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正直この「福翁自伝」を読むまでは、福沢諭吉についてほとんど知りませんでした。このなかで特に感銘を受けたのは彼の卓越した時代を見る力と、世間の風習に流されない彼の他人とは違う彼の彼なりの信念を持った独特な考え方にです。 彼の風習に流されないところはまるで、福沢は現代人がタイムスリップしたかとも思うほどでありました。幼いときからお札を踏んでバチなんてないではないか、と試してみたり、当時の生活における基礎の基礎である『門閥』を親の敵だと言い放ち批判し、人は全て平等であると説くなど、これが本当に江戸時代の人の話かと思わされるほど、古さを感じさせません。時代が時代だけに福沢のような考え方は今以上に貴重なものだったのではないかと思います。 また福沢の時代を見る力、そしてそれを生かす努力にも感銘を受けました。英語がこれから先必ず必要だと思うと、『蘭学訳が出るのを待つという他人を横目に独学で英語を学んだ。』という話にもまして、あの時代に断行した『アメリカ、ヨーロッパへの海外旅行』のことが印象的でした。当時の人間にとって海外に行くということはまさに未知の世界への旅行といっても過言ではなかったはずなのに、そんな中、既に世界に目を向け、自分の強い意志で海外へ向かった福沢の判断は彼以外の何者にも出来ないことだと感じました。 今まで生きてきた周りの環境を捨て、即ち長く封建体制を引いていた日本の土壌を合理的な体制ではないと見切り、新しいものをすぐに採用するなど、なかなか出来ないことではないでしょうか。もっともこれが出来たから歴史に名を残す人になれたのかもしれません。 この自伝を通して『自分の知識をひけらかし、相手を試して楽しむ』若き頃の福沢諭吉、『相手が良いといっているのに律儀に定められたとおりの料金を支払う』嫌味なほど正直な福沢諭吉など、年表上の彼のイメージとは異なった彼を見ることも出来たことは良かったと思います。 福沢の生きた時代、開国、明治維新と日本が大きく変わろうとしていたその最中、時代の最先端に位置し乗り越えてきたのは福沢の時代を見る力の賜物によるものだったのでしょう。今、コンピューターを中心に今度は世界的規模で変わろうとしていますが、この時代を最先端に残り、乗り越えるためには福沢のような時代を見切る力が必要なのだと感じました。 |
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社会の上層部で生活している主人公が最下層の一家が住む家を追われて車の中で生活している真冬に凍死したことを知り、企業が自分たちの利益のためにホームレス達を見殺しにしても良いのか、と自答しホームレスのためにストリートロイヤーになる。そして、いままで自分の勤めていた法律事務所を相手に裁判を戦う。 資本主義社会では貧富の差が歴然としている。彼が辞める事になる法律事務所とストリートロイヤーとなって勤める事になる法律事務所は賃金の面だけでなく、使っている机、椅子、コーヒーまでが違う。私達が生活している中で、極端にまで違うレベルの生活を営んでいる人達と付き合う事はあまり無い。一流企業の社長さんの生活も知らなければ、生活保護を受けているような人達の生活も知らない。ここにはホームレスの生活が刻銘に記されているが、自分が想像していた以上のものであった。この本を通じてさまざまな種類の人間がいることを再認識させられた。 |
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イギリスは長い歴史の中でも自分たちの考え、町を保存していこうと考えた。他方日本は、文明開化以来、物凄い勢いで自分たち古来の町、考えをも捨てようとしてしまった、新しいものこそ良い、とされる日本の考え方とは違った一面である。 第一にイギリス人は自分たちの国に誇りを持っているようである。そのため景観に著しく悪影響を及ぼす建物はまだ新しくても取り壊される運命になるそうだ。まだ新しい高層住宅を取り壊し、路面電車を復活させるなどということもある。また、イギリスでは古くから『ナショナルトラスト』をはじめとする市民団体のようなものがあり、破壊されそうになる財産を守ってきた。非営利団体であり、売ったり、勝手に担保入れできないという特権(日本流に言うと制限)があるが、莫大な土地を保管し、完全にそのままの形で保管している。 歴史の古い日本にも京都、奈良をはじめとして国を代表する景観を持つ地域がたくさんある。それが、明治維新後、特に戦後数十年の間になくしてしまって良いのであろうか。日本人も建物は時とともに価値を失っていくものでなく、価値を増していくものであるという考えが必要ではないか。また、新しいものばかりを追っていくことよりも、国を代表する景観を保護することも必要であると思う。 |
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もともとグリシャムの作品はスピード感があり好きである。『依頼人』は偶然聞いてしまったマフィアの極秘情報をもった少年が『警察』と『マフィア』に情報目当てに狙われるという話であった。何も悪いことをしていない少年が警察に追われるという不思議な設定だが、少年にはその旨をあまり理解してもらえていなかったのだが、警察の強引な捜査の中にも少年に対する心遣いがあり今の日本の警察にはそれがあるのかどうかを考えさせられる。また、少年側にたった弁護士は奉仕意欲が旺盛で、わずか1ドルで弁護を引き受けてしまうほどである。人が人を信用することと、思いやることは何よりも大切なものであると思うので、この話は読んでいるときに何か嬉しかった。テレビ等によると日本人の思いやりがなくなりかけているという。ただ、コンビニなどに置いてある『有珠山災害義捐寄付金』のような募金箱が一杯になっているのをみると、昔の日本のことはあまり知らないが、みんな心のどこかで思っているんだ、と思ってしまう。 |
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中学校の国語の教科書で文章の内容等は覚えていないが、『星 新一』の本を読んだことがあった。それまで読書というものにほとんど興味が無かったのだが、これだけ読みやすいものがあることに驚いたことを覚えている。一つ一つのお話も短くて、ほとんどマンガを読んでいるいような気になることもあった。 発行年月日を見ると昭和五十七年とある、18年も前に書かれたこの作品だが、今読んでも古さを感じさせないところがすばらしい。これも時代の先を見る力なのか豊かな想像力の生み出すものなのわからないが、文章に表すことができないまでも、将来思い返して新鮮な雰囲気をもつことが出来る考え方を出来るようになるようになりたい。 |
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日本全国である一つの常識が崩れかけている。『警察への信頼感』である。これまで日本国を支えていた『警察』は全てウソ・不正で固められていたのだろうか。テレビ以外でこの問題に触れるのは初めてだった。私も車を運転しているので、交通事故は他人事ではない。実際、運転していて事故現場を目撃することもままある。だが、交通事故の処理について聞くことはめったにない。この本に通して書かれている警察の交通事故に対する処理のいい加減さにほとほとあきれてしまった。素人が見ても判るような事故の跡を見間違えて被害者を加害者としたり、死人に口無しとばかりに加害者の言葉を鵜呑みにして、事故報告書を作ったり、事故の原因にまだ疑いの余地のある段階で事故車両等の証拠品を処分してしまったなど、書き出しはじめたらきりがない。 ただ、幸いなことに人間がウソをついてもモノはウソをつかない。つまり事故車両・衣服に残ったキズ、血痕がある程度はっきり残っていれば、専門家の目はごまかせないらしい。もちろん事故を起こさないように気をつけるのが一番だが、事故は相手のほうから来ることもある。もし、万が一事故に遭ったときには警察の見解を鵜呑みにする事なく証拠品の保管を自ら率先して行い、納得いかないところがあれば専門家の意見を仰ぐことが今の警察の状態を考えるとベストなのではないであろうか。 |
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中日ドラゴンズ監督で日本一熱い男・星野仙一の自著。彼の熱い思いが165ページに集約されていた。中でも彼の監督特性ともいえるトレード等組織論には感動すら覚えた。かつての主砲大島康徳選手、大豊泰昭選手、落合博満選手からチームリーダーをも勤めた平野謙選手まで、トレードを活発に行う球団だけに裏話はおもしろかった。 この本以外にも、星野仙一が常にいいつづける巨人対抗意識が、自他ともに認めるドラゴンズファンであり、巨人嫌いである私にとってはこたえられない。 98年にドラゴンズに在籍した宮田投手コーチが体調不調を理由に退団を決意すると、その時アメリカに滞在していた星野仙一は急遽帰国を決意し、山田久志のもとをたずねた。実は山田久志には96ごろから巨人・中日が声をかけていた。 96年巨人が山田に声をかけた→山田が巨人を断る 中日が山田に声をかけた→山田が中日を断る 97年巨人が宮田を首にした→中日が宮田を獲得した 巨人が再度山田に声をかけた→山田が巨人を再度断った 98年中日で川上憲伸投手・野口茂樹投手が宮田コーチのもと見事開花 巨人が破格の待遇で中日で活躍した宮田を引き抜いた 巨人は再度宮田を首にすることができない→再度山田を誘えない 巨人はそれでも山田に声をかける→山田はそんなでたらめな人事に納得しない 中日が宮田の退団後に山田に声をかける 山田はついに中日の誘いを受けた 99年中日はダントツでの優勝を12球団最高のピッチングスタッフと12球団最高 の投手コーチで決める 星野仙一と山田久志の対談でどんな話をしたのかは知らないが、それまでかたくなに断っていた山田久志が『センさん、自分にやらせてください。力にならせてください。』と言い、星野仙一が涙を流したそうである。 プロ野球の世界というのはいわゆる体力でならしてきた男達の世界である。それだけ自己主張の強い世界において、男の魅力だけで引き付ける男・星野仙一、私は尊敬してやまない。 |
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とにかく驚きの連続の本だった。まず、今や生活に欠かすことの出来ないものとなったコンピューターの世界がわずか20年足らずでここまでの成長を成し遂げたこと。そして、それらの世界を動かす事業がアメリカシリコンバレーの数社を中心に限られた人の手によって作られてきていたという事実。一番重要なのは、そのコンピューター業界の波の驚異的なスピードにである。 コンピューター会社の中では古参の一つである『アップル』がWintel系の前に壊滅的打撃を受けたが、その理由は『アップル』が幾度かの経営判断を迫られたときに判断ミスを犯してきたからである。他の業界でもそうなのであろうが、コンピューター業界では一回波から外れると復帰は不可能に近い。それほど猛烈なスピードで動いているということなのだろう。 別に感銘を受けたのはコンピューター業界に関係ないのだが、アメリカの経営システム、特に『CEO』の存在である。アップルはそのCEOにコンピューターと縁も所縁も無い飲料水メーカー・ペプシコーラのCEOを持ってきたという。CEOというのは予定道理に業績が上がらなかったら任期途中にでも引責辞任を迫られるという非常に大きな責任を持っている代わりに数百万ドルともいわれる莫大な給料も約束されているというシステムである。CEOは特定の業種のみにしか精通していない人ではなく、多方面に精通している人でなくてはならない。この本の例では成功していないが、素晴らしいシステムであるとおもう。 |
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1985年の日航機墜落事故については当時小学校一年生であった私の記憶にはまったく残っていない。その後の話を含めてもプロ野球好きの私には『阪神の社長がなくなって阪神が優勝したんだっけ』と、話の転換に利用する程度のことくらいにしか思っていなかった。 会社のシステムはそれぞれの会社によって異なっているのだろうが、日本を代表する日本航空がこんなものであったとは。。サラリーマン社会は全てこんな腐りきった人たちばかりなのだろうか。それとも『恩地』がおかしかったのか。社会にまだ身をさらしていない私にはわからない。正直者がバカを見る典型的なノンフィクション。 |
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10.19の悲劇、1988年10月19日の川崎球場で行われた近鉄対ロッテのダブルヘッダーである。この年のパリーグの優勝争いは西武が独走していたが、秋口にかけて接戦に。結局このダブルヘッダーに近鉄が2連勝すれば大逆転優勝ということになっていた。小学四年生の私はドラゴンズの日本シリーズの相手となるだけに気が気でなかった。パリーグには時間制限というものがあり、延長の場合、4時間を越えて次のイニングに入らないという規定なのだが、それがとんでもないドラマをうみだした。1988年10月19日川崎球場、近鉄対ロッテの第26回戦 延長12回裏、もう勝ちのない近鉄ナインがグランドに向かう。文字だけでは語り尽くせないドラマがあった。 |
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過去には多くの名車を世に送り出し、トヨタ自動車とともに日本の経済を支えていた日産自動車も現在ではホンダ自動車に抜かれ、フランスのルノーの力を借りて再生しようとがんばっている最中である。トヨタと日産の違いはこの本を読む限り明白である。全産業を考えても、トヨタの経営は最優良経営であり、日産のそれは非常に危険な状態である。アップル同様、日産自動車は良い自動車を作ることにこだわりすぎて、消費者の要求を満たしきれなかった。マーケティング戦略の失敗である。 日産はルノーとの提携によって俗にいわれる400万台クラブの仲間入りを果たした。客層のダブらないよい提携だとはいわれているが、大幅リストラ以外ゴーン氏のアップの変なコマーシャルを見させられることくらいしか変わっていないような気がする。この本によると日産の技術は相当のものらしい。GT選手権等をみるとわかるがGT-Rはポルシェやバイパーのようなスーパーカーに負けていないし、撤退したもののルマンで見せた技術は世界トップクラスであった。 私が思う日産のウィークポイントはマーケティングの弱さとデザインの悪さである。マーケティングとデザインは重なる部分がおおい。現行R34型GT-Rのデザインはロボットのようで私は嫌いである。走り屋系の雑誌以外では酷評されつづけ、あれだけのポテンシャルをもっている車なのに国外輸出がほとんどされていないのも関係あるのではないだろうか。 なにわともあれ、技術と資本がそなわったルノー・日産はうまくいけば一流メーカーに返り咲くことは可能であると思う。個人的には良い車作りに熱中しすぎた技術者集団日産も嫌いではなかったが、これからの日産の復活に期待したい。 |
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福祉の街に必要なものはなんだろう。阪神大震災によって露呈された大都市の高齢者・障害者への冷たさを埋めるものが必要だ。だが、一番最初に変えなくてはならないのは市民への情報の提供である。バリアフリーの建物を作っても工夫が足りないと逆にそれがバリアになってしまうことだってある。例えば階段を使えない車椅子利用者用にスロープを作ってもそれが休憩場所なく20mも30mもあったらそれだけで誰も利用しないだろう。バリアフリーの建物も建築・設計・施工大抵の場合身体に不自由のない人たちによって行われる。必要なのは思いやりときちんとした情報である。 もう一つ重要なのは住民間の仲である。昔に比べて近所づきあいがなくなったといわれているが、阪神大震災によって近所づきあいが増え、それは大切だと感じた人が多くいた。近所づきあいが増えれば、引きこもりがちな高齢者も減り、寝たきり老人も減るだろう。しいては子供達の遊びも変わってくるはずである。テレビやテレビゲームだけの不健康な生活がおかしな"17歳"を生み出しているといわれているが、それも解決できるだろう。 |