なおさら学習への意欲を失い授業妨害行為に拍車がかかる…悪循環になるなんて場合もある。親は『子供の性格と学校が合わない、家庭では問題ない』とクレイムをつけてくるのだが、他人から何かを学ぶという基本姿勢が身についてない場合は、おそらく別の学校に転校したところで問題解決にはつながらないのではないかと思う。
以前私が担当した1年生の女の子がまさにその極端なケースだったのだが、教室では自分の好きなことしかやろうとしない、休み時間も他の子供達に命令ばかりし、授業中の妨害行動や先生達からも何時も叱られているところを見られているため皆に疎まれ、学校で孤立してしまった。個人的な大人とのコミュニケーションにおいても、自分から出す話題じゃないと会話が続かない上、相手を自分と同レベルに見るため、おどけたりふざけたりして普通の会話ができない状態なのだ。検査をしている期間、彼女の行動はますますエスカレートしていき、ある時私に断らずにオフィスから遊びに出ようとしたので、厳しく大きな声で“No!”と言った。途端に女の子はびくっとして、低い声でぼそぼそとちょっと話した。ただ、もちろん怒られることも嫌いなので、ぼそぼそ話した後、ふてくされていたのだが、ぼそぼそと話したほんの1〜2分の間、とても短い間だったのだが、話し相手(=私)との支配力競争の空回りから解放されて、落ち着いて自分の気持ちを吐露し始めたところを見て、《あぁ、この子はこれを待っていたんだな》と直感的に感じた。もちろん、家庭での親子関係だけの問題だけに原因を絞れるわけではないし、本人の性格や他の要因も関わってくるのではあるが、女の子の母親は「学校が厳し過ぎるから、子供が馴染めない。」とずっと思い込んでいたのと違う結果が出たことにびっくりしていたようだった。検査中にわかったことなのだが、行動は必ずしも伴っていないのだが、意外にも女の子が厳しく彼女の授業中の行動に制限を設ける担任の先生のことをよく思っており、授業形態も自由行動が認められるような時間の方がそわそわして席に座っていられないというパターンが見られた。本当は自分に必要な制限を提示しながら導いてくれる人物や環境が必要なのに、家庭で学校社会に必要なスキルでもある大人との関係を身につけて来なかったため、大人から学べるということを知らない、極端な言い方をすれば、大人の言うことを信頼出来ない、年齢に関係なく相手は自分と対等か下だから自分がイニシアティブを取らなければならないという強迫観念のようなものがどうも出来てしまったようなのだ。
家庭によっては、子供の自発性や創造性を促すというつもりで友達関係のような形態になってしまっている親子もあるかもしれない。でも、人生経験の少ない子供に全て判断を任せるようないつも子供の意見が中心という形態になってしまうと、子供は誰かに安心して頼れるという感覚が育たなくなってしまい、学校社会でさえもうまく機能出来なくなってしまって、他の子供達からも孤立してしまい、見ていてかわいそうになる。大人でさえも、自分自身でできる経験に制限がある分、他人から学ぶことによって自分の知識を広げていくのに、他人の言うことを安心して信頼することを家庭で学べず、(大人は自分の考えに同調するものだから)全て自分で考え学んでいかなければならないと子供に無意識にも思い込ませるいうのは、子供にはあまりにも負担が大き過ぎる。子供の意見を採り入れるばかりで、子供に有無を言わせずに従わせるルールが家庭で全くないに等しいというケースにあうと、自発性や創造性を育てる云々以前に、最も身近な親の判断でさえも安心して信頼できないというメッセージを子供に送ってしまっているということに気付いて欲しいと思うのだ。

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