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でもボクがスタイリッシュな「慇懃無礼」つまり「慇懃・なのに・無礼」という「ひと捻り」があるのに対し、野嵜さまや木村さまは シンプルな「非慇懃無礼」つまり「慇懃でなく・無礼」という「そのまんま」ですよね。この「そのまんま」であることを「誠実」だと か「正直」だとか「まっすぐ」だとか思っておられるようですが、そういうことなら人間より昆虫の方が「誠実」で「正直」で「まっ すぐ」だと思うんですが、いかがでしょうか?
ホランド篇
昆虫
スタイリッシュな慇懃無礼
アレクセイ篇
またもし、自作自演だったとしても、それを自分のサイトでやるのは自由です。これは当たり前でしょう?
管理権に基づき、当サイトの掲示板から、以下の「無断書き込み」を削除しました。
すでに掲示板への「立ち入り禁止」は通告済みです。
以後は書き込みをしないでください。
なんだか、すっごく信憑性に欠ける意見だけど、楽古堂さまのようなご自分に「欠けている部分」を持った人を『LIBRA』に招い た功績は、評価せざるをえないところでしょうね(笑)。でも、・・・考えてみれば、ボクだって長らくそういう役目を担っているわ けだからなあ。うんうん。
私が木村貴さまの掲示板『地獄の箴言』に書き込みをしたのは、当サイトの掲示板への「立ち入り禁止」の再通告と、これを無視してなされる野嵜さまの連続的な書き込みについての「削除の報告」に過ぎません。もういちど『地獄の箴言』をご覧になって下さいまし。
あと、アレクセイさんとホランドさんが同じリモートホストから書き込まれていたりした後が残っているのはかなり痛いのです が。別人格やるなら proxy 通すとか、最低限繋ぎ直すとかしないと。メールアドレスまで一緒だと、どんなに違うと言われても 同一人物にしか見えません。
ホランド、やつぱり變だよあんた 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 8月19日(日)08時00分48秒
よーく見てみたら、ホランドの「勝手讀み」が、騷動のはじまりぢやないか。笑ひ。
瓦礫の家(1) 投稿者:木村貴 投稿日: 7月20日(金)07時51分44秒
>皆さんの方がお詳しい中井英夫氏が、どこかで「小説は美神への供物。一句たりとも腐つてゐてはならない」(うろ覺えの爲、字句は不正確)と書いてゐましたね。要するにこれなのです。俗字新假名で書いても、論理的に書きさへすれば、意味は判ります。しかし文學とは、いやいや、凡そ文章とは、意味が判りさへすればそれで良いものでせうか。
「花園」の仁王像?(上) 投稿者:ホランド 投稿日: 7月22日(日)16時28分44秒
> おっしゃるとおり、鴎外が歴史的仮名遣いで書いた作品を、勝手に『「現代かなづかい」に改竄して出版する事』が決して好ましいことではなく、ある意味では『冒涜的な所行』だというのは、たしかにそのとおりだと思います。だけど、その論理で言うのなら「略字新かな」で書かれた中井英夫の文章を(カッコ書きの引用のかたちで)『「小説は美神への供物。一句たりとも腐つてゐてはならない」』と「歴史的仮名遣い」に勝手に改竄して記述するのも、道義的には同じことなのではないでしょうか? この場合、「歴史的仮名遣いの方が優れているから」という理屈は通 らないと思うんですけれど、どうなんでしょう?
「うろ覺えの爲、字句は不正確」と云ふ(「道義的義務」に基いた、笑ひ)註釋が附いた木村さんの「小説は美神への供物。一句たりとも腐つてゐてはならない」と云ふ文句を、ホランドが勝手に「引用」だと決め附けてゐるんぢやないの。
例示と引用とは別物。英語では、citeとquoteとを區別します。木村さんの「引用」は、正確さを要求されないciteに相當するものであり、例示と呼ばれるべきものです。この場合、木村さんの上げた中井の「文章」は、飽くまで木村さんの記憶に基いたものですから、引用と呼ばれるべきもの、或は、通常引用と呼ばれるものとは嚴密に區別されるものです。
すまん、これだけの事だつた。手を拔いて、「正字正かな論爭」なる一般論化された代物に馬鹿正直に附合つたこちらが惡かつた。原因は、ホランドの勘違ひだつたんだから、一般論にされた事自體が誤りだつたのだ。
「こだわり」ときましたね 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 8月19日(日)06時56分36秒
>でも、さすがは「美しい日本語」にこだわられる方ですよねー。着眼点が、ボクらとは違いますよ。
また、嫌みですか。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/kotoba/Kodahari.html
原則と例外 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 8月19日(日)07時35分01秒
「良い例外」と「悪い例外」とを、ホランドはいかなる權利があつて決定出來るのかね。そして、ホランドの言ふ「良い例外」「惡い例外」は、ホランドの個人的な餘りに個人的な價値觀に基いて決定されてゐるが、そのホランドの個人的な價値觀が一貫しないものであるならば、「例外の良し悪し」は恣意的或は御都合主義的に決定されてゐるに過ぎないのではないかね。
原則と例外と云ふホランドの理屈は尤もであるやうだが、例外を選別する際には再び原則が出現する、と云ふ事をホランドは失念してゐるやうである。
もつとも、例外の善し惡しを決定する原則にも當然例外がある、と云ふ「無限ループ」にホランドは逃げ込む積りかも知れないが。
ホランドの總括 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 8月19日(日)06時48分36秒
ここまで見てきたやうに、ホランドさまの「ご意見」といふのは、ご本人の自覺の有無にかかはりなく「強辯」と「詭辯」に滿ちた「不誠實」なものです。一見、ものわかりが良ささうで、謙虚に「反省」する人のやうに見えますが、本質的にはさうではありません。
なぜ、かういふことが起こるのかと言へば、それは頭の惡いホランドに、人並みの「煩惱(押さへ難い慾望)」があつて、それに振り囘されてゐるといふことなのだと思ひます。その「煩惱」とは、他人から「知的だと思はれたい」「柔軟性があると思はれたい」「謙虚だと思はれたい」「洗練されてゐるやうに思はれたい」といふ「正の見榮」と、「間違ひを認めたくない」「自分が煩惱によつて振り囘されてゐると認めたくない」「言ひ負かされたと認めたくない」と「負の見榮」といふ、本來兩立しないものを、無理に(論理破綻的に)兩立させた結果、惹起されたものだと思ひます。そしてこれは、頭の惡い人に「ありがち」な「人間的現象」なんだと思ひます。
……てのはどうだらう。
私はここまで、ホランドの「批評家生命をとる」つもりもなく、なまじの批判しか加へてはきませんでした。しかし、ホランドは頭の惡い人であつたために、「すぐに後附けの言ひ譯」をでつち上げて、それを自分に投げ與へてしまつたやうです。たしかに、それをされてしまつては、何のために批判したのかといふことになりますね。私も、いやでもホランドがご自分の「深層」と直面 せざるを得ないところまで、徹底的に「引きずり下ろし」てやらなければダメだつたのかも知れません。
>木村さまの「怠慢」の批判者であるボクが、同じ過ちを繰り返したのでは洒落になりません。だから「書けることは全部書いた」んです。それでも「憎まれ」たら諦めもつくという、ただそれだけのことです。
私は今まで、ホランドが「同じ過ちを繰り返し」てゐると云ふ「洒落にな」らない状況を、「批評家生命をとる」つもりもなく、適當に指摘してきたに過ぎない。
アレクセイに尋ねるが 投稿者:野嵜健秀 投稿日: 8月19日(日)06時37分00秒
>私とホランドが「同一人物か否か」というのは、私たちが最初からずっと意識的に続けてきた「お遊び」でございます。
「お遊び」はよろしいが、今の議論に於てこの「お遊び」は「惡いお遊び」であると思はれるが如何。
或は、この發言は「ホランド=アレクセイ」説が正しい事をアレクセイ自身が認めたものである、と思はれるが如何。そして、「ホランド=アレクセイ」と云ふ事實は、その事實の存在自體があなたの發言の根據を突崩してしまふのだが、それに對する責任をあなたはどう取る積りか。
