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1960年(昭和35年)に辻元清美さんは生まれました。
赤ん坊だった彼女は気付かなかっただろうが、産まれた時から、とんでもないバカオヤジどもに狙われていたのです。




1960年(昭和35年)2月の週刊誌。
既に「改憲・防衛利権」を求めて跳梁する臭い戦前エロジジたちの様子が描かれていた。






以下の記事は1960年(昭和35年)2月の「週刊読売」の記事の一部です。

”軍国主義を鼓舞する″と、戦後長いことパージのうきめにあっていた日清、日露戦争のシンボル像が、さいきん旧陸海軍軍人の間でさかんに復元運動が進められており、なかには激しい争奪戦まで演じられるほどの脚光を浴びてきた。          
 陸軍側で東京都立美術館わき空き地で、人目をさけて″謹慎中″だった明治の元勲「山県有朋」「大山厳」両元帥像のかつぎ出しをはじめれば、海軍側では「皇国の興廃この一戦にあり‥」とZ旗をかかげ、日本海大海戦の旗艦として暗躍した戦艦「三笠」の復元に乗り出している。
 戦後十五年間も、忘れかけていたこの軍国のシンボルがなぜ急に脚光を浴びてきたのだろう。
 気の弱い国民たちの問では、ただでさえ進軍ラッパと軍靴)の響きが聞こえだしたきょうこのごろ、また軍国時代の悪夢がカムバックしてくるのではないか、と不安の念にかられている。
 
復元運動の先頭にたっているのが旧軍人とあっては、この国民の心配もあながち思いすごしと一概に片づけるわけにはいくまい。そこで銅像再建運動の背景と、それにからまる旧軍人の動きを、あわせて追ってみた。

″薩長連合″へ横ヤリ大山、山県両元帥像の再建運動の話が出たのは昨年の秋ごろ。
 二つとも戦前は東京三宅坂の参謀本部前に、〕馬上ゆたかな軍服姿で威容を誇っていたが、戦後の〃銅像追放″でパージにあい、美術舘裏で野ざらしになっていた。
 この銅像、山県元帥像は日展会員北村西望氏、犬山元帥像は旧帝展審査員の故新海竹太郎氏の作品でずれも大正、昭和初期彫刻の代表作。同じ軍人像でも鉄道博物館前にあった「広瀬中佐」像が銅像パージで鋳つぶされてしまったのに、両元帥の銅像は重要美術品という名目で原形を保ってきたもので、時価約一千万円というのがその筋の評価。この両元帥像を、出身地の長州(山口県)と薩摩(鹿児島県)が薩長連合で「我が郷党の大先輩を野ざらしにしておくのはけしからん」と、郷虫への誘致運動をはじめた。銅像を管理している大蔵省でも「国有財産だから、国有地に建てるなら‥‥」と郷里への払い下げの方針をほぽ決めたので、山口県では山県有朋公銅像再建会を結成、昨年暮れの二十七日には、あまりのことに、たまりかねた野村富三郎参院議員、宮中縞二郎氏ら旧海軍軍人が中心になり、それに財界から渋沢敬三氏らも参加lした。


 かつての「三笠」の栄光を保存しょうと三十三年に三笠保存会を結成、防衛庁、大蔵省に働きかけた結果、防衛庁から五千万円、一般から一億五千万円の資金を集め、総工費二億円で復元することに決め、昨年十月に着工、今秋には昔の威容をとりもどすことになっている。
 三笠保存会の話では「帝国海軍はなくなってしまった。その記念碑、お墓というような意味で、復元運動を進めている。単に思い出というようなつもりで、軍国主義の再現なんか毛頭考えていない」








この日本郷友連盟は1956年(昭和31年)11月、日本戦友団体連盟を発展的解消して再発足したものだが、山梨県を除く四十五都道府県にその支部を持ち、公称会員百五十万人、月百円の会費を払っているものは三十万人にものぽるという日本最適の社団法人。さいきんは旧軍人だけではなく、婦人部、青少年部までその翼下に結成している。

同連盟の事業は@国防思想の普及H民防衛の促進H災害における救難C英霊の顕彰D道義心の高揚などをあげているが、同連盟で出している「桜星」という機関紙には
一、われらはどこまでも祖国を愛す
一、われらは、われらのカを集めて郷土を守りぬく
一、「みんなそろって「日の丸」を掲げ「君が代」を歌おうという標語をかかげており、どうやらその主張するところは軍国主義的な色彩が強い。

 現在運動している事業を聞いてみると@安保改定促進H建国祭の制定H憲法改正がおもなものだが安保改定運動では安保改定国民連合会に所属、一日も早く批准しろと各地で講演会、パンフレット作成などPRにあたっている。
        
 建国記念日の復活にも熱心だそうで、自民党祝祭日調査会に現在の祭日を検討、二月十一日の紀元節を復活しょうと働きかけているそうだ。この七日に横須賀では同連盟所属の旧軍人たち六百人が集まり「自分たちの国を誇り、隆盛発展を願うため、紀元節を国民の祝祭日にせよ」という紀元節復活促進大会を行なった。もう一つの祝祭日に八月十五日を英霊慰霊の日として加えろというのも、いかにも旧軍人らしい主張。憲法改正については、天皇の地位が不明確なので、これを明確化、つぎに祖国愛を強調し防衛力を保持するように改正しろというのが要点。、どうもこの考え方をみているとこちらまでが、銅像と一緒に戦前に逆もどりさせられてゆくというような錯覚にとらわれてしまう。強大で危険な政治力こうした動きについて警視庁公安三課では「組織が大きくなってきたので注目はしている。しかし別に公安上の問題を起こしているわけではないから、取り締まりの対象にはならないと語っているが、はたしてそんなものだろう
か。
 同連盟は、三十一年の参院選には元大本営報道部長松村秀逸氏、元海軍中佐大谷藤之助氏を出馬きせ、両者で得票数六十四万七千票を獲得、見事に当選。同じ選挙に共産党は三人の全国区候補をたしたが当選者はわずか一人、三人の得票数も合計五十九万九千票で、旧軍人組織、共産党を破るという成果をあげたのを皮切りに、同連盟など旧軍人組織を母体として、現在では衆、参両院に前記の松村大谷氏をはじめ、野村吉二郎元海軍大将、保科善四郎元海軍中将、下村定元陸軍大将、辻政信元陸軍大佐などを送りこんでいる。
 ことに松村氏は自民党の国防政策を立案する同党国防部会の部長で、野村、.保科氏も同部会のメンバ−で、その意見は防衛庁の防衛計画などにも強く反映しているといわれるだけにか旧軍人古巣に帰る″というのもあながち言い過ぎではあるまい。
         
 このように背景をみてくると、旧軍人の銅像、三笠復元運動がどのくらい、根強いものか、その政治力も、ハタでみているよりずっと大きいものに気がつくことだろう。

 旧軍人のこうした動きに対して、ある元陸軍中将は「郷友連はどの政党にも負けない大きな組織をもっている。現在の中枢部の人は立派な人だから大丈夫だと思うが、軍人というものは命令に対しては絶対服従という性格をもっている。これを利用、将来万一政治的野心を持ったボス的存在が牛耳った場合、とんでもない間違いを起こさないかと心配している」と語っていた。
 兵隊の経験のある作家・菊村到氏も「敗戦の責任者たちが、政治団体ではないといいながら、安保改定、・憲法改正など政治色の強い運動を行なっているのはどうかと思う。こんな人たちが敗戦を忘れ、再軍備に血みちをあげることになったら、また恐ろしい時代が来るだろう。”老兵は消えていくのみ″が歴史の条理ではあるまいか。郷友達盟が戦争を知らない若い人たちにも呼びかけているのには警告を発したいと思う」と語っていた。