Site hosted by Angelfire.com: Build your free website today!
最終更新:平成20年2月4日

「皇統の未来を守るオフ」開催履歴:第十一回〜第二十回

★第二十回★
★【皇統の未来を守るオフ20】天皇皇后両陛下大阪行幸啓奉迎★
開催日時平成19年8月25日(土曜日)正午集合
趣旨世界陸上大阪大会開会式御臨席のため大阪に行幸啓あらせられる天皇皇后両陛下を
奉迎する「天皇陛下奉迎大阪実行委員会」(会長:寺井種伯大阪天満宮宮司)の
奉迎行事に参加し、日の丸の小旗と提灯で両陛下を奉迎。
次第大阪府庁御視察を終えて出発される両陛下御料車を沿道にて日の丸の小旗でお見送り
〜某所で昼食を兼ねた用談会〜JR東西線「大阪天満宮」駅から同「新福島」駅へ電車移動
〜下福島公園〜両陛下の御宿泊場所(リーガロイヤルホテル)と堂島川を挟んで向かい合う
遊歩道にて提灯奉迎。

リーガロイヤルホテル
費用電車賃・飲食代適宜。
参加者は、初参加の方2名を含む13名でした。

当日は、まず正午に大阪府庁本館正面玄関と上町筋を挟んで向かい合う附近に集合し、府庁御視察を終えて出発される天皇皇后両陛下の御料車をお待ちしました。ご出発時間が近づくにつれ三々五々奉迎の方たちが集まり、園長先生に引率された幼稚園児の一団や、たまたま大阪城観光に来ていて駆けつけた人なども含め、およそ400名にまで膨れ上がりました。我々も奉迎実行委員会の方から日の丸の小旗を受け取るとともに、附近の通りすがりの方たちに旗を配って奉迎への参加を呼びかけました。

そうこうするうちに正面玄関車寄せに御料車が横付けされ、暫く後、天皇皇后両陛下が並んで正面玄関にお姿を現されました。「天皇陛下萬歳!天皇皇后両陛下萬歳!」の唱和がこだまし、幼稚園児たちも「バンジャーーイ!」と声を張りあげます。両陛下も御料車に乗り込まれる前に、道路を挟んだ我々に暫くの間お手を振って答えていただきました。

両陛下が乗り込まれた御料車は、車寄せを出たところで右折して我々が控える側の車線に入り、我々の前をゆっくり進行して行きます。後部座席の窓は全開され、手前にお掛けの皇后陛下、奥にお掛けの天皇陛下が、我々ひとりひとりにしっかり目を合わせながら通過されます。

小旗を振って車列を見送ったあとは、地下鉄天満橋駅に向かい、南森町まで移動してレストランにて昼食と休憩を兼ねた用談会を持ちました。

用談会ののち、JR東西線大阪天満宮駅から新福島駅へ移動、夜の提灯奉迎の集合場所である下福島公園に向かいます。公園には既に奉迎参加者が溢れています。その数、実に3000人。ここでも実行委員会の方から紅白ツートンカラーの提灯と豆電球を使った光源キットを受け取り、実行委員会からのご挨拶と諸注意のあと、いくつかの梯団に分かれて両陛下の御宿泊場所・リーガロイヤルホテルと堂島川を挟んで向かい合う遊歩道に向けて提灯行列が出発します。道々、緑の制服に身を包んだボーイスカウト、ガールスカウトの少年少女が警備にあたり、参加者に「こんばんは」と声を掛け、参加者たちも口々に「こんばんは。ご苦労様」と笑顔を返します。先頭の出発から最後尾の到着までおよそ40分、提灯の列は関電病院前から田蓑橋北詰にまで及びました。我々も玉江橋北詰附近に陣取り、「その時」を待ちます。

そして午後7時30分ちょうど、リーガロイヤルホテル大阪・タワーウィング「ザ・プレジデンシャルタワーズ」高層階の照明が全て消えたかと思った刹那二度点滅し、次の瞬間、ふたつの淡い光が見えました。天皇皇后両陛下が、我々が提げているのと同じ提灯を手にされ、窓辺にて御答礼下さっているのです。息を呑む一瞬の静寂ののち、「天皇陛下ばんざーーい!天皇皇后両陛下ばんざーーい!」の声が響き渡ります。そして両陛下の手にされているのであろう二つの小さな光は、ゆらゆらと上下左右に動きます。我々の萬歳の唱和にあわせて提灯を振って下さっているのです。

約十分間にわたり、萬歳の唱和と両陛下の御答礼が続いたあと、3000人の提灯団はその場で解散し帰路につきましたが、人々はみなひとしく笑顔で、JRや阪神電鉄の駅に向かう道すがら、手に日の丸の小旗や提灯を持った人と行き交えば、見知らぬ人であっても「今日はお疲れ様でした。お気をつけて」と声を掛け合う姿が見られました。

我々はその後大阪駅前の居酒屋で、実行委員会スタッフとして活躍された方もお迎えして、慰労・懇親会を開きました。





★第十九回★
★【皇統の未来を守るオフ19】山科掃苔行★
開催日時平成19年7月15日(日曜日)午後1時集合
順路地下鉄御陵駅〜天智天皇山科陵〜山科陵近辺祭祀遺構〜琵琶湖疏水〜毘沙門堂門跡
〜輪王寺宮墓地〜諸羽神社〜山科地蔵〜人康親王御墓〜京阪四宮駅〜三条木屋町で直会。

日時計毘沙門堂
内容(一)平安期以降も皇室の宗廟として祭祀が存続した天智天皇山科陵に参拝。
  近辺に残存する江戸期の山科陵祭祀遺構を探索し現地学習。
(二)毘沙門堂門跡を拝観・輪王寺宮墓地に参拝し、江戸期の三山管領宮についての現地学習。
(三)盲人職能集団の祖神・天夜尊として尊崇された人康親王の旧蹟を巡拝し現地学習。
費用毘沙門堂門跡拝観料500円。直会参加の方は電車賃・飲食代適宜。
前夜までの長雨・大雨が嘘のように晴れ渡った台風一過の清澄な空気の中、山科の地を訪れることができました。

参加者は、初参加の方1名を含む15名でした。

まず、地下鉄御陵駅から天智天皇山科陵に向かい、他の上古の陵墓の多くと違って一度も祭祀の途切れたことのない「皇室の宗廟」に参拝するとともに、天智天皇の御治世や仙人伝説等について学習しました。つづいて、同御陵近くに残存する江戸期の山科陵祭祀遺構を探索し、近代以前の陵墓祭祀について学習を深めました。

その後、山科陵から東に伸びる琵琶湖疏水沿いの遊歩道をそぞろ歩いて毘沙門堂門跡に至り、本堂・宸殿・霊殿・歴代輪王寺宮御手許品等を拝観し、江戸期の三山管領宮について各自学習しました。

つづいて、毘沙門堂門跡近くの山中にある輪王寺宮墓地(後西天皇皇子公辨親王墓・東山天皇皇子公寛親王爪塔・東山天皇皇孫公啓親王髪爪塔・東山天皇皇曾孫公璋親王髪爪塔・中御門天皇皇子公遵親王墓・靈元天皇皇曾孫舜仁親王髪爪塔・靈元天皇皇玄孫公紹親王髪爪塔・東山天皇皇曾孫公延親王墓・後伏見天皇十七世皇孫公澄親王墓・後伏見天皇十九世皇孫喜久宮墓・後伏見天皇十九世皇孫誠宮墓)に参拝しました。

ところが、宮墓地の参道石段が腐葉土状に朽ちた落ち葉に埋もれている現状を嘆いたある参加者から、「ちょっとでも掃除して行けないものだろうか」という声があがり、他の参加者も賛同して、宮墓地に隣接する民墓の共用箒をお借りして突発清掃奉仕を行うことになりました。それから数十分の間、全参加者が汗にまみれて黙々と清掃に取り組んだ結果、参道石段は我々が来たときとは見違えるように綺麗に掃き清められました。

ここまでで駅を出てから三時間以上が経過しており、疲れの色も見え始めていたところですが、仁明天皇皇子人康親王山荘跡と伝えられる諸羽神社に参詣し、親王が腰掛けて盲人らに琵琶を指南されたという「琵琶石」を拝し、つづいて京都六地蔵のひとつ山科地蔵徳林庵を訪れました。山科地蔵は、江戸期までは毎年二月に検校位を持つ者が集って琵琶を奏で、人康親王を弔った場所です。また地蔵堂の裏手に所在する蝉丸と人康親王の供養塔を拝し(蝉丸と人康親王をあわせ祀っているのは、盲目の琵琶奏者としてのつながり、また蝉丸が醍醐天皇皇子と伝えられていることのつながりでしょう)、鍼灸・按摩・琵琶法師といった盲人職能集団の祖神・天夜尊(あまよのみこと。雨夜命とも)として永く尊崇された人康親王について学習を深め、最後に親王の菩提を弔う十禅寺に隣接する人康親王御墓に参拝し、当日の全予定を無事終了致しました。

その後京阪四宮駅から三条に移動して直会を開きました。





★第十八回★
★【皇統の未来を守るオフ18】学習会「天皇体験−神なき世に問う我らの<保守>とは」★
開催日時平成19年6月17日(日曜日)午後1時〜5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)3階A棟3号室地図
大阪市立中央青年センター
テーマ草莽微賤の身でありながら、天皇陛下並びに皇室への敬慕の情已みがたく、昨年のじぎく
兵庫国体で天皇皇后両陛下、宮様方を奉迎させていただきました。そうしたご奉仕を通し
て得た感動と街頭での反応や現場の雰囲気についてお話しさせていただきたく思います。

巷間では耳を疑うような事件が頻発し、世相は何やら混迷の度を深めつつあるようですが、
皇室奉護の精神を堅持し我々一人一人が現代の正成公たらんと決然起つとき、八重雲はや
がて吹き放たれるでしょう。

参加者/先輩諸氏の活発なご意見を賜りながら、日本に生まれたことの幸せを実感し、和気
藹々たる議論ができれば幸甚です。(ナビゲーター談)

費用無料。懇親会参加者は飲食代適宜。
参加者は、お仕事等の都合で懇親会のみ間に合った方含めて18名でした。初参加の方は2名。

13時から始まった学習会では、ナビゲーターの方が実際に活動された「のじぎく兵庫国体」に際しての天皇皇后両陛下行幸啓奉迎活動や親王殿下御生誕奉祝活動を通じた“天皇体験”について、写真の映写を見ながらお話をうかがいました。

そうした実体験も踏まえて「<保守>とは何か?」を考察した末、「それは『敬神崇祖』である」という結論に至った経緯を語られたうえで、歌会始の御製・御歌を例示され、「現代に於いて『敬神崇祖』を体現される御存在が天皇皇后両陛下である」という所論を披瀝されました。

今回は、ナビゲーターの方が語られる実体験に触発されたのか、参加者の方々もそれぞれの“天皇体験”を口々に披露し、いつになく活発な議論が展開されました。

また席上、参加者の方から奈良みやげの柿の葉寿司が全員に振舞われました。ありがとうございました。

学習会終了後は、17時ごろから懇親会を開き、懇親を深めました。





★第十七回★
★【皇統の未来を守るオフ@神戸】大楠公御殉節六百七拾年大祭★
開催日時平成19年5月26日(土曜日)午後3時集合
開催場所湊川神社(神戸市中央区多聞通3-1-1)
楠公祭楠公祭
趣旨本年は、摂津国湊川に大楠公(楠木正成公)が御殉節された延元元年より
六百七十年目にあたり、御殉節の地・湊川神社に於いて「大楠公御殉節六百七拾年
大祭」が斎行されます。当大祭にあわせて修復工事の成った御社殿や、「嗚呼忠臣
楠子之墓」で知られる大楠公御墓所への参拝、大楠公御殉節地(戦歿地)や宝物殿、
楠公武者行列(神輿渡御)の拝観を通じて、大楠公不滅の尊皇精神を学ぶよすがと
したいと思います。
費用無料。但し賽銭・宝物殿拝観料(300円)等は各自負担。直会参加者は飲食代適宜。
参加者は、初参加の方4名を含む11名でした。初参加の4名はいずれも兵庫県在住の方です。

五月晴れの空の下、当日午後3時に湊川神社表門に集合し、楠公武者行列の還幸を待つ人々で賑わう境内へ。まず境内向かって右手の大楠公御墓所「嗚呼忠臣楠子之墓」に参拝し、同墓を建立された徳川光圀公の銅像を見学したのち拝殿に向かいましたが、ちょうどそこへ神輿を奉じた武者行列が還幸して来たため、武者行列と神輿還御の模様をしばし拝観。

武者行列が全て還ってきたあとは拝殿前が非常に混雑していたため、先に宝物殿に入ることとし、大楠公御真筆「法華経奥書」や伝大楠公御着用段威腹巻など大楠公所縁の品々や、狩野探幽、横山大観、棟方志功ら錚々たる大家の手になる美術作品等を拝観。

宝物殿を出るころには拝殿前の混雑も収まり、つい先日大修理が終わったばかりの御社殿に一同で参拝しました。そして、御社殿後方の大楠公御殉節地(楠木正成公戦歿之地)に進み、祭りで賑わう境内の喧騒が嘘のような森厳たる空気の中、大楠公不滅の尊皇精神を偲び黙祷を捧げました。

その後、様々な露店を物色しつつ境内をあとにし、JR神戸駅前の居酒屋で直会を開きました。





★第十六回★
★【皇統の未来を守るオフ16】学習会「御聖徳の本源としての皇統」★
開催日時平成19年4月21日(土曜日)午後1時〜5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)3階B棟第二研修室地図
大阪市立中央青年センター
テーマ先の皇室典範改定問題に際して「将来天皇の御位に即かれる方は、出来るだけ早い時期から帝王学を
学ばれることが必要」といった議論がありました。しかし天皇の御聖徳とは、「帝王学」
によって学習し得るものなのでしょうか? 御聖徳とは“個人的”な帝王学の成否に帰す
るに過ぎないのでしょうか? 今回は、単なる帝王学の範囲に留まらない「御聖徳」
について、連綿たる皇統との相関から考えていきたいと思います。
費用無料。懇親会参加者は交通費・飲食代適宜。
参加者は、初参加の方1名を含む13名でした。

13時すぎから始まった学習会は、先の皇室典範改定問題に際しての「将来天皇の御位に即かれる方は、出来るだけ早い時期から帝王学を学ばれることが必要」といった議論について、天皇の御聖徳とは「帝王学」によって学習し得るものなのか? 御聖徳とは“個人的”な帝王学の成否に帰するに過ぎないのか?との問題提起に始まり、昭和天皇や今上陛下が語られたお言葉をヒントとして参加者相互の意見交換を行うとともに、小室直樹氏などの所論を要約しつつナビゲーターの方が解説を付したレポートを元に学習を進めました。

ここでまたしても、昭和二十一年「年頭の詔書」が、“人間宣言”と誤り伝えられたことによる悪影響が論議に上り、この詔書に示された叡慮を拝察申し上げることが日本国民にとって大きな課題であることが改めて認識されました。

学習会終了後は、17時ごろから京橋駅前で懇親会を開き、初参加の方および既参加でも初対面の方々も含めて懇親を深めました。





★第十五回★
★【皇統の未来を守るオフ15】学習会「八瀬童子の歴史と現在」★
開催日時平成19年3月24日(土曜日)午後2時集合
開催場所京都市歴史資料館(京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町138-1)1階展示室
京都市歴史資料館
費用無料。懇親会参加者は交通費・飲食代適宜。
参加者は、初参加の方5名を含む16名でした(懇親会のみ参加の方含む)。

会場の京都市歴史資料館では、テーマ展「八瀬と八瀬童子」が開催中(5/27まで)であり、14時からその展示を見学しつつ、関係者の方から、八瀬童子と呼ばれる方々の現在の営みをはじめ、皇室と八瀬童子にまつわる様々なエピソード等、他では聞くことの出来ない貴重なお話をうかがいました。

テーマ展「八瀬と八瀬童子」の展示内容は、江戸期以前の年貢等免除特権に関する史料と、明治期以降の大喪・大礼への八瀬童子の関わりについての資料を中心とする構成でしたが、京都市歴史資料館編『八瀬童子会文書』(叢書・京都の史料4)を見ると、江戸期にも行幸啓時や御代替りの折に八瀬童子が輿丁などとして供奉した記録が少なからず存在しており、八瀬童子の皇室への供奉が“近代に創られた伝統”ではなく、前近代からの確固たる伝統に基づくものであることを確認いたしました。

さらに15時半ごろより近くのイタリアンカフェに場を移し、関係者の方から八瀬と八瀬童子についてのお話をうかがいました。

その後17時すぎに京阪電車で三条に移動して居酒屋で懇親会を開き、初対面の方を含め懇親を深めました。





★第十四回★
★【皇統の未来を守るオフ@紀元祭】★
開催日時平成19年2月11日(日曜日・建国記念の日)午前10時40分集合
開催場所橿原神宮〜神武天皇畝傍山東北陵〜等彌神社〜若桜神社(奈良県橿原市〜桜井市)
等彌神社
費用昼食代・交通費適宜。直会参加者は飲食代適宜。
参加者は途中参加や途中離脱の方も含めて15名。地元からご家族連れで顔を出していただいた方もいました。

当日午前10時40分に近鉄橿原神宮前駅に集合。私(彦十郎)があべの橋から乗った急行は「建国号」というヘッドマーク付きでした。午前11時から始まる紀元祭の祭典に間に合うよう、参拝者の人並みに混ざって、国旗を先頭に表参道を橿原神宮へ。電柱ごとに日章旗が掲げられた参道には露店が立ち並び、建国を祝うお祭気分がいやがうえにも高まってきます。少し遅れて来た方を待つため大鳥居の下に留まっていると、駐車場に並ぶ街宣車から降りてきた右翼団体が、ギャラリーや公安のフラッシュのなか次々に行進して行きます。我々も鳥居をくぐって参進すると、境内でも様々な政治団体や宗教団体が思い思いのアピールをしていました。色んな人に開かれた建国の聖地、といったところでしょうか。

外拝殿に到着し紀元祭の祭典を拝見していると、集合場所では会えなかった参加者も次々に合流。勅使参向の際には、拝殿に詰め掛けた人並みを分けるロープが即座に張りめぐらされ、皇室より奉献される御幣物とともに勅使が参進されました。その後、神楽奉納、国歌奉唱、「紀元節の歌」奉唱とすすみ、再びロープが張りめぐらされて勅使が退下され、12時をもって式典は終了。祭典のあとは、境内で奉納されている古武道や空手、銃剣道の演武・試合をしばらく見学したあと、橿原森林公苑を通って神武天皇畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)へ。橿原神宮と違って訪れる人もいたって少ない中一同参拝。参拝後、隣接する宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所を訪問し、御陵印を捺させていただきました。

その後、近鉄畝傍御陵前駅に移動し、13時すぎに一路桜井へ電車移動。桜井では、神武天皇の御名「神日本磐余彦尊」に因むという「磐余橋」を訪れたあと、ファミレスで昼食と休憩。昼食後、等彌神社へ向かいましたが、この神社は、『日本書紀』神武紀に、天皇が鳥見山に霊畤(まつりのには)をたて皇祖天津神を祀られた、とある故地で、延喜神名帳所載は勿論のこと、昭和十五年の皇紀二千六百年に際して縣社に列せられた、神武肇国の大業を今に伝える聖蹟の地です。苔生した石燈籠と丈高い杉木立が続く昼なお暗い参道を進むうち、荘厳な空気に気圧されたのか参加者はみな無口になっていきます。神威に圧倒されながらも参加者一同参拝を終えました。

等彌神社をあとにして桜井駅へ戻る途中、若桜神社にも参拝。村の鎮守さまといった趣の小さな神社であるにもかかわらず、社頭の由緒書を見ると御神徳の筆頭に「国家安泰」を掲げるあたり、ただならぬものを感じさせる古社でした。昨年御陵での清掃オフを行った履中天皇の皇居、磐余稚桜宮の推定地のひとつでもあります。

その後、17時前に桜井駅から大和八木駅に移動し、駅前の居酒屋で直会を開き、一日の行事を終了しました。





★第十三回★
★【皇統の未来を守るオフ13】学習会「WGIPにみるGHQの占領政策と日本人の皇室観」★
開催日時平成19年1月14日(日曜日)午後1時〜5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)3階A棟7号室地図
大阪市立中央青年センター
テーマ皇室典範の問題を初めとして、最近の日本における多くの問題(憲法、教育、拉致、自衛隊、道徳の崩壊等々)
が、その遠因を探っていくと、戦後GHQの占領政策に端を発していることに気付かざるを得ません。
そこで、今回は、GHQの占領政策、特にWGIP(War Guilt Information Program)と呼ばれる宣伝政策
によって歪められた日本人の歴史観、そして皇室観について、みなさまと共に学んでいきたいと思います。
費用無料。新年会参加者は飲食代適宜。
参加者は、初参加の方1名を含む11名でした。前年9月の提灯ウォーク以来久しぶりに来ていただいた方もいらっしゃいました。

13時すぎから始まった学習会では、GHQの文書や江藤淳著『閉ざされた言語空間』をテキストとして、終戦後の占領政策、特にWGIP(War Guilt Information Program)と呼ばれる宣伝政策について、その起源や具体的事例について学習しました。

(WGIPについては、右記のサイトを御参照下さい___WGIP広報局___

続いて昭和二十一年の「年頭の詔書」全文を奉読し、WGIPの統制下にあった当時の新聞がこの詔書をいかにゆがめて伝え、それが“人間宣言”などという、実態とは全くかけはなれた俗称で呼ばれるに至ったかという理解を共有しました。

学習会終了後は、17時ごろから森之宮駅前で新年会を開き、初参加の方も含めて懇親を深めました。席上、参加者の一人から舞鶴市の神社乗っ取り問題についての注意喚起があり、チラシを頂戴しましたことを特に申し添えておきます。





★第十二回★
★【皇統の未来を守るオフ@一周年】座談「この一年を振り返って」★
開催日時平成18年12月17日(日曜日)午後1時〜4時30分
開催場所大阪府私学教育文化会館(大阪市都島区網島町6-20)501号室地図
大阪府私学教育文化会館
テーマ昨年末の“有識者”会議報告書を契機とする皇統護持運動の高まり〜通常国会さなかの
秋篠宮妃殿下御懐妊発表〜新親王殿下御生誕による典範改定策動の(ひとまずの)挫折
に至る激動の一年と、これまでの活動を省察し、来る平成十九年の皇統護持や旧宮家復籍
活動のあり方を語りあいましょう。
費用無料。忘年会参加者は飲食代適宜。
参加者は、初参加の方1名を含む11名でした。

参加者の方から、京都の八ツ橋「夕子」がおみやげとして振舞われました。ありがとうございました。

13時すぎから始まった座談会では、戦前の皇室典範・皇室令の体系と較べて、現行の憲法・皇室典範体制下では、皇室の家法である皇室典範においてさえ天皇の御意志が反映される法的回路が存在しないことが根本的問題であり、皇統護持のためにはそうした法的回路(勅旨による皇室典範改正の発議権と裁可権)が必要であるとの問題提起がされ、来年からの皇統護持活動に向けての活発な意見交換がおこなわれました。

座談会終了後は、17時ごろから京橋の居酒屋で忘年会を開き、初参加の方も含めて懇親を深めました。





★第十一回★
★【皇統の未来を守るオフ11】学習会「日本人の皇室再認識のために」★
開催日時平成18年11月4日(土曜日)午後1時〜5時
開催場所大阪市立中央青年センター(大阪市中央区法円坂1-1-35)3階B棟第一研修室地図
大阪市立中央青年センター
テーマ知れば知るほど皇統護持派になる!日本人はまだまだ皇室のことを知らない。
皇室に興味がない、皇室のことをよく知らない、そんな人こそ一緒に勉強しましょう。
費用無料。懇親会参加者は飲食代適宜。
参加者は、初参加の方2名を含む9名でした。

当日、会場の大阪市立中央青年センターに隣接する難波宮跡公園では「四天王寺ワッソ」という在日韓国人系の祭が開催されていて、青年センター内にも民団の着替え用控え室などが用意されており、多くの「ワッソ」関係者が行き交い、「ワッソ」を歴史捏造イベントとして糾弾する右翼団体の街宣車も押しかける騒然とした雰囲気のなかでの開催となりました。

13時すぎから始まった勉強会は、海外での日本人のイメージを表わすジョークの話に始まり、海外での実体験も交えながら日本人の国民性について、その関連で「日本人とは何か?」というテーマ、(これまで初代の神武天皇がテーマになることが多かったことから、逆に直近の先帝陛下を、ということで)昭和天皇の数々のエピソード、旧11宮家の御動静など多岐にわたる論議が展開されました。今回は比較的少人数であることで、かえって全員参加で濃い話し合いができたようです。また、前日の明治神宮オフに参加した方から、明治神宮土産「胡麻大福」が参加者全員に振舞われました。

勉強会終了後は、17時すぎから近辺の居酒屋で懇親会を開き、初参加の方も含めて個人的懇親を深めました。

「皇統の未来を守るオフ」トップページに戻る
by 彦十郎