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日本國憲法の問題點

憲法に天皇が裁けるか?

(1)天皇の地位は明かに一般國民と異なるものであり、天皇が國民であるならば「すべて國民は、法の下に平等であつて」(第14條)といふ條文に反します。また日本國憲法では天皇を「日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」(第1條)とし、天皇が國民であるとは書いてゐない。

(2)法は過去に遡つて適用する事は出來ないとされてゐます。ならば日本國憲法は先行する天皇制を裁く事は出來ない道理です。

(3)天皇制は憲法違反である事は(1)から見て明かですが、しかし(2)から見ればかかる違憲状態を作り出す憲法の方が異常であるといへます。

自衞隊は合憲か?

(1)「國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(第9條)といふ條文が「自衞戦争」は否定してゐないといふ主張がある。しかし自衞戰爭が「國際紛爭を解決する手段」でない譯がない。

(2)假に第9條の條文が自衞戰爭を認めるとしても、「日本國民は、恒久の平和を念願し、〜、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文)とあるのだから、「平和を愛する諸國民」が日本國民を指さないのであるならば日本國民の「自衞力」は否定される。

(3)自衞隊が(1)或は(2)の理由で違憲である事は明かですが、防衞は權利ではなく本能であり、否定されるべきものではありません。ならば自衞隊を違憲状態にしてゐる憲法が異常であるといへます。

(4)現在自衞隊が違憲状態で存續してゐるのは、日米安保條約があるからです。アメリカ合衆國憲法には「この憲法、これに準據して制定される合衆國の法律、および合衆國の權能をもつてすでに締結され、また將來締結されるすべての條約は、國の最高の法である」(第6條)といふ條文があり、日本國憲法にも「日本國が締結した條約及び確立された國際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」(第98條)といふ條文があります。だが、憲法の條文に反する條約をどう扱ふかが日本國憲法では定められてゐない。だから安保條約が憲法違反である事が問題になつてゐるのです。

基本的人權の日本國憲法に於ける根據は何か?

(1)日本國憲法に於ては、基本的人權がアプリオリにあるものとされてゐる。(第11條)

(2)大日本帝國憲法に於ては、臣民の權利は法律によつて規定されるとし(第2章)、天賦の人權ではないとする。しかしその法律は天皇といふ根據を持つてをり、(第6條)よつて臣民の權利は天皇といふ根據をもつてゐる。

(3)(1)に於ける基本的人權の根據が薄弱であるのは明かである。一方(2)の臣民の權利も薄弱である樣に見えるが、天皇は歴史に裏附けられた存在であり、その天皇の裏附けがあるのだから根據薄弱とは必ずしもいへない。

(4)(3)の樣な意見は天皇或は軍部の獨裁を招くから間違ひだといふ意見もあるが、それは法的見地に立つた意見ではなくイデオロギー的な意見に過ぎない。ちなみに「天皇主權に反する政治原理は認められなかつた」といふ解説がしばしばなされるが、天皇制に反對する事を認めないといふのは當時の憲法解釋であつたにすぎないといふ事を指摘するに留める。

言論の自由がそんなに大事か?

(1)これは餘談である。

(2)言論の自由があるから言論が發せられるのではない。好き勝手を言ふ者はいつの時代でもゐた。それを咎めるのが昔は國家であり、今は世論であるといふだけの違ひである。そして世論の方が當てになるかといふとさうでもないといふのは常識である。

(3)言論の自由がある今の方が、發言者が國家により殺される事がないといふメリットがあるといふが、發言者は何を言つても安心なのだから眞劍みをなくし、無責任になるといふデメリットがある。

(4)(3)の樣な事を言ふと「御前は殺される方がいいのか」と詰問される。しかし殺されたくないといふ人間の臆病さを正當化するのが言論の自由の本質である事がはしなくもその詰問で明かになる。言論の自由は積極的な自由ではなく消極的・防衞的な自由なのである。

1999.5.21

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