相手をオカマと呼ぶ奴がオカマ。
デザイン評価 のアンカーの終了タグが(略)
初めまして。アラレです。
投稿を讀ませて頂きましたが、私へのご意見でしたらメールを使つてお傳へください。
>野嵜さんファンの私ですが(笑)、私の理由があるのです。
>また、私ではない誰かにも發言や意見に理由があるでせう。
>その理由や發言の真意を言ひ黨てられても、私は何處までも困りません。
分かっている。ホモダチなんだろ。
オカマ野郎
早わかりアニメ掲示板の歴史 中編 のアンカーの終了タグが抜けてます。
>途中strongタグを適用しようとして失敗しました。すみません。
b要素で代用しませう。
参考(http://www.tcup.com/bbs/tags.html)
こんにちは。
「盲目的な信者」と言はれれば私のことを言つてゐる。と思つても許されますでせうか。被害妄想だといけませんので一應。
また別に、何も私にとつて被害ではありませんけれども。
Akimboさん、名前を出して貰つて良かつたと思ひます。
盲信してゐるとか、盲信してゐないとか、人に判斷される事は私にとつてあまり重要ではありません。發言する時は、「どう取られても仕方ない」といふ諦めもあります。
ただAkimboさんのやうに、讀み取つてくださる人がゐると思ふと、「どう取られても仕方ない」といふ「負」があつても、發言する價値はあつたと思ふのです。
さういふ價値を實感させて頂き、感謝してゐます。
野嵜さんファンの私ですが(笑)、私の理由があるのです。
また、私ではない誰かにも發言や意見に理由があるでせう。
その理由や發言の真意を言ひ黨てられても、私は何處までも困りません。
(1) 私が呼びかけている「ディーダラス」さんは、現在「素人」さんというハンドルでここに投稿なさっているかたです。
(2) 途中<strong>タグを適用しようとして失敗しました。すみません。
(3) 前の投稿のタイトルは、「二三の盲目的な信者」のはずでした。
私の見るところ、「信者」と呼べる人はいません。
自分がどこに向かって走っているのか分かっていない「盲目的」な人は約一名、ディーダラスさんだけだと思います。
半年以上いてまだ「空気」を読みとれないようですが、掲示板とは、有益な情報の掲示や意見の交換を行う場で、決してディーダラスさんが自分の偉さをひけらかす場所ではありません。<strong>有益な情報も自分の意見も持たず、他の発言者を「盲目的」とさげすむその傲慢さは東大生(自称)ならではなのでしょうか。そのくせ<strong>自分に悪い風向きになるとハンドルを変えて何もなかったことにしてしまう。わたしはディーダラスさんが「、、、」というくだらないハンドルでつまらない発言をし、ギルデンスターンさんを追い出したことを忘れていませんよ。
もちろん、自分の意見として掲示板につどう人たちの傾向について話す必要もでてくるのかもしれませんが、もしそれを論ずる必要があれば、当てこすりではなく、具体例を挙げてはどうですか。
この掲示板で発言をしている野嵜さんファンといえば、アラレさん(名前を挙げてすみません)を念頭に置いているのかもしれませんが、アラレさんに「盲目的な信者」とレッテル貼りをする人は文章の読めない人です。ディーダラスさんはアラレさんの文章から学ぶことはないのでしょうか。ないのでしょうね。
ところで私がこのような文章をわざわざひとさまの掲示板に書いているのはディーダラスさんがメールアドレスを公開していないからです。一度ディーダラスさんが複数のハンドルを使ってわたしのサイトの掲示板を荒らしたときに、こういうことを注意しようとフリーのメールアドレスでもよいから取得してくれとお願いしましたが、それに対しては応答なしでした。
ディーダラスさんの意見をまともにとる人がいないのは、ディーダラスさんの意見がよくできていて反論不可能だからではなく、ディーダラスさんがネット上での自己同一性も保てないし責任を取る気もないからです。いろいろ「勉強」はなさっているようですが、「自分で読んで判断する」の「判断する」の部分を自分では全くやらずに他人を「読んでいない」と攻撃するのはいただけません。ゼミの先輩か先生から「×××も読んでないの?」と言われたのをそのまま受け売りしている感じですが、研究室の中と外界では方法論が違います。前にも言ったと思いますが、外界では、「言っていることが正しいかどうか」が問題なのであって、「お勉強不足」なんて言ってもしょうがないのです。
長くなりましたが、私の言いたいのはこういうことです。
「ディーダラスさんは、まずハンドルの同一性を保ち、メールを受け取れる状態になってから、つまり、ネット人格を確立してから人に意見を問うべきです」
まだまだいろいろ「言ってあげたい」ことはありますが、掲示板に書く私信の限界を超えていると思いますので、この辺で。何か意見があれば、メールください。私のサイトの掲示板への投稿はご遠慮ください。あの掲示板はナンセンスの神に捧げるものですゆえ。
ちなみに、わたしは多分あなたが生まれた頃からAkimboです。逃げも隠れもしませんよ。
素人さんへ。
「素朴な質問」は結構ですが、失禮な質問をするのは良くないですね。あなたの「素朴な質問」は、人を嘲笑する爲の「ひつかけ問題」です。
しかし、人間に「固有の意見」があるのかどうか、そもそも素人さんは、疑つた事があるんですか。
素人さんこそ、御自分の「固有の意見」をまづ、披露すべきではないですか。天地開闢以來、一度として提示された事の無い「固有の意見」を、素人さんは御持ちなのではないですか。
戦争はなくならない、正義も政治に属する、云々。仰せの通りだと思います。ただ、繰り返し同じことを書いて恐縮ですが、それを言うならチェスタトンが言ってるじゃないか、それが気にいらぬなら福田恆存が松原正が、もっと砕いて山本夏彦が言っているじゃあないか。ついそう思ってしまいます(但し、山本夏彦に関しては、例えば保険外交員の女性に対する侮蔑に見るように、とうてい賛同できないこともあるのですが、まあ、それはともかく)。
チェスタトンはともかく福田恆存や松原正に関して、野嵜さんはここだきけは賛同できないというような点はないのでしょうか。
とばかり、ここまで書いて答はおおかた予想できます。また肩すかしに終わるでしょう。そして、二三の盲目的な信者がバックアップしてお仕舞い。しかし、私としては何であれこれこそ野嵜さん固有の意見であるというものを聞きたいですねえ。むろん、アニメとか2チャンネルの問題以外ですけれど。
岡田さん、お知らせくださり、ありがとうございました。
は殘つてゐないやうです。それゆゑ讀めません。>Akimboさん
とっつぁんさん、こんにちは。
おっしゃっりたいことは理解したと思います。お返事、ありがとうございました。
ところで、岡田さんがおっしゃっている「政治と道徳」の話はどこにいったら読めるのでしょうか。さしつかえなければお教えください。
を峻別すべしと、9.11に際して某8Oさんのところで説いてらつしやつたと思ひますが、
あれは非常に明快なる論理展開でした。>とっつぁん
Akimboさん、こんばんは。
「戦争を辞さない覚悟を持って」いる二つの国家が対峙している場合と、どちらか一方だけが「戦争を辞さない覚悟を持って」いる場合では、結果として前者の場合の方が戦争が起こらない状態を保ちやすいと思ってるってことです。
さらに、そもそも二国が対峙している問題を解決する場合においても、両国が「戦争を辞さない覚悟を持って」いる場合の方が、戦争以外の方法で解決しやすいと思うってことです。
>とっつぁんさんの論理はユルユルでした。
すいません。論理的な思考には慣れてませんがあくまで野嵜さんの考えを聞き出すための質問のつもりでした。
聞きっぱなしでは失礼なので昨日は最後に少し自分の考えを書かせていただきました。
> 戦争を辞さない覚悟を持ってすれば結果として戦争の無い状態を保つことができると
世の中の戦争は全て「戦争を辞さない覚悟を持ってすれば」と思っている国家が二つ集まってはじまるものです。
ここ数日の意見を拝読していましたが、いつもいつも、とっつぁんさんの論理はユルユルでした。
一度ご自分の意見に反論してみることをお勧めします。
野嵜さんへ
丁寧なお答えありがとうございました。私の浅学のために頓珍漢な質問だったようです。
ただ私は戦争は禁止して無くなるものではないと考えますが、戦争を辞さない覚悟を持ってすれば結果として戦争の無い状態を保つことができると思っています。
それ以上は、たぶん野嵜さんのおっしゃるように生物としての人類の進化と関わること…つまり正義と人との関係の変化でしか語れないのかも知れないですね。
また気紛れなROMに戻ります…。
>「戰場で敵國の 友人(外國人)と偶然遭遇した時、撃つべきか撃たざるべきか。」
主に富野監督の一聯の「ガンダム」が、そればつかりやつてゐるので、最近食傷氣味です。
>西村慎吾氏とか?
自衞隊相手にエロトークを繰廣げたさうですね。
>政治は利益(利権)に根ざし、道徳は正義に根ざしてるように思います。
正義も政治に屬するのではないかと。個人の行爲でも、正義の行爲は政治的な行爲ではないかと。
「全ての」と「或」との區別を日本語はしないので話がややこしくなつてゐますが、私は「或種の戰爭」「或種の殺人」を認めるので、「全ての戰爭」「全ての殺人」を否定出來ないのであります。
なほ、「せねばならぬ」「すればよい」「してもよい」は保田與重郎が岡倉天心について書いた文章に出てくる文句のパロディです。
>なんとなくサイトを読む限りskkと変わらない気もしますが・・・。
そんな氣がします、私も。
「あなたに會ふ」「あなたと會ふ」とは言ふけれども、「あなたを會ふ」「あなたへ會ふ」とは言はない、「あなたの會ふ」とも言はない。「會ふ」は、『人』+『と』+『會』+「活用語尾」、『人』+『に』+『會』+「活用語尾」、乃至『人』+『の』+『會』+「連體形の活用語尾」+「名詞・形式名詞」と云ふ風に、前後に語が接續する。その邊りの情報を辭書に持たせたらどんなものか、と云ふアイデアです。
何か車輪の再發明をしてゐるみたいだな。
野嵜さん。こちらこそ、はじめまして。
浅学ゆえ、間違いがあれば指摘してください・・・。
> 辭書はXML形式
> IMEのアルゴリズムはDTDで書ける
サイトを読む限り仕様が、いまいち飲み込めないです。
なんとなくサイトを読む限りskkと変わらない気もしますが・・・。
> 出來ないものでせうか知らん。
つまり。辞書に接続情報をもたせるということですか?
それでしたら「可能」です。技術的には「品詞情報」のかわりに
対象となる語を連番とし、割り振ったものを当てればいいだけです。
(検索にはPOBox風の方法を用いる...そうしないと実装は難しい)
e.g.(これは、例であり正式な形式ではないです)
0 : にほん {日本:1,2,3....}
1 : じん / ひと / びと{人}
2 : ご {語}
3 : ぶんか {文化:4}
4 : かいかん {会館}
5 : しん {新:0,2}
ただ、接語の読みの解析や速度の調整・接語情報のサンプリング、形態素解析は大変です。
理由は厳格なる規則が無いのです(外来語のカナ表記を含めると、もうわけがわからなくなる)
もう、例外だらけで頭痛がします。だからIMEを作る方は少ないとも言えます。
もっとも、上のパーサーを作るのは、さほど難しくはないと思います。
私の意見は、こういうところです。ツッコミはかまいませんよ。
(それと。この議題が、この場にふさわしくなければ
別の場を用意しますので言ってください)
野嵜さんへ
政治は利益(利権)に根ざし、道徳は正義に根ざしてるように思います。戦争は国益のために国家が行使する政治だと思います。だとするなら…あくまでだとするならですが…
>人間は正義と云ふ事を氣にせずにはゐられないから、正義に基いて暴力に訴へる事は永遠に無くならない。
これは道徳のことになります。
>だから戰爭は無くならない。
これは政治のことですね。話がつながっていないように思うのですが、上ひ書いた前提が間違っているのでしょうか?
私は「戦争は無くならない」→「戦争を禁止すべきではない」までは分かるのですが、→「戦争をしても良い」の所へ行く矢印の部分がよく分からないのでお尋ねしているのです。
木村さんの言葉とは意味が異なるかもしれませんが、最後が、→「戦争をしても仕方がない」であれば理解できるのですが「戦争をしても良い」というのは更にもう一段飛躍があると思うのです。
その部分をお聞きしたいのです。
吉本隆明氏は、民衆の理想化の上に立つて語つてゐますが、木村さんが引用された部分を読むと明らかに欺瞞ですね。吉本氏は一部の利権のために動くやうな軍隊は許さないと言ひたいのでせうが、軍隊をコントロールするその民衆なるものが一枚岩で無私の判断をする神聖な存在であるといふ保証など全くなく、民衆とは様々な党派に分かれて利権を追求する欲望の塊と考へておくのが賢明です。勿論、完全な相対主義に陥つてしまへば無秩序をもたらしますので、現実を見据ゑながら正義に就いても考へるといふことしかないでせう。
>で、直截的な言ひ方をする人は、屡々なぜか卑猥な表現を好むので、困つたものです。
西村慎吾氏とか?
(A)老婆殺しの罪を告白したラスコーリニコフは、自ら流刑に服した。殺人は道徳的罪だからである。
(B)大東亞戰爭時の支那人虐殺を告白した舊帝國軍人は、表面上の「反省」と裏腹に、誰も己が死を以て償はうとしない。戰爭における殺害行爲は道徳的罪では無いからである。心の底では「戰爭だから仕方ない」と思つてゐるのである。私もさう思ふ。
戰爭と殺人に關して眞劍に考へなければならぬ事柄があるとすれば、例へば以下のやうな問題だと思ひます。「戰場で敵國の友人(外國人)と偶然遭遇した時、撃つべきか撃たざるべきか。」
「自衞隊は動きたければ許可を取れ」とは要するに「許可なんか出ねえよ」と云ふ事で結局「自衞隊は動くな」詰り「自衞隊要らねえ」と云ふ事なんですが、婉曲表現の好きな人は日本に澤山ゐるやうです。
で、直截的な言ひ方をする人は、屡々なぜか卑猥な表現を好むので、困つたものです。
最近ちくま文庫から出た『私の「戰爭論」』の中で、吉本隆明が實に不徹底かつ非現實的な戰爭觀を開陳してをります。
――人類から戰爭がなくなるといふことは、ありうるのでせうか?
吉本 戰爭とは國家間の爭ひであるといふふうに見なせば、それは夢物語ぢやなく、今だつて戰爭をなくす方向に近づくことはできるんです。日本でいへば、自衞隊を本當の意味でのシビリアン・コントロールの下に置けばいいんです。各職業、各階層から、たとへば一〇〇人なら一〇〇人ずつ日本の民衆を任意に委員として撰んで、その委員たち全員の同意がなければ自衞隊を動かせないといふ條項を、憲法、もしくは、その他の國法に盛りこめばいいんです。さうすれば、自衞隊は自警團に割合近い形になつて、今だつて戰爭をなくす方向に一歩近づきうるわけです。今は、政府が勝手に自衞隊を動かしてゐる。そこには、民衆の直接の意志はちつとも反映されてゐません。
馬鹿も休み休み云へ。いつその事、自衞隊が機關銃の彈を一發撃つ毎に、「一〇〇人委員會」の許可を取るやうにすれば、吉本先生はさぞ御滿足だらう。
吉本は、「村人が自發的に編成し、村人が自分の意志で動かせる武裝集團」を自警團と呼び、「自警團の戰ひは戰爭で無いから良い。しかし軍隊の戰ひは戰爭だから惡い」と云ふ「理論」を展開してゐます。しかし、自警團と軍隊との區別は存在するのか。聞き手の田近伸和から「織田信長や武田信玄の戰ひは戰爭ではないのか」と尋ねられ、吉本は次のやうに「語るに落ちる」やうな事しか云へません。
「隣村のやつらが押しかけてきて、畑を荒らしたり、亂暴狼藉をはたらくから、棍棒とかクワとかを持つて自分たちも防衞しよう、隣村のやつらと戰はうといふのが、素朴な形の自警團です。でも、戰國時代の武士たちの戰も、もとを正せば、自分たちの畑や田んぼに侵入してくるやつらを追ひ拂はうといふことだつたんぢやないか、といふこともいへますから、やはり、そこには自警團的な要素もあるわけです」
吉本は、戰國時代の戰ひは「自警團的な要素もある」から良いと云つてゐる譯ですが、それを云ふなら、現代の戰爭にだつて「自警團的な要素」は無いとは云へないでせう。また、どんな素朴な自警團にだつて、個人の意志を否定する場面はある筈だ。吉本は一體全體、何が云ひたいのか。
私は死刑廢止反對論者ですが。森鴎外の「護持院ヶ原の敵討」や、ドストエフスキーの『罪と罰』、シェイクスピアの悲劇は名作だと思つてをりますが。
ところで、とっつぁんは、個人の殺人と、國家の戰爭とを、同レヴェルの問題として議論して良いと御考へなのでせうか。道徳と政治とを、とっつぁんは區別なさらないのでせうか。
野嵜さんへ
では殺人と正義に関してはどのようにお考えなのでしょう?正義のための殺人は無くならないから「殺人はしても良い」とお考えでしょうか?
例えば、死刑制度も正義のための殺人ですが、オウム事件も彼らにとっては正義のための殺人だったはずです。死刑による「殺人」もオウムによる「殺人」も等しくしてもよいとお考えなのですか?これを区別して考えてしまうのはそれを考える人の正義によるものであって非論理的と言うことでしょうか?
もう一点。
>正義に基いて暴力に訴へる事は永遠に無くならない。だから戰爭は無くならない。
警察力の行使や裁判所の執行も暴力だと思います。正義は暴力でしか実行できないということは分かりますが。必ず戦争でなければ正義は貫けないとは思えないのですがいかがでしょう。
正義に基いて暴力に訴へる事は永遠に無くならない。しかし戰爭は無すことができる。という命題は成り立たないのでしょうか?
ほなほな。
單に、リアルワールドで「忙しい」と云ふ事です。
とっつぁん御久し振りです。
暴力の側面を重視するか、正義の側面を重視するかで、「戰爭の是非」の問題は結論が異つて來ると思ひます。
また、事故の問題は單に過失の問題であり、一元的な問題です。戰爭の問題は、暴力と正義の問題であり、二元的な問題です。
人間は正義と云ふ事を氣にせずにはゐられないから、正義に基いて暴力に訴へる事は永遠に無くならない。だから戰爭は無くならない。もし戰爭を禁止するとしたら、正義に基いて暴力に訴へる事も禁止する事になるから、結局、正義を否定する事になる。
正義が原因となり得る戰爭と、過失が原因である事故とは、區別すべきだと思ひます。
蒼鳥樣、はじめまして。ネットで嫌はれてゐる野嵜です。
「正字正かなIMEプロジェクト」ですが、「私自身は何もしてゐない」と云ふ最低の状態でして。3年くらゐ、放置状態です。
ここの古い古い常連さんの羽織ゴロ助さんと云ふ方が、「こずゑ」と云ふJavaのIMEを作つて下さつてゐますが。
http://home.interlink.or.jp/~grayfox/treetop/index.html
私はせいぜい、「辭書はXML形式」とか「IMEのアルゴリズムはDTDで書ける」とかほざくだけで、何もしてゐません。
妄想と言へば、「日本語は膠着語だから、文節毎に變換すると云ふアイデアはをかしい」とか思つてゐるんですが如何なものでせうか。うちのWXGの附屬語辭書は凄まじい事になつてゐまして、大量の名詞を「連体形+」「拡張と+」「拡張に+」「拡張の+」で登録してあります。結果として、變換する度に「長い長い文節」が出現します。
パーサのアルゴリズムで辭書を解析してかなを漢字に變換するのではなく、辭書の側に「或語とその前後に接續すべき語の情報」を搭載して、それをもとにパーサが解釋して入力された文字列を整形して出力する、と云ふIMEは、出來ないものでせうか知らん。
素人(俺)の發想は怖い。
自覺がなかつたのですが、煽つてしまひました。
もつとも、人に「不快に思ふ」と言つたのですから私は惡いですね。
掲示板を殺伐とした雰圍氣にしてしまつてすみません。
某所のH/Nのままになってしまいました。
それはご了承ください。(苦笑)
はじめまして、蒼鳥 結来施(あおどり ゆきせ)と申します。
(話の途中で割り込んですみませんね・・・)
以前、某所でIME作成プロジェクトを起こして失敗した野郎です。
その後、それとは関係のないIMEの試作で騒動を起こしてコミュニティから自主退去。
気がついたら、ここに流れついていました。まあ、別H/Nを使おうと身元がバレバレですが、それはさておき・・・。
「正字正かなIMEプロジェクト」について。現在のところ、どのような進歩状況ですか?
私は最近までIMを試作していた経験もあります。それに、ほかの言語への移植と文節変換の導入を行う
予定もあり、いろいろと言語についても勉強もしたいですから。それに、私はしばらく行く方面もないです。
みつかるまでという条件がありますが、よろしければ、お手伝いしますか?
(私も、いろいろと修業の身。過度の期待はしないでくださいね)
ちなみに、試作が済んでいるIMEはskk subset相当のものです。
また、正字正かな変換は辞書(THn氏制作のもの)にて実装済です。
(といっても、最近、仕様を変更したため再変換が必要ですが・・・変換作業は30分以上かかるのよね)
その他いろいろと実装がなされていますが、皆さんの想像力にお任せします。
(え?妄想IM...間違いではないです...将来的にマスコット導入予定があります<苦笑)
では、何か縁がありましたらよろしくお願いいたします。
それと、もう一つ。連文節などの技術資料はhttp://www.ipsj.or.jp/から検索・購入が可能ですよ。
もっとも、9千円を超えてしまうようであれば入会したほうが安上がりという気がします。
(情報処理のバックナンバーはpdf形式で会員専用向けとして提供されています)
野嵜さんに質問。
「戰爭は無くならない」から「戰爭をしても良い」と理解していいのでしょうか?
事故は無くならないから事故を起こしても良い、殺人は無くならないから人を殺しても良いという次元のお話ではないでしゅおね?
人は信ずる正義のために人を殺めてることも認めるという意味でしょうか?ならば人殺しは無くならないが戦争はなくせるという命題は成立しえないのでしょうか?
あるいは、暴力を取り締まるにはそれ以上に強い暴力を用いるしかなく結局は暴力の行使自体を否定できないと言う意味でしょうか?でも行使する暴力を管理することはできるはずですよね?
戦争をする覚悟を持って戦争を管理すれば、結果として戦争をしないということと矛盾しないのではないかと思うのですがどうでしょう?
ほなほな
いつも読んでおります。最近私事で嫌な事が続いたのですが、その上たくろー氏や、つい氏のやうな人を見ると、やはり日本は滅びた方が良いのではと思へてきました。
googleで引つ掛からないやうにするには、「キーワードに含めない」に「闇黒日記」でも入れて検索しては如何。まあこれでは日記に言及しているページも撥ねられてしまひますが。
URL規制出切るブラウザがあつたやうな気もします。
あと、たくろーさんは、「読みたくない」ものなのに、何故それを「正しい現代文」にして「音声ブラウザがきちんと読み上げてくれる」やうにする事を薦めるのでせうか。
といふか、内容が気に入らないのに何故仮名遣ひにけちを付けるのでせうか。
「つい」@ actkyo005139.adsl.ppp.infoweb.ne.jpさんの文章も、頭の惡い不良つぽい文章で、襃められたものではないと存じますが如何。
気色わりー
この媚びた文章、めかけ根性で自主性のなさ、
おめぇ、死ねよ。
↓
恐れながら申し上げるのですが、たくろー樣が
>あなたはフリーソフトなど使わなくても良いですよ。作者さんに失礼ですから
といふお考へをお持ちの方ならば、無料でウェブサイトを公開してゐる方に失礼な事を言つてしまつたとお思ひになる事はないのでせうか。
無料であるとか、有料であるとか、さういふ事とあまり關係ないと私は思ふのですけれど。
初めての投稿で、「〜しなくて良いですよ。」と人に指示する姿勢と、「こんなの」と見下してゐる姿勢と、「タダ」とか「フリー」に固執してゐるやうな印象を不快に思ひます。
正しい現代文については、「私の國語教室」を一度お讀みになられる事を提案いたします。
正しい日本語の文章を適切に讀み上げないのは、音聲ブラウザ側の問題であり、音聲ブラウザにそのやうな問題の生ずるのは戰後の國語國字改革が原因です。
因果關係をきちんと把握して下さい。
> まあ、あなたはうちの日記を讀まなくても良いですよ。わらひ。
ええ。こんなのタダでも読みたくありませんので。
# google 何か検索すると、イヤでも引っ掛かるんですよ。
正しいHTMLの前に、音声ブラウザがきちんと読み上げてくれる、正しい現代文を勉強してくださいね。
ではさようなら。
再販制度に関するご意見、もっともだと思います。ただ、私はやはり文化を支えるためには、そのための制度を利用して利潤ばかりを追求する者があろうが、それをイデオロギーのためのストラテジーとして使うものがあろうが、制度自体は維持すべきだと思います。無論、そこに文化だけを保護するようなフィルターをかけることが可能ならそうすべきでしょうが、現実問題、そうはいきません。山本夏彦の言を待つまでもない、そんなフィルターをかけることが出来るのは、王侯貴族やら大地主が個で丸抱えする場合に限定されるのではありませんか。
メセナといったって、オーナー社長が単独で維持するならともかく、今日みるものの大半は雇われ社長の寄せ集めで作った組織ですからフィルターのかけようがありません。
ですから、王侯貴族やら大地主が消え去った今では、それを悪用する者があろうが、やはり文化を保護するような制度を作るほかないような気がしますが、いかがでしょうか。
> 結城樣
> http://www.beverage.co.jp/
> はアクセス出來るのですが、その先に行かうとすると、はじかれます。
確かにご指摘のとおりでした。はじかれることを確認しました。
失礼いたしました。
ソースを読んでみるとJavaScriptでチェックしているのですね。
JavaScriptをオフにしたらチェックを回避できますが、
JavaScriptをオンにしないとブラウズできない部分があるのでそれもまた駄目でした。
結城樣
http://www.beverage.co.jp/
はアクセス出來るのですが、その先に行かうとすると、はじかれます。
たくろー樣
えー、ezHTMLの作者さんは、當方その他の「HTML原理主義者」から指摘されて、サイト及びプログラムを修正したのですが。
また、私は、日記には正直な感想を書く事にしてゐるので、自己中心的で、自分を中心に地球が囘つてゐるかのやうに言つてゐるかのやうに見えるかも知れません。まあ、あなたはうちの日記を讀まなくても良いですよ。わらひ。
始めまして。日記読ませていただきました。特にHTMLエディタあたりを。
まるであなたを中心に地球が回っているような内容で腹立ちました。
ずいぶんと自己中な方だというのが正直な感想です。
あなたはフリーソフトなど使わなくても良いですよ。作者さんに失礼ですから。
http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/www/knowledge/ezHTML.html
あと、ezHTMLの作者さんサイトは現在100点になってますよ。訂正したらどうですか?
結城です。
いつも日記を読んでおります。
平成14年7月14日の日記への反応です。
Opera 6.03/Windows 2000で
http://www.beverage.co.jp/
にアクセスしましたが、attention.htmlに飛ばされることはありませんでした。
ちなみに、USER-AGENTはOperaで、JavaScriptもCookieもオフです。
参考まで。
下のは殆ど不完全リストと重なつてゐました。
今晩は。
高坂さん、toka3aki@プリンタ禍さん、野嵜さんのお話とても興味深く拝見してをりました。特別私の意見は持つてをりませんが、良い勉強をさせて頂く事が出來たやうに思ひ、感謝してをります。
ところで、
>養徳叢書の完全リストつて、どこかに轉がつてゐませんかねえ。
ここの↓
http://webopac2.ndl.go.jp/index.html
これを↓
http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MODE_M=1&SEARCH=1
利用させて貰つて、「タイトル中の單語」と云ふところに「養徳叢書」と入力して檢索してみますと、日本篇と外国篇合はせて、63件ほど出て來ました。
これは国立国会図書館さんが提供してをられるサーヴィスですが、他にも何か良いものがあるかもしれません。
參考までに書き込みさせていただきました。では。
ご返答頂いてゐたのですね。投稿してゐる時でしたので、氣が附きませんでした。
>おつしやる通りですが、「どう云ふ人が尊敬できる人で、どう云ふ人が變な人であるのか」を、世間一般の「保守派」の人々は政治主義的に決定してゐます。反日的であるか、親日的であるか、によつて、その人が立派であるかどうかはわかりません。
全く正論です。私も政治主義的にならないやうに心掛けたいと思ひます。金氏に關しては、立派な人かどうかわかりませんが、韓國の言説環境の中で個人的な決斷でやつてゐるのは凄いなあと思つてゐます。私としては、金氏の本は、日本の擁護のためといふより、若い韓國人の中から、日本と連携する選擇をした朝鮮民族の先人すなはち「親日派」を見直すといふ視點が現れたのが興味深いです。
>私の場合、遠くの人よりは、近くの人に興味があります。遠くの國のまともな人と「連携」をはかる――と言つても、遠くの人は所詮、遠くの人であります。
韓國の軍人さんとは「多少の縁」があるので、私は韓國軍を應援してゐますが、別に韓國が大好きだと云ふ譯でもありません。臺灣その他のアジア諸國の人には知合がゐないので、今のところ、特にどこかの國や國民を贔屓にしてゐると云ふ事もありません。
觀念的な思ひ入れに對するご忠告として伺ひました。
私は個人的には韓國・臺灣にごくごくわづかな縁がありますが、アジアの現代文化が私にとつては非常に面白いので、かういふものを作る奴らは一體どういふ連中なのだらうといふ關心が強いです。これはもう感覺的なものなので、アジア好きは仕方ありません。
>酒の席で、韓國の軍人さん相手に「日本は舊宗主國としての責任を果してゐない」舊宗主國が舊植民地に謝つちやいかん、云々とやらかした事があります。自分逹をかつて支配してゐた連中が今、醜態を晒してゐるんぢや、かつての被支配民族はやりきれない筈ですよ。
面白いですね。やはり軍人はインテリとは人となりが違ふのでせうね。かういふ言説が日本でも普通に見られるやうになつてもらひたいと思ひます。
今、戰爭すれば、韓國に負けるんぢやないですか。
toka3aki@プリンタ禍さん。
>中華思想という膨張する覇権主義に対抗しうる存在、という把握の可能性も捨てきれません。華僑を抑えてマレー人を優遇するマハティールは、その最たるものでしょう。あるいは、中共に指導された共産党に痛い目に遭わされたスハルトも。
さういふマキャベリ的な立場も理解しない譯ではありませんが、外國人との附合ひはさういふものばかりではないでせう。私は日本人のろくでなしより、外國人の尊敬できる人の方を上に置きます。これは國家の問題とは別のことで、外國人の友人の祖國と日本が戰爭になればお互ひに祖國のために戰はうといふことになるだけですが、それはそれ、これはこれです。
>そういった相手側の視点の欠落は、同一化か非同一化かという「究極の選択」に堕する可能性があります。ご注意くださいませ。
相手を見て交際せよ、といふことですね。ご忠告は大變ありがたく思ひます。
アジアと附合ふ場合に、【同一化か非同一化かという「究極の選択」に堕する】ことにならないやうにしたいと思ひますが(アメリカとの附合ひも同じですが)、もしぬきさしならないことになつた時には、自分に對して忠實な選擇をしたいと思ひます。それがどういふものかはその時にならなければわかりません。
いづれにしましても、あまりセコイ生き方はしたくないと思ひます。
野嵜さん、掲示板をお騷がせしまして、申し譯ありませんでした。
「北朝鮮にも親孝行の息子はゐるだらう」とは松原先生の御言葉です。
>アメリカ人の中に變な奴と尊敬できる奴がゐるやうに、支那や韓國にも變な奴と尊敬できる奴がゐるだらうと思つてゐます。これは國家ではなく個人の問題ですが。
おつしやる通りですが、「どう云ふ人が尊敬できる人で、どう云ふ人が變な人であるのか」を、世間一般の「保守派」の人々は政治主義的に決定してゐます。反日的であるか、親日的であるか、によつて、その人が立派であるかどうかはわかりません。
私の場合、遠くの人よりは、近くの人に興味があります。遠くの國のまともな人と「連携」をはかる――と言つても、遠くの人は所詮、遠くの人であります。
韓國の軍人さんとは「多少の縁」があるので、私は韓國軍を應援してゐますが、別に韓國が大好きだと云ふ譯でもありません。臺灣その他のアジア諸國の人には知合がゐないので、今のところ、特にどこかの國や國民を贔屓にしてゐると云ふ事もありません。
酒の席で、韓國の軍人さん相手に「日本は舊宗主國としての責任を果してゐない」舊宗主國が舊植民地に謝つちやいかん、云々とやらかした事があります。自分逹をかつて支配してゐた連中が今、醜態を晒してゐるんぢや、かつての被支配民族はやりきれない筈ですよ。
横レス失礼します。
>保守派の中には臺灣や東南アジアは友邦として扱つてゐる人が少なくありません。
中華思想という膨張する覇権主義に対抗しうる存在、という把握の可能性も捨てきれません。華僑を抑えてマレー人を優遇するマハティールは、その最たるものでしょう。あるいは、中共に指導された共産党に痛い目に遭わされたスハルトも。そういった相手側の視点の欠落は、同一化か非同一化かという「究極の選択」に堕する可能性があります。ご注意くださいませ。
>高坂さんに申し上げたいのだけれども、「アジアは一つ」と云ふテーゼは岡倉天心の口から出任せですから、支那だの韓國だのに變な期待をしても無駄です。
私もアジアは一つとは思つてはゐませんが、マスコミや知識人のをかし過ぎる言説は何とかならないものか、と思つてゐます。變な日本人よりまともな支那人や韓國人(もしゐるとすれば)の方が全然良いと思つてゐます。支那人や韓國人は先天的に駄目なのでせうか。
野嵜さんは「アジア」の中でも臺灣や東南アジアに就いては如何お考へですか。松原正先生のスタンスは存じ上げないのですが、保守派の中には臺灣や東南アジアは友邦として扱つてゐる人が少なくありません。
私が立脚するのはあくまで日本人の立場ですので、支那・韓國はもとより、アメリカであらうと臺灣であらうと外國は外國であると思つてゐます。
それと同時に、共感できる外國人とも連携したいと思つてゐます。アメリカ人の中に變な奴と尊敬できる奴がゐるやうに、支那や韓國にも變な奴と尊敬できる奴がゐるだらうと思つてゐます。これは國家ではなく個人の問題ですが。
宜しければ野嵜さんの外國に對するスタンスを教へて下さい。
サーヴァがメンテナンスをやつたせゐか、members.jcom.home.ne.jpに繋がらないのでここに書くけれども、プログラムのコードを一行一行liで表現しろなどと俺は言つてゐない。
高坂さんに申し上げたいのだけれども、「アジアは一つ」と云ふテーゼは岡倉天心の口から出任せですから、支那だの韓國だのに變な期待をしても無駄です。
弊誌サイトの「奇魂通信」にて、今週刊行される金完燮(キム・ワンソプ)氏の著書『親日派のための辯明』に就いて書きました。宜しければご覽下さい。
近代史に關心のある方にはぜひお讀み頂きたい一冊です。
歴史記述の受容における悲劇とは、むしろ、他者が共有する習慣というか物語的同一性に基づく歴史記述を、その他者の習慣を理解せずに、自己の習慣によって「誤読」するということのほうが、よほど問題ではあります。「三十万」の「誤読」は、その最たるものでしょう。
>そして、文章を通して、人は、事實よりもレトリックの方を、好んで學ぶものだ。結果として、自分の解釋を事實に見せかけるレトリックを、多くの日本人が、屡々無意識に使つてしまつてゐる。
確かに、歴史記述は結局はレトリックという筋立てですし。しかし、人々は筋立てされた物語的な言説でなければ共有しえませんし。もちろん、筋立てされた歴史記述を過去に実際に発生したという意味での「事実」とみなすこと自体、問題ではありますし。かといって、実際に発生したという意味での「事実」なるものを、神ならぬ我が身が実証主義的に知ることは不可能ですし。弱りましたね。
それより、元祖「バーチャルネットアイドル」の方は、最近いかがでしょうか。
pctips/www/HTMLPoint.html において、
h1の次にh3が出現してゐます。
ひばりが丘と池袋の書店では、5月初旬には店頭に並んでいました。HTML関連書籍だけでひとつ棚を取っている大き目の書店では、たいてい5月中は平積みだったように思います。ジュンク堂は例外でしたが。いい本だと思ったので、印象に残っています。もうほとんどの書店で平積みではなくなってしまったわけですが、これからも売れ続けてほしいと思います。
最近銀河英雄伝説を観ていて、つい。
http://www.ginei.com/
↑銀英伝のフィルムを修復・復元し、おまけとしてDVD化してるサイト
> http://win530.hoops.ne.jp/voice/voice05.html
> ここを讀んで初めて「2ちゃんねる」知つたのですが、ここのサイトの人はたくましいなと思ひました。
> 本名を出すつて、大變なことなのですね。
ここまですごいと、「ネタじゃないか?」「被害妄想?」と疑いたくなるけど、世の中広いからなあ。
野嵜さんは大丈夫ですか。
閉鎖騒動のとき、「闇黒日記の記述を手がかりにのじタンの住所をつきとめるんだ!」とか言ってる阿呆がいましたが。
>論点がずれるが、共産主義的を無前提に帝国主義的に結びつけるのはなぜか
>民主主義であれ共産主義であれ君主制であれ、それが自己の利益を追求していれば、むしろ自己の利益を追求することによって、いずれも外部からは帝国主義と揶揄されうるのではないだろうか。
えーと。しまりすさんは、私に何を御尋ねなのでせうか。既にしまりすさんは、全てを理解なさつてゐるではありませんか。
『ひとりでつくれるホームページHTML入門』のところ、dlの終了タグが抜けています。
>2ちゃんねるは共産主義的であり、それゆゑ外部に對して帝國主義的である、と言つたら
論点がずれるが、共産主義的を無前提に帝国主義的に結びつけるのはなぜか
民主主義であれ共産主義であれ君主制であれ、それが自己の利益を追求していれば、
むしろ自己の利益を追求することによって、いずれも外部からは帝国主義と揶揄されうる
のではないだろうか。
もっとも2ちゃんねるを擁護する意図はさらさらないのだが。
「2ちゃんねる」をあまり知らない私です。
http://win530.hoops.ne.jp/voice/voice05.html
ここを讀んで初めて「2ちゃんねる」知つたのですが、ここのサイトの人はたくましいなと思ひました。
本名を出すつて、大變なことなのですね。
2ちゃんねるは、その内部に於いて共産主義的であり、それゆゑ外部に對して帝國主義的である、と言つたらどうか。
>インターネットから民主主義を消滅させるものである
狂牛病が発生すると、我々の生命を守るためと称して、病気にかかっているという
だけの名目で牛を粛清し、何ら痛痒を感じない。
…民主主義がその構成員たる一般市民の権利を守るための装置であるならば、
その引き換えとして非構成員の権利を侵害するのはある意味宿命なのではないだろうか。
2ちゃんねるはその内部において民主主義的であるが、それゆえその外から眺めれば
非民主主義的なのだろうか。
民主主義を崩壊させる危険分子がそれ自体民主主義であった場合、「民主主義を崩壊させる」
という大義名分はどうなのか?
「しまりす」氏の「(無題)」、意味不明な内容です。
「!? 」氏の「???」の點々々々々々、これには絶句します。
ネット汚染には、迅速かつ果斷なる削除をお願ひします。
>バーチャルネットアイドル野嵜猫子の闇黒日記
>中身はそのまま
こわもてのおっさんのひらひらメイド服コスプレというビジュアルが浮かび、つい失笑
・・・・・・
林道義氏のHPに、
「サッカーの審判について 勝ち負けより大事なもの」と題した評論があり、大な反響があつたさうです。「日韓親善」と浮かれてゐるときではないでせう。小中華思想をどう克服するか、これが問題でせう。
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/
某會長との確執は、もはや現會員には知られてゐないんですかねえ。
韓日・日韓親善記念日制定促進運動の提唱
FIFAワールドカップ2002Korea-Japanの閉幕に伴い、鐵扇會では
両国国民ネット運動として以下の提唱及び展開を開始することとなり
ました。
皆様、ご高覧の上、ご支援・ご協力を賜れれば幸甚に存じます。
http://tetsusenkai.net/official/w-cup/2002/