東北紀行
10月12日
【真夜中の出発】
東北行きが決まったのは9月の半ばで、その日程調整では連休を第一週と勘違いしてデートとバッティングさせるという不手際があったものの、なんとデートをずらして、東北行きを決行した。我ながら、涙の出そうな失敗である。
出発は金曜日の真夜中と決まっていた。しかしその週に限って、金曜日に浜松勤務と決定。その日は奇跡的に定時でヤマハを抜け出し、家に到着したのは午後8時半。時間調整はなんと、当日の21時に行った。なんでこう、危ない橋ばかり渡るかねえ、私は。
私は高円寺まで移動し、環状7号線を北上する村田君のランサーに乗せてもらう。今回の同行者は村田君と織田ちゃんである。いや、車も労働力も提供しない私が、2人に同行しているといったほうが正しいかもしれない。事実、私は後部座席で大半の時間を寝ていた。
野方で12時頃織田ちゃんを回収し、東北に向けて出発した。
【小岩井農場】
第一の目的地は、岩手県の小岩井農場である。村田君は、そこで良馬が産出されたという記録を見てみたかったらしい。
環七〜4号線を北上し、浦和で東北道に乗る。そこから、ひたすら高速道路を北上した。その距離500km。走行時間にして6時間である。私もがんばっておきていたのだが、黙って座っていると自然とまぶたが下がり…二人が運転している間、私は眠りこけていた。
小岩井農場には8時頃到着。しかし開園まで時間があったので、駐車場で仮眠を取った。(写真)
9時半頃むくりと起き上がり、小岩井農場に入った。中はすでに多くの人が入っていた。早速朝飯に、牛乳パンでも…と思いきや、食堂が全然やってない(写真)!しかもパンを売るところでは、お昼までパンが入らないという。
ふざけるな、と思いつつ、先に牛の飼育小屋と資料館へ行く。牛(写真)は小屋から外に出されているところで、これほど間近で牛を見られたのは感動的ですらあった。子牛(写真下)も外に出されていた。どんな動物でも、とにかく子供は可愛い。写真をとって帰った。
農場の資料館へ。そこには小岩井農場の歴史やら、牛の飼育に使われた道具やらが展示してあったが、村田君が望む馬の資料は、パネル2〜3枚しかなかった。仕方ない。何しろ、戦前の話なのだから。戦後はGHQとの交渉で、馬の飼育を止めることを条件に農場を存続させてもらったそうだ。村田君が非常に残念そうだったのも、仕方ないことである。
【シープドッグショー】
シープドッグショーを途中から見る。犬が羊(写真)を追い込むのだけど、いや、見事だった。羊も、追われるのになれているというか、群れる習性があのような行動を生むのだと思う。
その後、羊の放牧地に行って羊(写真下)をなでてみる。嫌がって逃げられた。悔しい。でも生で羊に触れて、かなりうれしかった。
羊が可愛いか、牛が可愛いかで議論する。羊は目が恐いと2人は言う。うーむ、そういわれれば目つきが悪いような気もする。魔女の絵にはかならずヤギの首が乗っかっているが、その絵にぴったりくるようなあくどい目つきである。しかしそれを補ってあまりあるあのやる気のなさそうな顔とふかふかした毛皮で、私はやはり羊に一票入れることにする。
結局私たちが農場にとどまっている間、パンは届かなかった。とりあえず牛乳だけ飲む。お土産を買い、小岩井農場を離れた。
農場の駐車場をはさんで向かいには、工芸品の店がある。すべてが木で作られていて、木でできたおもちゃや、きでできた楽器などがある。木のマウスパッドには引かれたが、大きさが大きすぎるのと、一枚2300円なのにあきらめた。
【えさし藤原の郷】
国道4号線を100kmほど南下し、NHKが大河ドラマのメインロケ地としてしばしば使っている、えさし藤原の郷を2年ぶりに訪れた。ここは何度訪れても面白い。よくできた建築物。もちろん撮影のためとわかっていても、その建物を目にするだけで大河ドラマのシーンが浮かんでくるから、ここは面白いのである。
それらの建物のうち、一部が回収されたり、取り除かれたりしていた。撮影に邪魔だったというのもあるだろうが、台風などでいくつかの建物が破損したりしたのではないだろうか?観光客に見せるに耐えないものが、撤去されたのでは?という私の予想は、恐らく現実にそれほど離れていないと思う。
今回は色々な撮影ポイントで、わざと撮影をやってみた。貴族の席に座ってみたり(写真)、弁慶の格好をして写真をとってみたり(写真下)。平安貴族の着物で写真をとるところは大人気で、私が写真をとれなかったのを、なぜか織田ちゃんと村田君が残念がっていた。なぜだ。
江刺市の郷土資料館にいく。展示は100円追加と思えない豪華なもので、重要文化財級の彫像の複製が所狭しと並べられていた。複製って言うところで100円追加で妥協したんだろうなあ、と思いつつ、でもこの展示内容は十分見ごたえがあるものだった。
特別展で中国古代の貨幣が並べられていた。昔ならともかく、今は春秋時代というとすぐに晋の国が思いつく。戦国時代というと秦の国だろう。そんなことを考えつつ、貨幣に国の名前が載っていないのが非常に悔しかった。しかも春秋時代の燕の通貨などというたわけた資料展示は、やめてもらいたいと思ったほどである。まあ、春秋時代に燕がなかったわけじゃないけどね。国威は蚊が鳴く程度である。
【鬼頭、旅館元湯】
郷土資料館から出たのが、17時前である。宿(写真)の到着は18時半と伝えてあったので、そこから大急ぎで鬼頭へ向かった。高速道路で4区間進み、そこから国道398号線を南西に向かう。国道といえど300番台はたいそうな山道で、街灯はほとんどないし、いってみれば真っ暗なくねくね道をひたすら進んだことになる。まあ一応国道というくらいで、舗装がしっかりしていたのは救いだったろうか。
あの曲がりくねった道でも信号がなかったのはメリットで、直線は80km、曲がりは50kmでぶっとばし、18時10分頃には鳴子峡へ到着した。見事というしかない。そこのコンビニで酒とつまみを買い込む。
鬼頭へは、再び暗いくねくね道が待っていた。しかも左がまったく見えず、一歩間違えば鳴子ダムへ転落するのではないかと、ひやひやものであった。途中道に迷いながらも鬼頭へ到着したのは、なんと18時45分だった。見事に2時間弱で到着したのである。
旅館で案内された部屋(写真、写真上)は、古いながらも清潔感のある、広めの部屋だった。旅館のおねーさんに風呂と飯をどちらを先にするかと聞かれたので、許されるなら風呂に先に入りたいと思い、その旨を告げた。そのまま風呂、のち飯となる。
風呂は、写真で見ると年季が入っていてちょっと心配だったが、こちらも古いながら清潔感があって快適だった。温泉の湯は2人は熱いといっていたが、私はちょうどよいと思った。温泉はやはり熱めのほうが心地よい。
そして7時半になるとさきほどのおねーさんがご飯に呼びにきてくれた。で、飯を食いに降りたわけだが、ご飯がめっちゃ豪華だった。海のもの、山のもの、そのおかずは10品を数える。記憶にあるものをあげてみれば、鮎の焼き魚、エビフライと野菜、なべ料理、豆腐、刺身、海鮮料理、茶碗蒸、ふきのとう系食い物、そば、きのこの味噌汁、白菜ときゅうりの漬物、それに白米といった具合である。一皿がどんなに少ないといっても、これは食えないって。私は2品を残して、ギブアップした。
結局その日は、買い込んだおつまみをつまむどころではなかった。私はのどが渇いていたので買ったアルコールを口にしてしまい、そのまま倒れて寝てしまった。
【本日の足取り】
旅行記INDEXへ
10月13日の日記へ