最終更新:平成20年6月23日

「皇統の未来を守るオフ」開催履歴:第二十一回~第三十回

★第三十回★
★【皇統の未来を守るオフ30】★
学習会「皇室典範史―明治典範制定経緯から平成17年11月24日『皇室典範に関する有識者会議報告書』までの皇位継承法を巡る議論を中心に―
開催日時平成20年6月22日(日曜日)午後1時~4時30分
開催場所大阪府私学教育文化会館(大阪市都島区網島町6-20)401号室地図
大阪府私学教育文化会館
テーマナビゲーターより:皇室法(憲法、皇室典範など)の根幹は皇位継承法であり、今後の女系天皇反対・旧皇族の
皇籍復帰による万世一系の皇統護持運動のためには、その基本知識を押えるのが不可欠です。私(ナビゲーター)
は勉強会参加者のほとんどが既に概ね把握しているとは思っていますが、案外そうではないかもしれませんので、
本勉強会では、あえて細かい議論には深入りしません。

また、皇位継承法以外にも、陵墓管理が現行法下ではどのように解釈され執り行われているかなど様々な法的論点
がありますが、その点については、ナビゲーターが皇室法の専門書を持参しますので、最後のフリートーキングの
場でわかる範囲で回答します。ただし、いくら解釈学を駆使しても知らなければ答えようがない問題も多々ありま
すので、全て回答することはできないと思いますがその点ご容赦の程願います。

なお、勉強会の内容とは異なりますが、オプション資料として、白川静「皇室は遥かなる東洋の叡智」のコピーを
配布する予定です。

費用無料。
参加者は16名でした。

勉強会は午後1時ちょうどから、(1)おもに明治皇室典範制定史を通じて、神代以来の皇統と近代国家建設の営みとにどのような調和が図られたのかを学ぶ事、(2)いわゆる「女系天皇」を容認する「有識者会議報告書」は政府見解として現在も有効であり、法学的見地から男系による皇統護持の正統性を検討すべきである事、の二点を主眼として進められました。

「歴史を学ぶ先人の姿を学ぶ」ことの重要性を思いつつ、勉強会オフの全予定を無事終了しました。





★第二十九回★
★【皇統の未来を守るオフ@岩倉】★
開催日時平成20年5月17日(土曜日)午後1時集合
集合場所叡山電鉄鞍馬線「岩倉」駅前
順路叡電岩倉駅~山住神社~岩倉具視公幽棲旧宅~実相院門跡~石座神社~大雲寺~昌子内親王岩倉陵
~実相院宮墓~公共交通機関にて四条方面。

  岩倉具視公幽棲旧宅  実相院門跡  岩倉陵参道石標
費用交通費適宜。岩倉公旧宅入場料300円。実相院門跡拝観料500円。
参加者は11名でした。

当日は13時に叡山電鉄岩倉駅前に集合し、まず「岩倉」の地名の由来となった磐座が現存する山住神社に参詣しました。同社は、現在は後に訪れる予定の石座神社の御旅所とされていますが、明治以前はこちらを「石座神社」と号しており、式外ではあるものの『三代実録』所載の国史現在社です。同社境内の石段前には、無用の闖入を禁ずるロープが張り渡されていたためその前でお詣りしていたところ、茂みの奥から我々の言動を逐一注視していたらしい老翁が「どうぞお入り下さい」と声をかけて下さり、磐座前の拝所に進んで改めてお詣りしました。ところが、拝所周辺には空缶や吸殻が少なからず散乱しており、これを嘆いたある参加者の提案により突発ゴミ拾い活動が行われました。

次に、洛中を逐われた岩倉具視公が五年間に亘って幽居雌伏の時を過ごした維新史跡・岩倉具視公幽棲旧宅に向かい、萱葺きの質素な家屋に岩倉公不屈の丈夫心を慕うとともに、併設の資料館「対岳文庫」に展示された品々に先覚者の苦闘を偲びました。五百円札も偲びました。

続いて近くの実相院門跡に向かい、東山天皇中宮承秋門院の御所を移したという御殿に上がらせていただき、お抹茶をいただきながら御庭などを拝観しました。

その後、石座神社~大雲寺を経て、岩倉陵(冷泉天皇皇后昌子内親王陵)を拝し、大雲寺旧境内地を奥に向かって滝行の場に進み、さらにその奥の実相院宮墓(後西天皇皇子義延親王墓・後伏見天皇十五世皇孫義周親王墓・東山天皇皇曾孫建宮墓・靈元天皇皇子峯宮塔)を拝しました。ところが、滝行の場や実相院宮墓周辺は長く掃き清められた風もなく落ち葉が堆積しており、これを悲しんだある参加者の提案により突発清掃活動が行われました。

帰路、今一度岩倉陵を拝したあと実相院前に引き返してバスにて四条京阪前まで移動し、ある参加者の提案により夕暮れ間近の八坂神社に参詣し、今次オフの全行程を終了しました。





★第二十八回★
★【皇統の未来を守るオフ@名古屋】学習会「山本日本学から見えてくる『天皇』」★
開催日時平成20年4月27日(日曜日)午後1時~5時
開催場所愛知縣護國神社桜華会館(名古屋市中区三の丸1-7-2)本館2階「蘭の間」地図
  愛知縣護國神社  恩賜元離宮名古屋城
内容担当者より:「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と云われます。皇統護持運動の場合、「己を知れば」とは、
私達はなぜ陛下への敬愛が湧いてくるのかを「知る」ことでしょうし、「敵を知り」とは、皇統を批判する者、
或いは無関心な者には何が欠落し、そして何が敬慕の情を阻害しているのかを「知る」ことでしょう。

 さて、山本七平氏が研究したことを「山本学」とか「山本日本学」と呼びますが、「日本人はなぜ勤勉なのか」
「日本人を支配する『空気』とは何なのか」等々、山本氏は現代日本人の無自覚な行動原理を歴史的に再把握
しようとして、多くの日本人論を世に送り出しました。

 その山本学を歴史順に並べ、そこから、太古から現代までを貫く日本人の世界観を読み取り、その世界にお
いて、天皇の御存在が如何に重要であるかを述べたいと思います。それが私流の「己を知れば」です。また歴
史上、陛下への敬慕の情を阻害する考えの基と思われる思想もあり、それを知ることが「敵を知り」です。

 テーマが壮大すぎて、浅学非才の私にどこまで語れるかが不安です。多くの方に突っ込みを入れられること
でしょう。また、山本氏はきわめて毀誉褒貶の激しい人物ですので、中には批判的な方もおられるかもしれません。

 しかし私としては、そういった方も大歓迎です。何故なら、人と対峙することによってご自身の考えを再把
握することができ、その考えをつなぎ合わせることによってご自身の世界観をも把握できるからです。そして
その世界観のどういったところから天皇への敬愛が生じるのかを検討することもできます。

 この学習会が、各々の方の「敵を知り己を知れば」の何らかのヒントになれば幸いです。

費用無料。
参加者は17名でした。

学習会開始に先立ち、ある参加者の方から、差し入れとして名古屋の新名物「きしめんパイ」が参加者全員に振舞われました。ありがとうございました。

13時すぎから、ナビゲーターの方が作成された大部のレジュメを使った学習会が始まり、山本七平氏の経歴や諸著作の簡単な紹介ののち、主に同氏著『勤勉の哲学』の内容に沿った説明がされました。

途中一旦学習会にインターバルをとり、天皇陛下御即位二十年記念の記録映画『平成のご巡幸 被災地復興への祈り』の上映を行いました。上映中には、椅子の上に正座して観る方や、思わず涙ぐむ方の姿も見られました。我々にとっては、昨年八月の「皇統の未来を守るオフ20」で参加した、両陛下大阪行幸啓提灯奉祝のシーンがあったこともあり、感慨も一入でした。

その後学習会を再開し、引き続き『勤勉の哲学』から石田梅岩や布施松翁、鎌田柳泓らの石門心学、山本氏の別著書『日本人とは何か。』から、懐徳堂の富永仲基、山片蟠桃らの思想が縷々紹介されていきましたが、後半は参加者の方々からも次々に意見が出されて議論が活発となったこともあり、タイトルのごとく「山本日本学」から天皇が「見えてくる」前に残念ながら時間切れとなりました。つづきはまたの機会にうかがうことを約して、今回の名古屋オフの全予定を無事終了致しました。





★第二十七回★
★【皇統の未来を守るオフ27】講読会『戦国大名と天皇』『信長と天皇』★
開催日時平成20年3月20日(木曜日・春分の日)午後1時~5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)7階A棟9号室地図
大阪市立中央青年センター
テキスト今谷明著『戦国大名と天皇─室町幕府の解体と王権の逆襲』
(平成13年:講談社学術文庫:ISBN 978-4061594715/初刊はFukutake Books:平成四年)
  同  『信長と天皇─中世的権威に挑む覇王』
(平成14年:講談社学術文庫:ISBN 978-4061595613/初刊は講談社現代新書:平成四年)
   『戦国大名と天皇』   『信長と天皇』
※上の書影は現在刊行されている講談社学術文庫版とは異なっています。
内容「天皇はなぜ続いてきたのか?」そして「信長はなぜ天皇を滅ぼさなかったのか?」学校では教わらない素朴な
疑問に応え、平成初年の読書界を唸らせた今谷明教授の著書を通じて、日本史のいち断面にアプローチした
いと思います。

[第一部] イントロ
著書に当たる前準備として。当日扱う範囲の時代背景と専門用語を高校日本史の教科書や国史大辞典など
から解説。

[第二部] 本論
『戦国大名と天皇』『信長と天皇』の両書の要約を通じて、今谷教授の研究を踏まえ、考究を深めます。

[第三部] 総括
今谷教授の他著書より明らかにされている「今谷史観」の検討と、今後の課題について(フリートーク)。

両著作を既読の方には、さらに知見を深めて頂けるものにしたいと考えております。戦国時代や織田信長に
興味のある方ならば、きっと楽しんで頂ける内容かと思いますのでお気軽にご参加ください。(担当者より)

費用無料。
参加者は、初参加の方や久しぶりに参加の方も含め18名でした。

当日13時すぎから、今谷明著『戦国大名と天皇─室町幕府の解体と王権の逆襲』(平成13年:講談社学術文庫)、同『信長と天皇─中世的権威に挑む覇王』(平成14年:講談社学術文庫)をテキストに、講読会が開催されました。

まず[第一部 イントロ]として、天皇が発給される文書形式の変遷を解説するという形で、時々の権力者と天皇の関係を考察するという今次勉強会の流れが示唆されたあと、[第二部 本論]では、両テキストの内容を適宜批判を加えつつ紹介し、[第三部 総括]で今谷史観の超克を企てる、という組み立てで進められました。

今谷氏の両テキストは、政治史的アプローチから、「天皇(制度)はなぜ滅びることなく続いてきたのか」という問いに答えることを目的しており、朝廷「式微」が言われる戦国期に於いても、かの「第六天魔王」信長に於いてすら、天皇を「必要とした」のだとしか言いようのない史実を丹念に描出したものですが、同氏の別の著書『象徴天皇の発見』(平成11年:文春新書)に「天皇家はなぜ続いてきたのか──それは一口でいうなら、その時々の執政者の利害、要請により天皇が必要とされたからである(中略)第一に執政家が形成され、天皇と執政家との間の『持ちつ持たれつ』という黙契によって天皇の地位が保全されたのである」(p.211)としか結論出来ていないように、ではなぜ、必要とされるのは“天皇”でなければならないのか、という根源的な問いからは逃避したままです。この辺りが、戦後史学界に果敢に挑戦しつつも、その桎梏から遂に逃れ得なかった今谷政治史学の限界であり、同氏が繰り返し否定し、あるいは意識的に無視したものの中にこそ、その問いに対する答が隠されているのであろう事を感ぜしめるのです。担当者の方は[第三部 総括]に於いて、今谷氏の両テキストを離れて、列聖の宸翰・宸記を紹介されましたが、これもまた、今谷史観が決して辿り着くことの出来ない回答への道標を与えようとされたものだと思います。

事前にテキストを読んでこられなかった方にも、今次講読会のこうした「守破離」の構図を追体験できたか否かはともかく、肝心の部分は感得していただけただろうと思います。





★第二十六回★
★【皇統の未来を守るオフ26】講読会『天皇─昭和から平成へ』★
開催日時平成20年2月24日(日曜日)午後1時~5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)3階A棟6号室地図
大阪市立中央青年センター
テキスト葦津珍彦著『天皇─昭和から平成へ』(平成元年2月24日第一刷:神社新報ブックス:ISBN 4915265897)
『天皇─昭和から平成へ』
内容皇室奉護の偉大な先達 葦津珍彦翁が本テキストで展開された思考を参加者諸賢と共に辿り、葦津翁
の教示を道しるべとして体験的かつ内発的な議論を重ねたいと思います。

戦後民主主義なる【安寧】のもと世情人心愈々惑乱、かかる時節こそ私達一人ひとりが「やまとこゝろ」
の所在を確認し、「日本人」としての「足腰」を鍛える時ではないかと愚考します。
「天皇」という御存在を奉戴する日本人として、私心を排し、「國體」の蘊奥にどれだけ歩み寄ることが
出来るか、という点では精神的鍛錬ともなりましょう。
大所高所からの専門的/衒学的議論はこれを極力避け、過度の政治色はこれを払拭し現代日本人
の行住坐臥に即した実践的問答になれば幸甚です。

「草莽微賤の土民」として、皇運の弥栄、國運の長久を祈念し奉ります。(担当者より)

費用無料。
今回の参加者は初参加の方2名を含む16名でした。

当日13時から、葦津珍彦著『天皇─昭和から平成へ』(平成元年:神社新報ブックス)をテキストに講読会が開催されました。

本書は、平成元年2月24日(=昭和天皇大喪の礼当日)の第一刷と奥付にあるように、昭和から平成への御代替わりを期して、葦津珍彦氏の旧著から数篇を撰び、いくつかの書き下ろし論文を加えて編まれたものであり、葦津氏の「天皇論のダイジェスト」(「緒言」p.6)であることから、共和制と君主制の優劣を検討した国家構造論から神道人葦津氏一流の「祭り主」論、皇祖神論まで、一見すると、風合いの異なる諸論考が同居する編纂ものであるかのように見えます。

しかし、担当者の方がまとめられた12ページに及ぶ力作レジュメに抄出された葦津氏の清澄な原文を追ううちに、共和制と君主制比較の国家構造論→諸外国の君主制と万世一系の天皇「制」の比較→万世一系・万世不易の真諦たる「公正無私」→「公正無私」を生ぜしめる「祭り主」としての任→「祭り」の対象としての皇祖神→今上陛下践祚の際の皇祖神由来の神器御承継→神器御承継に関しての現行憲法・典範の不備→憲法・国家政体論へと、諸論考が一種の円環構造を成していることに気付かされる仕掛けになっていました。

時間の都合で割愛された部分もあったため、事前に読んで来られなかった方にもこうした本書の流れが感得されたかどうかは分かりませんが、葦津天皇論の入門であると同時に集大成でもある本書をきっかけに、さらに広く深く葦津氏の他の著作にも取り組んで行こうという意欲をかき立てられる講読会になったと思います。





★第二十五回★
★【皇統の未来を守るオフ@男山】石清水八幡宮耐寒登拝★
開催日時平成20年1月20日(日曜日)午後1時集合
順路八幡市駅~神應寺~航海記念塔(行教律師墓塔伝承地)~一ノ鳥居~頓宮~高良神社
~安居橋・放生川~頼朝松~二ノ鳥居~神幸橋~相槌神社~七曲り~かげきよ塚~豊蔵坊跡
~三ノ鳥居~本宮~護國寺跡~石清水社~太子坂~一ノ鳥居~八幡市駅。
趣旨石清水八幡宮石清水八幡宮
「吾れ深く汝之修善に感應す。敢て忍忘するべからず。須く近都に移坐して國家を鎭護せん。
汝祈請すべし」
(『石清水八幡宮護國寺略記』貞観元年七月十五日夜半、行教律師への託宣)

豊前宇佐にあっては隼人を平らげ新羅を禦ぎ道鏡を挫き、釈教に帰依して神仏習合の魁となり、
都近き男山に移座しては王城を守護し皇室第二の宗廟と仰がれる。

「自今以後は殺生を禁断して生を放つべし。但し國家の爲に巨害あるの徒出で來たらん時は
此の限りに有るべからず。疑念無かるべし」
(『八幡宇佐宮御託宣集』巻十「通」、宝亀八年五月十八日託宣)

軍神にして大菩薩。国家鎮護・皇室守護の神でありながら村の小社にも祀られる八幡神。
平成二十年年頭にあたり、その広大無辺の神威に触れ、皇室奉護の精神を磨きたく存じます。

費用無料。
参加者は14名でした。

当日は13時に京阪本線八幡市駅改札前に集合し、男山登拝に向かう前に、石清水八幡宮の創建者・行教律師が建立した神應寺に参拝し、続いて行教律師の墓塔との伝承も有する航海記念塔(我が国最大級の石造五輪塔。重要文化財)を拝観したのち、石清水八幡宮一ノ鳥居から表参道に入りました。

山麓では、まず石清水祭に際して八幡大神が神幸される「頓宮」に参拝、昭和天皇即位礼時の春興殿正門を移した「頓宮北門」や、同じく春興殿内掌典詰所を移した「頓宮参集所」、大正天皇大嘗祭時の大嘗宮掌典詰所を移した「頓宮神饌所」も併せて拝観しました。

次に、むかし古文の授業で聞いた「神へまゐるこそ本意なれと思ひて山までは見ず」(『徒然草』)の高良神社に参拝し、石清水祭の「放生行事」が行われる放生川と安居橋、源頼朝公お手植えと伝わる「頼朝松」(現在の松は二代目)などを視察したのち、二ノ鳥居をくぐるあたりから参道は上り勾配にかかります。かつては石清水放生会の御鳳輦のためだけに祭儀時に架けられていた「神幸橋」、三條小鍛冶宗近の相槌として名刀「小狐丸」を打った稲荷明神(能『小鍛治』)を祀る相槌神社、七曲り、かげきよ塚を経て、「男山四十八坊」と呼ばれた諸坊の跡をとどめる長大な石垣を横目に「大坂」の石段を登り続け、霙まじりの氷雨の中、ようやく山上の三ノ鳥居に辿り着きました。

三ノ鳥居からは、古色豊かな奉納石燈籠が建ち並ぶ真直ぐな参道を進み、手水を済ませ、修復成って朱も鮮やかな本宮前に参じて一同社頭参拝に及び、本宮背後の摂末社群も逐一参拝したのちは、授与所にて御守を受けたり巫女さんの舞を陪観するなどして時を過ごしました。

その後、由縁あって社務所に田中恆清石清水八幡宮宮司(神社本庁副総長・京都府神社庁長)を表敬訪問しました。我々は既に社頭参拝を終えてはいたのですが、田中宮司の御配慮により改めて本殿への正式参拝をさせていただくことになり、幣殿昇殿の上、八幡大神の大前に額づき、皇室の弥栄を祈念致しました。

「神吾れは、掛けまくも畏き息長足姫尊の皇子、品太の天皇の御靈ぞ。故に吾れ諸天神祗を率ゐて凶逆を掃ひ除き、朝廷を守護し奉る事ぞ」(『八幡宇佐宮御託宣集』巻七「威」、神護景雲元年託宣)

正式参拝後には神職の方から御講話もいただき、結構なるお下がりのお品も頂戴しました。本宮退下ののちは裏参道より下山にうつります。かつての神宮寺であった護國寺跡を視察し、「石清水」の社号の由来となった霊泉「石清水井」と摂社石清水社に参拝し、急勾配の石段が続く「太子坂」を下って「頼朝松」前に出、一ノ鳥居を後にして全行程を無事終えました。

「吾れ天雲の中に登り隠れなんとは思へども、國家を輙く弃て奉るべからず。一世の帝のみ有るべき天下には非ず。世は替れども神は替らず。故に吾れ無道の衆生を導かんが爲に、本猛き志を起こして、垂跡し給ふぞ。兵を用ふるは何ぞや。神の矢東に流れて、神の鼓地を振はん」(『八幡宇佐宮御託宣集』巻八「力」、神護景雲三年、和気清麻呂公への託宣)





★第二十四回★
★【皇統の未来を守るオフ@二周年】鳥羽離宮聖蹟捜訪★
開催日時平成19年12月16日(日曜日)午後1時集合
順路竹田駅~近衞天皇安樂壽院南陵~安樂壽院~鳥羽天皇安樂壽院陵~北向山不動院
~白河天皇成菩提院陵~成菩提院塚陵墓参考地~後宮塚陵墓参考地~城南宮
~鳥羽離宮跡公園~中宮塚陵墓参考地~竹田駅~京都駅近くで忘年会。
内容本邦院政期の政治・文化の中心地であり、保元・平治・治承・承久の兵火の舞台ともなった鳥羽離宮。
現在も僅かに残るその古蹟を尋ねて往時を偲び、報本反始の決意新たに当オフ二周年を迎えたく存じます。
鳥羽離宮鳥羽離宮
費用城南宮神苑拝観料500円。忘年会参加の方は電車賃・飲食代適宜。
参加者は、初参加の方も含む14名でした。

当日は13時に近鉄・京都市営地下鉄竹田駅北改札に集合し、まず、鳥羽離宮東殿に建立された御堂の後身である安樂壽院に向かいました。最初に、唯一の木造多宝塔形式の天皇陵である安樂壽院南陵(近衞天皇陵)に参拝し、現在は真言宗智山派の寺院である安樂壽院では、鳥羽離宮成菩提院跡から江戸期に出土したと伝わる石仏や、鳥羽上皇が剃髪して法皇になられた折に冠を埋納されたという冠石等を拝観しました。次いで、安樂壽院陵(鳥羽天皇陵)に参拝し、さらにその北隣に安置された石造五輪塔を拝観しました。

次に、「皇城守護のため北向き(内裏の方角)に建立された」という鳥羽天皇勅願所・北向山不動院に向かい、本堂の昇殿拝観や「鳥羽天皇御遺愛の松」の拝観、かつては行者が心身を清めるのに用い、今も名水として知られる「洗心井」の水をいただくなどして時を過ごしました。さらに、鳥羽離宮を創始し院政を開始された白河天皇の御陵である成菩提院陵に参拝したのち、成菩提院塚陵墓参考地に向かう頃には小雨模様となりました。

次に、京都南インターチェンジを控えたラブホテル街へと分け入り、ラブホの只中に取り残されたかのような後宮塚陵墓参考地に至り、その後、鳥羽離宮の鎮守社であったという城南宮に参入しました。城南宮ではまず、斎館にて鳥羽離宮の復元ジオラマや出土品の展示を見学しましたが、その間に雨もすっかり上がり、引き続いて拝殿社頭参拝、巫女さんの舞の陪観、神苑拝観とすすんだのち、境内の茶屋にて名物のぜんざいや蕎麦を食して冷えた体を温め休息をとりました。

続いて、鳥羽離宮南殿の跡地である鳥羽離宮跡公園に向かい、南殿庭園の築山の名残とされる「秋の山」などを視察したのち、竹田駅への帰路、中宮塚陵墓参考地にも立ち寄り、全行程を無事踏破致しました。





★第二十三回★
★【皇統の未来を守るオフ23】講読会『源氏と日本国王』★
開催日時平成19年11月23日(金曜日・勤労感謝の日)午後1時~5時
開催場所大阪府立青少年会館(大阪市中央区森ノ宮中央2-13-33)本館2階第二会議室地図
大阪府立青少年会館
テキスト岡野友彦著『源氏と日本国王』(平成15年:講談社現代新書:ISBN 4061496905)
『源氏と日本国王』
内容本書を読み解き、「源氏長者」と「日本国王」をキーワードに、平安時代~明治時代の
【権力の正当性の歴史】を簡単に振り返り、日本史や皇室の歴史に新しい視点を獲得する
ことを目指します。

尚、関連する諸学説や歴史にも簡潔に触れることで、本書をいろんな角度からより楽しく読める
よう工夫をこらす予定です。

本書を通じて、何故天皇が男系でなくてはならないのか、一歩深いレベルで納得できると思います。

費用無料。
11名の参加者を得て開催致しました。

13時からの講読会では、岡野友彦著『源氏と日本国王』(平成15年:講談社現代新書)をテキストとし、姓と苗字の違い、「源氏」とは何か、「氏長者」とは何か、といった基礎的な歴史知識の確認に始まり、当オフの取り組みとも関連深い史上の八世十代の女帝について氏姓制度の観点から検討し、皇統は「氏」の原理つまり父系制的血縁原理によって継承されてきた、という本書の説が紹介され、男系皇統護持論の参考に供されました。

一方、本書に述べられる主張のうちでも俄かに肯じ得ない諸点(「まことの継体」解釈、“第二の皇祖神”“第三の皇祖神”説、南北朝論、“日本国王”の定義など)についても適宜批判が加えられ、バランスのとれた読み方が出来たと思います。

本書の内容が多岐に亘っているため、少し駆け足気味の学習会にはなりましたが、これから本書を読んでみようという方にも大いに参考になったかと思います(事前に読んでこられた方にはさらに意義深かったと思います)。





★第二十二回★
★【皇統の未来を守るオフ22】講読会『「現人神」「国家神道」という幻想』★
開催日時平成19年10月28日(日曜日)午後1時~5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)7階A棟10号室地図
大阪市立中央青年センター
テキスト新田均著『「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。』
(平成15年:PHP研究所)
「現人神」「国家神道」という幻想
内容現在、通俗的に「現人神」「国家神道」といった言葉に象徴されて流通している、
戦前・戦中の日本において天皇を絶対神(一神教における神)と同一視していたかのよう
な「幻想」が、いかにして形作られ広められてきたかを検証するとともに、明治以降の
日本における宗教政策の変遷を辿り、現在の日本に残された課題についても考えたいと思います。
費用無料。
10名の参加者を得て開催致しました。

13時から始まった講読会では、新田均著『「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。』(平成15年:PHP研究所)をテキストとし、二部構成の同書のうちでも分野的に当オフとの関連が特に深い、[ 第一部:「現人神」という幻想 ]を主に取り上げ、詳細なレジュメを使用しつつ学習をすすめました。

現在でも一般に、「大日本帝国時代の狂信的・絶対的天皇崇拝思想」を代表するとされる“現人神”思想は、従来から存在した「天皇は神の子孫である」という考え方(「神孫」論)とは全く異質なものであって、日本古来の伝統でも明治新政府によって強制されたものでもなく、満洲事変等を背景として昭和期に「創られた伝統」として浸透し、占領期に「創られた史実」として固定化されたものに過ぎないことが論証されました。

なお、昭和二十一年年頭の詔書(俗に言う“人間宣言”)について、占領軍から宮中に示された文案に当初あった「天皇=神の裔」を否定する文言が、昭和天皇の同意を得て「天皇=現御神」を否定する文言に差し替えられた逸話(木下道雄『側近日誌』)が、「天皇=神の裔(神孫)」論と「天皇=現御神(現人神)」論が別個のものとして認識されていた実例として示され、すなわち同詔書は、昭和戦前期の「現人神」思想(天皇絶対論)を否定したに過ぎないのであって、伝統的な「天皇=神孫」論を否定したものではないことが指摘されました。





★第二十一回★
★【皇統の未来を守るオフ@新宮様御生誕一年】反省会「皇統の未来は守られたか」★
開催日時平成19年9月30日(日曜日)午後1時~5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)7階A棟9号室地図
大阪市立中央青年センター
趣旨昨年九月の新親王殿下御生誕により、王朝交替・皇統断絶を齎す皇室典範改定策動はひとまず頓挫しました。
しかし、将来全ての宮家が断絶し、皇室を構成する方々が極端に少なくなってしまうという危機的情況には
何らの好転も見られていません。

にもかかわらず、我々はこの一年、皇統護持のために有効な活動をしてきたと自信を持って断言できるでしょうか。
「趣味のサークル」「呑み友会」に堕してはいなかったでしょうか。このままでは「緩やかなる皇統断絶」を座視
することになりはしないでしょうか。

今回は、我々自身の皇統護持活動の原点を問い直す場としたいと思います。
費用無料。
参加者は、初参加の方1名を含む15名でした。

会場では、一昨年12月にスタートした当オフ活動の歩みを記した資料などを配布し、そうしたものも参照しながら、「皇統未だ磐石ならず」との反省を踏まえ、これまでの皇統護持活動についての所感と今後の取り組みについての提案を参加者全員に発言していただいた上で、議論を進めました。

月一回オフの場に顔を出すだけで「勉強」や「活動」をしているつもりになってはならない、日常の成果を確認し合い、ぶつける場がオフであって、日々の個々人の取り組みこそが重要である、という点で一致が見られたと思います。

今後とも御指導御鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

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by 彦十郎
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