犯人と被害者の心的相互依存症
ストックホルム症候群

「ストックホルム症候群」とは、「被害者が犯人に、必要以上の同情や連帯感、好意などをもってしまうこと」を言います。これは、誘拐や監禁などで犯人と接触する時間が長い場合に起こります。警察関係者や周りに、一番誤解されてしまうことが多い症状なので、周りの考慮や配慮が重要になってきます。

ストックホルム症候群は、1973年に初めて「症候群」として認められました。ですから、研究史の浅い病気ということにもなってしまい、いまだに謎の部分がたくさんあります。
歴史的なストックホルム症候群
スウェーデン、ストックホルム発「銀行強盗事件」
1973年、ストックホルムの銀行を強盗が襲い、犯人は数人の人質をとって立てこもった。警官隊と何度も衝突をくり返し、人質が解放されたのは、事件発生から1週間後。

しかし、人質を解放した後、事件関係者は不思議なことに気づく。当然、犯人を憎むはずの人質が、口々に犯人をかばうような証言をするのだ。それだけではなく、「感謝されるはずの」警察を、侮辱するようなことさえ口にする。

そのうえ、事件が解決した後、人質の1人であった女性が、なんと、犯人グループの一人と結婚してしまう。これが、最初に有名になった「ストックホルム症候群」で、この症候群は、この事件から名付けられた。


アメリカ、カリフォルニア発「パトリシア・ハースト事件」
1974年、カリフォルニア州バークレーから、ひとりの女性が誘拐された。彼女は、サンフランシスコ・エグザミナー誌のオーナーである大富豪、ハースト氏の長女だった。彼女の名前は、パトリシア・ハースト。大学生だった彼女は、ボーイフレンドと住むアパートから、拉致されたのだった。

彼女を拉致したのは、「人民解放」を目的とする政治的グループ「SLA」だった。最初は、ただの人質として監禁されていた彼女だが、少しずつSLAのメンバーと交流するようになる。そして、ついには洗脳されて、SLAのメンバーとなり、銀行強盗を犯してしまうのだ。

監禁中にすっかり洗脳されて、SLAになってしまった彼女はFBIに逮捕され、その後、刑期を終了する。彼女に犯罪の責任はあるのか、など、裁判をめぐっていろいろな心理学説が台頭。パトリシア・ハーストさんは、ストックホルム症候群でもっとも有名になった女性でもあり、彼女の体験を描いた映画や本はベストセラーとなった。


日本発「新潟女性長期監禁事件」
1990年11月、当時小学校9歳の少女A子ちゃんが新潟県内で突然行方不明に。警察は公開捜査にも踏み切ったが、手がかりはなく、無残にも10年という歳月が過ぎていった。

 2000年1月28日、19歳になっていたA子さんが保護される。 最初は犯人からかなりの暴行を受けていたが、最後の方は、家の2階でならば自由に行動することができたという。ただ、彼女が監禁されていたのは、トイレも風呂もないという、とても過酷な環境だった。

なぜ彼女は逃げなかったのか?と彼女に問うことはできない。それこそが「ストックホルム症候群」だからだ。簡単に言うと、彼女は長い監禁生活と、予想もできない犯人の暴力行為のなかで「自分で行動する」という意思を奪われ、そしてその異常な生活は、幼い彼女のなかで「日常」と化してしまった。それが彼女の、サバイバル能力だったのだ。

ただ、彼女はストックホルム症候群の弊害にも負けず、気丈に生き続け、そして自由になることが出来た。この事件では、特に警察の行き届かなかった捜査も問題とされている。もっと詳しい状況が知りたい方は「心の散歩道」のサイトへどうぞ。


ストックホルム症候群の症状

警察、政府などに対する怒り


たいがいの犯人は、「怒り」を感じています。その「怒り」を証明するために、誘拐などの犯罪を犯すのです。被害者にとって、犯人の怒りや恐怖は、そのまま自分達の怒りや恐怖に思えてきます。

例えば、犯人が「警察が踏み込んできたら、人質を全部殺して自分も自決する」と公言していた場合、被害者にとっても、警察が踏むこんでくるシチュエーションは避けたいわけです。そのため、被害者のなかでも「警察=悪」という図式が出来上がってゆきます。犯人と被害者が共同体になってゆくにつれ、犯人にとっての「悪」は、被害者にとっても「悪」になってくるのです。

たいがい、このような怒りは、政府や国、警察、企業などの「権力組織」へ向けられることが多いでしょう。


犯人への同情、連帯感、愛情


被害者は、犯人と長い間接しているうちに、「犯人も、人間なんだからそんなに悪い人じゃないだろう」という気持ちになってきます。特に、誘拐、拉致された直後は、「殺される!」と恐れ慄いていていたわけですから、犯人が被害者に食物を与えたりするようになると、「生かしてくれるんだ!」と一気に、緊張がほぐれるのです。

また、監禁生活が長くなってくるにつれ、監禁生活自体に「日常性」というものが出てきます。朝ご飯を食べ、昼ご飯を食べ、犯人と将棋をさしたり、話をしたり、夕飯を食べる、という生活のスケジュールが出来てくるのです。そうなると、被害者にとっても、犯人にとっても、「監禁生活」という異常な状態が「日常」にすりかわってしまいます。

その異常な日常のなかで、被害者は犯人と交流をもち、犯人の子どもの頃の話を聞いたり、犯人の悩みを聞いたり、冗談を言って笑ったりするようになります。犯人のことを知れば知るほど、「なんだ、犯人だって人間らしい生活があって、子供時代もあったんじゃないか」という気持ちになり、犯人に親近感を覚えるようになるのです。

親近感が芽生えると(トラウマボンドが発生すると)、後は、異常な日常が「共同生活」に摩り替わります。合宿生活や寄宿舎生活で、生活をともにする者同士に愛情や同情がわくように、被害者も犯人に愛情や、同情を感じることになってしまいます。


Aimeeの ストックホルム症候群体験
ステージ 1 -事件発生時

犯人はAimeeの家に押し入ると、Aimeeの口をマスキングテープでふさぎ、手足を縛り上げ、レイプしました。

その間犯人は、私の姿を写真に撮り続けました(後で脅迫するためです)。Aimeeは、そのまま縛られ、自宅のベットに転がされてました。抵抗したり、暴れると、首を絞められ耳元に拳銃を突き付けられたのです。

Aimeeは、「殺される!」と思いました。ただ、ひたすら犯人の言うなりになっているしかありません。犯人は、Aimeeの部屋に篭城する予定だったらしく、たくさんの食物や飲み物を持って来ていました。電話線は切られ、窓のブラインドは閉められ、外の様子をうかがうこともできません。 Aimeeは、「このまま死ぬくらいなら、自殺した方がましだ!」と思いましたが、口をふさがれ、縛られていたのでどうすることもできませんでした。

犯人はまず、Aimeeに紙と鉛筆を渡し、それを私とのコミュニケーション手段としました。事件発生時、Aimeeは本気で「恐い、殺される」と思い、犯人の姿や言動に恐怖していました。

ステージ 2 -監禁中の生活


監禁生活も2日目になると、犯人も、Aimeeをトイレに連れてゆくのが面倒になり、Aimeeを自由にしてくれました。行動はいつも監視され、制限されていましたが、テレビを観たり、本を読んだりはできるようになりました。

  • 監禁中の日課は、こうです。

    • 朝、犯人が卵焼きとトーストの朝ご飯をつくり、私がコーヒーを煎れます。それから、午前は、犯人と私はテレビを観ながらギャラデリ・チョコレートを食べます。

    • 昼ご飯は、アボガドでグアカモレを作り、犯人が持ち込んだ大量のトーティラ・チップスを食べます。午後は、昼寝をしたり、犯人といろいろな話をしたり、カードゲームをしたり、歌を歌ったりします。(監禁生活というのは、異常に暇なのです)

    • 夜ご飯は、これも犯人が大量に持ち込んだ、冷凍食品と冷凍野菜を食べます。(犯人のくせに、Aimeeの健康に気をつかうのか、野菜を食べないと怒ります)

    • 寝るまでは、ひたすらテレビを観ながら、ワインを飲みます。監禁生活も終わりの方では、コンピュータのプログラムを一緒に組んだりしていました。

Aimeeと犯人は、だいぶお互いの事を知るようになりました。子どもの頃の話、受験のこと、高校で苦しかったことなど、誰にも話したことのない過去を、犯人には話すことが出来ました。お互い、誰よりも知り合えた仲のような気がして、Aimeeは恋愛問題なども犯人に聞いてもらっていた位です。

ステージ 3 - トラウマボンドの発生


犯人も、Aimeeに人生相談などをしてくるようになりました。離婚の事、子どもが誘拐されたこと、会社の倒産のこと、など、犯人の苦しみをAimeeも分かち合いました。犯人の話を聞いていると、「私たちは、社会の被害者だ」という気がしてきました。

この世には「搾取するもの」と「搾取されるもの」が居て、私たちは「搾取されている者」だということ。私たちが力をつけるには、「法律を上回る、自分だけのルールで世の中を統制しなくてはならない」ということ。お金持ちは「悪者」で、彼等から不法にお金を巻き上げるのは、正当防衛だということ。

犯人はこの時点で、身の代金誘拐の計画を打ち明けました。犯人は、「Aimeeを誘拐して、某企業の社長をしているAimeeのボーイフレンドから身の代金を取り、そのお金でメキシコへわたり、Aimeeと結婚して幸せにくらす」という、壮大な誘拐計画をたてていたのです。

犯人の過去に同情したAimeeは、「お金持ちからお金をとっても、しかたないよなあ」という気分になっていました。また、警察が踏み込んだら「犯人は集団自決をする」ことになっていたので、もちろん、警察には踏み込んで来てほしくありませんでした。

ステージ 4 - 事件終了直後


警察が踏み込んでくると同時に、Aimeeは犯人を逃がしました。Aimeeは、発作的に身近にあるものを警察官に投げつけ、「ワーワー」わめき散らしました。言葉がなぜが出てこなくて、錯乱状態になり、とにかく逃げた犯人の事が気がかりでした。

失語症になったAimeeは、コンピュータ画面にタイプする形で、事情聴取を受けました。犯人との連絡方法などを知っていたのに、犯人をかばうために「知らない!」と嘘をつきました。

その後、警察直下の精神病院に入院しましたが、監禁中の「平和な日常」を懐かしんでいました。また、犯人と暖かい日常に戻りたい、と思っていたのです。

退院した私は、更なる事情聴取をうけましたが、犯人をかばう「嘘の供述」をしてしまいました。その事が警察にばれ、Aimeeの「誘拐・監禁事件」は、Aimeeと犯人が共同ででっちあげた「狂言誘拐」だということになってしまいました。Aimeeと犯人が、共同でAimeeのボーイフレンドからお金を巻き上げようとしたというのです!

やはり警察は信じられない!そう思った私は、事件解決から2ヶ月後、今度は犯人と一緒に警察から追われる側となっていました。 Aimeeと犯人は、お互い秘密の暗号で連絡をとりあい、逃亡計画さえたててしまいました。だんだん、「警察や外部の人=悪」いう観念ができあがり、Aimeeは、犯人以外の人を誰も信用できなくなりました。

ステージ 5 - 事件終了から5年後


結局、事件はAimeeが日本に帰った時点で、一応終わりました。しかし、それからも犯人とは電子メール交換をしたりしていました。

今でも、たまに犯人のことを風の噂で耳にします。彼は、3年かけて、自分がなぜ犯行に及んだかを小説にし、それはアメリカの某出版社から文庫本として出版されるそうです。

犯人自身の中でも、生きてゆくための支えが、矛盾はしていますが「自分が犯した犯罪」の醍醐味のなかにあるような気がします。犯人は自分の犯罪を、本にし、頭のなかで何度も反復し、そして被害者である私を忘れようともせず、ただ影のようにAimeeの生活圏に存在することを望みます。

Aimeeが犯人と、その記憶から自由になるには、後十何年もの長い年月がかかってしまうのかもしれません。


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