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四字熟語

暗中模索(あんちゅうもさく)=暗闇の中を手探りで探すこと。転じて、様子がはっきりせず、どうしてよいかわから
ないまま、あれこれと探ってみること。


 この言葉は、中国唐の時代から用いられていましたが、元来の意味は「暗闇の中で手探りしてもすぐわかる」といった、現在とは全く異なるものでした。『随唐佳話』という話の中で、許敬宗という人物がました。この人はあわて者だったそうですが、偉そうにこう言い放ちました。「俺だって、曹植(そうしょく)や謝霊運(しゃれいうん)の有名人と出会ったら、暗中模索してもすぐ見つけられるさ」
 つまり「すぐにわかる」という意味に用いられたのです。


 一網打尽(いちもうだじん)=一度に網を投げただけで、そこにいた魚を全部捕まえること。

 魚だけではなく、「犯人グループを空港で一網打尽」といった感じで人などを捕らえるときも使います。『宋史・仁宗紀(じんそうぎ)』にある話で、当時の宰相の杜衍(とえん)は、帝が大臣の了承なく恩詔(おんしょう)を下すことにこころよく思っていませんでした。そこでその恩詔を自分のところでせき止めていました。当然、杜衍の評判はよくありませんでした。
 ある日、杜衍の親族が公金流用したということで、役人に踏み込まれ、そこにいた全員が逮捕されたのです。そのとき一網打尽という言葉が用いられたのです。


 韋編三絶(いへんさんぜつ)=一つの書物を何度も熟読すること。

 韋編とは、なめしがわでできた本のとじひものことですが、孔子は晩年に「易経」を愛読して、そのとじひもが三度も切れるぐらい熱心に読んだという故事からきています。人の手本を示したような四字熟語ですが、そういえば、ここ何年かは本をぼろぼろになるまで読んだ事がないですね。まだまだ勉強不足っていうことですね。


 郢書燕説(えいしょえんせつ)=もっともらしいこじつけをすること。

 郢も燕も地名です。昔、楚の都であった郢の主君が、燕の大臣に手紙を書こうとしていました。夜にその手紙を書記に書かせていたところ、明かりの燭が暗かったので、主君は「燭を高く挙げよ」と燭を持っている者に命じました。書記は、その言葉も手紙に書く内容だと受け取ってしまい、手紙にそのまま「燭を高く挙げよ」と書いてしまいました。手紙を受け取った燕の大臣は、「燭を高く挙げよ」という言葉を「賢者を挙げ用いよ」と言いたいのだなととらえ、彼の王に進言しました。その結果、燕の国は立派に国を治めることができました。
 要するに、勘違いなのですが、それによって立派に国を治めることができたというのはすごいですね。


 温故知新(おんこちしん)=古いことを研究して、新しい真理を得ること。

 有名な四字熟語ですが、書き下し文にすると「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」となります。孔子が師とはどうあるべきかを述べた一節です。彼は、「古いことをじっくりと研究して、そこから新しい道理・知識を得るのであれば、人の師となることができるし、師はそうでなければならない」と述べました。新しいものだけを追求しても、立派にはなれないんですね。現代人が心に留めておきたい言葉ですね。


 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)=敵を討つために苦労すること。成功のために苦心すること。

 時は春秋時代。呉(ご)の主君である夫差(ふさ)は戦いで父を亡くし、越(えつ)の国に自国を滅ぼされてしまいました。その屈辱を忘れまいと、薪に伏して(想像してわかるように薪の上に寝るのは相当痛い)越を攻める機会をじっと伺いました。そして、ついに越との戦いで勝利を収めることができたのです。そのときの越の主君勾践(こうせん)は、命乞いをして助かりましたが、苦い肝を嘗(な)めて、二十年の苦心の末、呉を再び滅ぼすことができたのです。
 この時代、呉と越はとても仲が悪く、互いにいつ滅ぼしてやろうかと虎視眈々(こしたんたん)とねらっていました。この二つの国に関する四字熟語として、もうひとつ「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」があります。


 画竜点睛(がりょうてんせい)=最後の大事な部分に手を入れて、仕上げをすること。

 この四字熟語、どうして「竜」と「晴」の文字が入っているのか不思議に思いませんか?実は、この言葉は「竜」を描くことが由来になっているので、その字を用いるのです。また「晴」は、現代日本人にはわかりにくい意味ですが、瞳を意味します。
 中国の南北朝時代に、ある有名な画家がいました。彼は、金陵の安楽寺に二匹の見事な竜を描きましたが、瞳をあえて入れませんでした。その理由を問うと、「竜に瞳を入れると、天に昇ってしまうから」と答えました。その言葉を、依頼人は自信過剰ととらえ、無理に瞳を入れさせたところ、竜は本当に天に昇ってしまったのです。
 この言葉は仕上げをするという意味ですが、その画家の立場で考えると、最後に残しておくべきものといった意味でとらえたほうがよいような気がします。


 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)=蔵書が非常に多いこと。

 蔵書と牛とになんの関係が・・・?、と思われた方もいらっしゃることでしょう。次の内容を読んで理解してくださいね。この言葉が出てきたのは、柳宗元の『陸文通先生墓表』という書物からです。そこには、「其(そ)の書たるや、処(お)けば則(すなわ)ち棟宇(とうう)に充(み)ち、出(い)だせば、則ち牛馬に汗(あせ)す」と書かれています。家屋の最上部にある棟木にまでとどくぐらい、牛や馬に引かせると、それらが汗をかくぐらい、書物がたくさんあって、重いということです。
 蔵書と牛との関係、わかりましたか?蛇足ですが、四字熟語や故事成語には、「牛」のつくものが多いですね。それほど、当時の人々と牛とが密接な関係にあったということでしょうね。


 曲学阿世(きょくがくあせい)=真理を曲げて世人にへつらうこと。

 曲学は不正の学問、または学をねじ曲げて理解することです。前漢の轅固生(えんこせい)が公孫弘(こうそんこう)に、学者としてとってはならない態度として、「正しい真理を追求して述べなさい。真理を曲げて世人にへつらってはいけない。」と言って教えた言葉です。
 轅固生に関して、こういう話があります。漢の景帝の母は、熱心な老子の信奉者でした。ある時、その母が儒学者の轅固生を召して老子のことを尋ねると、「老子なんぞ召使いの言葉でしかない」と言いました。母は激怒して、轅固生を豚小屋に放りこんでしまいました。高貴な人物に対しても、自分の真理を曲げようとしない態度は見事です。


 玉石混淆(ぎょくせきこんこう)=すぐれたものとつまらないものが入り混じって、区別がつかないこと。
                 
 玉(ぎょく)とは大理石などの美しい石をさします。古代中国では、これが貴重な宝となっていたようです。
 戦国時代、楚の卞和(べんか)は磨かれていない玉を楚の皇帝に献上しようとしました。ところが、それはただの石ころだと鑑定され、卞和は左足を切断される刑に処せられました。その皇帝の死後、即位した武王に再び玉を献上しようとしましたが、またもや石ころと鑑定され、今度は右足を切断されてしまいました。卞和はその玉を抱いて三日三晩泣き続け、血の涙まで流しました。王は彼の誠実さに感動し、ついに玉を磨かせました。すると、これまでに見たこともないような美しい玉が生じたのです。


 鶏鳴狗盗(けいめいくとう)=犬のようにして盗み、鶏の鳴きまねで人をだますような卑しい人物。

 孟嘗君は、斉の使者として秦へ赴きましたが、秦の昭王は彼の力を恐れ、そのまま軟禁してしまいました。なんとかしてそこから逃げ出したい孟嘗君は、こそ泥上がりの食客に、珍品の衣装を盗ませ(これが狗盗の意味)、王の愛妾に与えて、そこから逃げ出すことができました。真夜中、函谷関にたどりついたのですが、そこは鶏が鳴くまで関所を開けない規則になっており、その時間まで待っていると、昭王の追っ手につかまることになります。すると、鶏の鳴きまねが上手な食客が鶏の声を出し、関所を開けることに成功したのです(これが鶏鳴の意味)。そのまま、孟嘗君は逃げ切ることができました。
 人を助けた二人の食客の話で、英雄として扱われるべきなのに、この熟語は悪い意味で用いられることが多いようです。なぜでしょう。


 呉越同舟(ごえつどうしゅう)=仲の悪い者同士が同席すること。

 もともとは孫子の『兵法』から出てきた言葉で、以前にも述べたとおり、呉も越も国の名前です。
 孫子は「呉と越は犬猿の仲ではあるが、両国の人が同じ船にのれば、暴風雨の時船が沈まないように助け合う。このように兵士を窮地に追い込むことで互いの結束が強くなり、強大な戦力を生み出せる」と述べました。
 仲が悪くても、窮地になれば互いに助け合い、大きな力を出せる。これがこの言葉の深い意味なのです。


 国士無双(こくしむそう)=国中にまたといない優秀な人物。

 この言葉を授業中に取り上げると、たいていの若者が麻雀用語だと勘違いします。でも実は、中国古典から出ている立派な熟語なんですよ。
 韓信という人物は、漢の高祖に従事していましたが、認められず、とうとう逃げ出してしまいました。当時の宰相であった蕭何(しょうか)は、あわてて韓信の後を追いかけましたが、それを高祖は蕭何まで逃げ出したと勘違いし、両手を失ったようだと大いに嘆きました。のちに蕭何は戻って来て、高祖は彼を叱責しました。蕭何は「将軍などすぐに手に入るものです。しかし、韓信のような人物は国中に2人といない優秀な人物です」と答えました。この蕭何の推薦により、韓信は軍事的才能を発揮することができ、漢の大将軍までのぼりつめました。
 人物を的確に判断できる賢者がいれば、すぐれた人材を多く用い、強大かつ優秀な国や集団を形成できることを、この四字熟語は物語っています。現在の政界や企業などでも大いにあてはまることですね。韓信のような国士無双たる人物が、実はすぐそこにいるかもしれませんね。


 四面楚歌(しめんそか)=まわりの者がすべて敵で、孤立していること。
               
 始皇帝が死んで4年後に秦が滅亡し、楚の項羽(こうう)と漢の劉邦(りゅうほう)の争いが激化しました。しかし、次第に項羽の形成が不利となってきました。項羽軍は垓下(がいか)(安徽省霊璧県)にたてこもりましたが、劉邦の軍や諸侯連合軍に取り囲まれた状態でした。夜に入り、自らの軍を包囲している敵から楚の歌が聞こえてくるのに項羽は驚き、「わが楚もすでに漢軍の手に落ちてしまったのか、こんなにも多くの楚の兵士が敵にまわってしまったとは」と言いました。ここから四面楚歌というが出てきたのです。
 この後、項羽は愛人の虞(ぐ)姫と精鋭の部下を引き連れ、淮水(わいすい)をわたり、陰陵(いんりょう)付近まで落ちのびましたが、ここで漢軍に追いつかれ、最後の決戦に挑みました。


 唇歯輔車(しんしほしゃ)=互いに助け合って離れがたい関係。

 「唇」はくちびる。「歯」はもちろん口にある歯のことです。では「輔」「車」はそれぞれ何かわかりますか。「輔」は車の箱の側板、「車」は車台をさします。「唇」と「歯」、「輔」と「車」は、相互に密接な関係にあることを意味しています。(「輔」を頬骨、「車」を歯茎としている書もあります)
 この言葉は『春秋左氏伝』から出たものです。ある国が敵である晋に馴れ合い、攻撃を免れました。ところが、その兄弟国である方は晋に攻撃されてしまいました。離れがたい関係にある兄弟国が滅びれば、いずれ自国も同じ運命を辿る。だから、晋に手引きをしてはいけない、と諌めた中でたとえとして用いられた言葉です。


 是々非々(ぜぜひひ)=正しいことは正しい、悪いことは悪いとし、公平な態度で判断すること。

 「是」は正しい、「非」は悪いことを意味します。みなさんは、「ぜひ」という言葉を知ってますよね。「ぜひ一度お越しください」などと使われる「ぜひ」です。これは「是々非々」が元となっていて、「正しい、悪いかを問わずそうしてもらいたい」というのが基本的な意味です。
 古代中国の思想家荀子(じゅんし)は、正しいことを正しい、不正を不正を判断する、これを知と定義しました。さらに彼は、正しいことを不正とし、不正を正しいとする、これを愚としました。彼の定義した「是々非々」は、現代の社会や政治のあり方にいまだ通用しています。


 切磋琢磨(せっさたくま)=学問や修養によって自らの資質を向上させること。仲間同士が互いに励まし合って学問
                  や人格を磨くこと。


 「切磋」は骨や角を切ってヤスリで磨くこと、「琢磨」は玉や石をノミやツチで形を整え、砥石(といし)で磨くことをいいます。そこから学問、人格の向上に努める意味になりました。
 子貢(しこう)が「貧乏でも卑屈にならず、金持ちでも傲慢にならない。こういう人物は立派だと思いますが」と尋ねました。孔子は「確かに立派だろうね。しかし、貧乏でも人生を楽しみ、金持ちでも進んで礼を受ける。こういう人物には一歩譲るね」と答えました。「つまり詩経の『切磋琢磨』の精神ですね」と子貢が言うと、孔子は「そのとおりだ。それでこそ詩がわかるというものだ」と返しました。『論語』の一節の中に、この言葉が用いられています。


 千載一遇(せんざいいちぐう)=千年に一度出会うほどのまれなよい機会。絶好のチャンス。

 千年に一度のまれなよい機会とは、賢者・聖人に出会う機会のことを言います。それだけ、古代中国では聖賢に出会うことはまれだったようです。
 『文選(もんぜん)』袁宏(えんこう)・三国名臣序賛の中で、「千年に一度のまたとない好機は、賢者、智者のめでたい出会いである。好機にあって喜ばずにはいられない。その好機を失って、どうして嘆き悲しむことがなかろうか」と述べています。
 
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