Site hosted by Angelfire.com: Build your free website today!

武川村の神代桜

04月12日

【出発前夜】

武川村(むかわむら)は、樹齢1800年の神代桜(じんだいざくら)で有名である。私は村田君、織田ちゃんといういつものメンツでその桜を見に行こうという話をしていて、私もそれをすごく楽しみにしていた。
しかし、その週は、いろいろと悪い条件が重なる。
まず、仕事がスケジュール通りの進んでいない。休出してカバーしたいという衝動に駆られる。落ち着いて休めないんである。
次に、ゴールデンウィークの飛行機が、SARSの影響かなんだか知らないが、突然キャンセルになった。かなりショックである。
そこへ村田君から、仕事仲間の送別会で捕まって終電を逃したというメールが入る。…正直、徹夜明けの人間に運転させない方がいいんじゃないだろうか。
まあいろいろな条件が重なり、私の気持ちはかなり旅行キャンセルの方向に走っていた。しかしまあ2人ともこの日のために予定を調整していたわけだし、私だけさぼるわけにもいかないだろう…。そう考え、村田君から徹夜明けで悲鳴が上がるのを、実は期待していたりした。
しかし残念ながら村田君は実にタフなやつだった。朝8時、定刻通り車に乗って東中野に現れる。
そのまま織田ちゃんを回収し、山梨県に向かう。
私の気分は沈んだままである。それで二人には少し心配をかけてしまったが、私の性癖からしてすぐに立ち直ることはできなかった。

【猿橋】

土曜日の朝の道路は快適である。少し混み合うことを見込まなければ…と話し合っていたのに、実はすいすい流れる。まあ一部、おじーちゃんの軽トラが先頭をふさいでいたことはあったが、そんなのはほんの一部区間にすぎない。山梨県大月市の西の方にある「猿橋」(写真)に、出発後2時間くらいして、到着した。
猿橋はなぜ猿橋と呼ばれているかというのは、猿が藤づるを利用して対岸に往来する谷渡りにヒントを得て設計架橋したから…というのはすでに伝説にすぎなかったりする。まあとにかく昔から、この橋は猿橋と呼ばれているのである。昔というのは平安時代の和歌に詠まれているくらい、昔である。
猿橋(写真)は甲州街道のすぐ近くにある。信号を右手(北)に曲がってすぐ、茶屋の前に自動車を止めれば猿橋が見える。
この猿橋、岩国の錦帯橋などと並び、三大奇橋と呼ばれているらしい。いや、実に初耳である。日本三景と日本三大美林は聞いたことがあるが、奇橋ねえ…。錦帯橋を見に行ったことはあるが、それが三大奇橋だとは一言も聞いたことがなかった。むう、実にマイナーなうたい文句である。
猿橋の見所は、橋脚を使わず、肘木けた式の橋になっていることである(写真)。見慣れない木の組み上げ方をしていて、当時はどうやってこれを設置したんだか…と考えてしまう。
猿橋の下はきれいな渓谷になっているらしく、階段を下に降りてみる。
岩に囲まれた流れ(写真)は一つの絵になっているのは確かだが、水がきれいかどうかはまた疑問である。なんだかみずが透明じゃなくて、すこし青緑色をしている。まあきれいそうではあるが、清流じゃないよなあ、と思う。地元呉市の清流、大屋川を知っているだけに。
しばらくぼーっと川を眺めて過ごす。川沿いは風が冷たくて気持ちがいい。
階段の上に戻る。今度は、橋を渡ってみることにした。少なくとも最後に掛け替えられたのは200年以上前ということだが、かなりしっかりした橋である。とりあえず写真など撮っておく。
向かいの茶屋で店のおっちゃんが狙い澄ましたように鮎を焼き始めた。私はかなり食ってみたい衝動に駆られたが、猿橋の由来を読んでいる間におっちゃんは店に引っ込んでしまった。結局鮎は食えずじまいのまま、猿橋を後にする。

【道の駅 甲斐大和】

私の気分は、猿橋でかなり上向いてきた。今回が最後であろうランサー(写真)に乗り、次の目的地、道の駅「甲斐大和」へ向かう。村田君のランサーは、このゴールデンウィークで実家の妹さんに譲る予定なのである。(後日談:実際には村田君は帰省できなかったが…。)大月市から先に向かう道も、これといった混雑はない。
道の駅は新笹子トンネルを突破したところにある。ここは道の駅ながら、地元名産の舞茸そば、舞茸ご飯がうまいとのことである。村田君と織田ちゃんは以前ここにきたことがあり、味の方は調査済みである。
ランサーを駐車場に止め、食堂で舞茸そばを注文する。2人は二度目、私は初のチャレンジであったが、これがいける。特に舞茸は、申し訳程度にのっている松茸ご飯などとは違い、これでもかといわんばかりにそばに盛り込んである。見た目、舞茸が多いなあという気がするのだが、表面の舞茸を食い終わって底をあさってみると、さらに舞茸が出てくる。どんな食いしん坊も満足な一品である。おすすめ。
昼飯を食い終わると、武川村に向かって車を走らせる。途中、甲府市の付近では桃の花が見事であった。畑に、白とピンクの花が咲き誇る。薄曇りでなければもっとよかったのだが、そこまで贅沢は言うまい。

【武川村の神代桜】

甲府市を突破し武川村に着いたのは、2時過ぎであった。霧雨が降る中、実相寺の駐車場に到着する。ホームページによると、神代桜はちょうど私たちが訪れた4/12頃が見頃のはずだった。そして実際に見る神代桜は、私が予想しているよりもずっとくたびれていたものの、満開の花を咲かせていた(写真)。
神代桜の横からお寺にはいることはできたが、私たちはあえてお寺の正門に回った。神代桜だけではなく、ほかの桜も見頃である。そんな桜の列の中、このお寺ではもう一つの見所、身延山のしだれ桜(写真)が目に入る。私は桜というとソメイヨシノしか頭になかったのだが、しだれ桜というものをここで初めて認識するのであった。
美しいしだれ桜をあとに、さらに寺の奥に進む。本堂があったので私たちはお参りをした。3人とも日蓮宗ではなかったけれど、この際細かいことは気にしないようにしよう。
そして再び、今度は反対側から、神代桜へ(写真)。神代桜は長い樹齢がたたっているのか、明らかに弱っているようである。そのため実相寺は、側道の自動車の通行を禁止した(写真下)。排気ガスによる桜への影響を心配したらしい。それほど私の目にも、この桜は頼りなく見えた。
桜は中央の幹から多数の枝が伸びているのではなく、すでに中央の幹は枯れ、枝の一本が幹のごとく太くなって、そこからさらに枝が伸びて花を咲かせているという状況である。一応花見なのだが、むしろ歴史を見守り続けてきた桜に敬意を払いたい気持ちになり、私はしばらく雨の中、桜の前でたたずんだ。

【桜のない桜並木】

しばらくして桜の前を離れると、今度は売店に寄ってみる。このシーズンは観光客も多く、村も露店を出しているのである。
私は桜餅を買おうと思うが、残念ながら売れ切れ。代わりに、といっては何だが、おいしそうだったのでついイワナの塩焼きを買ってしまった。実は私は川魚をほとんど食べたことがない。焼きたてのイワナなど当然食べたことがないのである。
しかしこれが、うまい!この旅ではとことん、食い物には恵まれていた。私たち3人は雨を避けつつ、イワナを頬ばる。
イワナを食べ終えると、私たちは次の目的地に向かうことにした。桃の白い花が、やはりこのあたりでも咲き乱れている。4月上旬の山梨は、いいかもしれないと思った。
武川村には神代桜と別に、桜並木がある。私たちは実相寺を後にして、その桜並木に向かった。細い道を進んで途中道を間違えるも、なんとか桜並木に到着…したはずなのだが、私たちは本当に桜並木にきたのか、と目を疑った。桜が一つも咲いていないのである。
山梨県は山の中にあるため標高も高く、当然春の気温も低い。その低い気温のため、村の中心はともかく、少し標高が高くなっているところは桜が咲いていなかったと思われる。しかし道の両側は間違いなく桜の木であり、神代桜の次のシーズンに客を取るための客引きパンダなのでは、などと推測してみたりした。

【舞鶴松】

樹齢1800年の桜には及ばないものの、武川村の名物の一つに、樹齢450年の舞鶴松(写真)がある。私は松の木がふつうどのくらい生きるのか知らないが、450年前というと戦国時代まっただ中。中国では明帝国が末期にさしかかり、ヨーロッパではスペインが絶頂期を迎える。そんな時代から甲斐の国に育ってきたこの松は、実は武田信玄に関係があるのでは、と思ってしまう。
松がある萬休寺への道は、少しわかりにくい。私たちは少し遠回りをしながら、寺に到着する。
私たちは駐車場に車をとめると、寺の境内に足を踏み入れた。巨大な松がきれいに刈り込まれて、庭園の中央に鎮座している。私は松というとぐっと上に伸びているイメージがあったのだが、この松はずずっと横に広がっていた。しかも枝の重さが自分で支えられないものだから、枝の下に人工的な支えが設置してある。それは神代桜と同じである。
なんだかこの松はまだまだ生き生きしているように見えた。人がこまめに手を入れた結果だろうか。樹齢450年とも思えず、これからも長く生きていく松のように思える。
一応、お寺の本堂に向かう。ここは珍しくも曹洞宗(禅宗)の寺だった。本堂の手前にある手洗い所に記されたメモ書きというか、そういったものが面白かった。
「子供は親の言うとおりにはならないが、親のするとおりになる」
うーむ、なかなか名文句である。
私たちは本堂でお参りをした後、萬休寺を後にした。

【神田の大イトザクラ】

武川村の隣になるが、小淵沢町(こぶちざわちょう)に大きなしだれ桜「神田の大イトザクラ」(写真)があるという。私たちは次に、それを見に行くことにした。
車を走らせること30分。国道をはずれて細い道に入り、中央線を越えるとその桜は見つかった。一瞬、それが桜と分からなかった。曇り空であたりが暗かったというのもある。私が普段見慣れないしだれ桜だったというのもある。しかし何より、花が一つも咲いていなかったので、それがただの柳か何かに見えてしまったのである。
ここでも開花が遅かったのは、おそらくここが高地に位置するからだと思われる。たぶん、桜並木と同じくらいに、花が咲き乱れるのだろう。
車を道の横に止めようとしたとき、後ろから車が近づいていることに気づく。しかも駐車場とおぼしきところにもロープが張ってある。私たちは車を降りることもなく、大きなしだれ桜を横目に見ながら、小淵沢町を去ることにした。

【村の駅】

私たちは武川村に戻り、国道20号沿いにある「村の駅」に向かった。ここは武川村の名産品が売られている場所で、なぜか道の駅ではなく「村の駅」である。
しかしたどり着いてみて、その理由を把握した。駐車場と売店とコンビニはあるものの、そんなに大きなトラックは何台も入れないし、食堂もない。ただ、トイレとコンビニがあるので普通車が休憩する分には十分な場所だった。
私はもとより土産をここで買うつもりだったので、売店に入るや桜餅を探す。桜餅は、すぐ見つかった。しかしその探す途中で、私はいろいろ面白いものまで見つけてしまった。普段見慣れないもので思わず買ってしまったのは、イノシシカレー(写真)と農林48号である。イノシシ肉なんて生まれてこの方食ったこともないし、農林48号なんてなんだか農薬みたいな名前だ。眠っている炊飯器を引っ張り出して、近々食ってみることにしよう。
桜餅は餅に桜を練り込んだもので、端午の節句あたりで食べる桜餅よりは二回り小さい。偽物の桜の葉にくるまれた、おみやげに最適な大きさ(保存期間も)の餅である。

【温泉「武川の湯」】

武川村では温泉にはいることもできる。私たちは、時間があったら寄ってみようと話していたのだが、日が落ちる前にすべての用事を済ますことができたし、温泉にも寄ることにした。
温泉「武川の湯」はまだ新しい。まだ新しいのもあり、それに村に娯楽が少ないのもあっただろう、第一、第二駐車場はいっぱいだった。私たちは第三駐車場に車を止め、温泉に向かう。
温泉といっても、まあスーパー銭湯である。ふつうの風呂に、檜風呂、サウナ…といった感じで、露天風呂があるのはスーパー銭湯より少しよかったかもしれない。私たちは温泉の効能に浸った気持ちになり、風呂をあがる。
風呂の外には、くつろげる座敷とテーブルが用意されている。私はそこでフルーツ牛乳など飲みつつ、何気なくテレビを見る。なんと、鉄腕アトムがアニメでやっているではないか。手塚さん不在だと言うに。
手塚さんが作ったわけではない「アストロボーイ鉄腕アトム」は手塚さんが伝えようとしていたメッセージを、子供たちに伝えられるのだろうか?

【ほうとう】

風呂をあがってしばらくくつろぐと、私たちは帰路についた。晩飯はほうとうにしようと話をする。
ほうとうは武田信玄が戦時食として工夫したものを現在まで受け継いでいるもので、カボチャベースのうどんの鍋物のようなものだ。私は未だかつて、ほうとうを食べたことがない。
国道20号沿いに車を走らせ、甲府市に入る。いくらかほうとうを扱う店を見つけたが、甲府のほうとうチェーン店か、そば屋がやっているほうとうかどちらかだった。結局、ほうとうチェーン店「小作」に入ることにする。
メニューを見せてもらうと、そこには何種類ものほうとうが載っていた。基本のカボチャほうとうに続いて、鶏肉をつっこんだほうとうや、熊肉を入れたほうとうまである。しかし私は甲府人がふつーに食べるであろうカボチャほうとうを、食べてみることにした。
注文してしばらくして、ほうとうが用意される。意外なほど早いのは、すべてベースが同じで加えて入れる具が異なるだけだからだろう。
鍋は、テーブルの上に直接置かれる。テーブルが一部ひび割れたように変色しているのは、このせいだと思われる。
具と麺を少しずつすくって食べる。熱いからたくさんは食べられないのである。しかし、うまい!カボチャがたくさん入っていることが私の評価を押し上げているのは間違いないが、それにしてもこの味はみんな納得できる味なのではないだろうか。
さらに量も結構ある。はっきり言って、油断しているとすべて食べられない人も出ると思われる。
私たちは満足して、店を出ることにした。

【霧の迂回ルート】

帰り道、織田ちゃんが有名な迂回ルートを通ってみたいと言い始めた。私も新しい道の開発は好きなので、一も二もなく同意する。村田君はほうとうの店を出て以来、後部座席でダウンである。
迂回ルートは大月市に入る手前から南下して県道24号線に入り、そのつきあたりから国道413号に入り、そのまま橋本市まで東進するルートである。この迂回ルートを、別名「道志みち」というらしい。
大月市の手前(猿橋の手前)から国道139号線に入る。この道は国道の100番台のくせに、工事中で道があまりよくなかった。とはいえ、ふつーに車が走ることができたのでまあよかった。
問題は、県道35号線である。お、有名な道だけあって、結構道がいいじゃん、と思ったのもつかの間、あたりを白い濃霧が覆い始める。ミルクを流したような霧、というのはこういうのを指すのだろうか。県道に入って15分ほどすると、ほぼ視界がなくなる。5M先まで見通すのは、ほぼ無理である。対向車がきたり、道が急激に曲がっていたりしたらそれだけでアウトだ。
さらに悪いことに、道の脇に雪の固まりが見える。おそらく冬に降ったのが解けずに残ったのだろうが(実際温度はそこまで低くなかったが)、路面氷結によるスリップの危険性に対して恐怖感が高まる。
織田ちゃんの運転は、いつになく慎重になる。運転から、私の方にも緊張がびりびり伝わってくる。無理もない。こんな危険な状況で、さらに同乗者2人の命を預かっているのだから。
しかしこんな中でも好条件だったといえば、道路がしっかりと整備されていたこと。そして対向車が全然来なかったことである。対向車が時々きていたりしたら、対向車に気をとられて事故る確率が高まっていたかもしれない。
濃霧の道を走ること1時間。ようやく県道を抜け出した。国道に近づく頃は霧も収まり、夜間の暗闇をのぞけばドライブは快適になっていた。
織田ちゃんは霧で参ってしまったらしい。国道にはいると、適当なところで村田君と運転を交代した。お疲れ様でした。
その後は特に問題もなく、国道20号線に再び合流すると一路自宅を目指した。
到着は、迂回路をとったせいもあって夜の1時。私はうちに帰って倒れるように眠り込んでしまった。

【本日の足取り】


旅行記INDEXへ