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価値システム学の構想

 

 

● 価値システム学の構想

 

1.はじめに

 本レポートでは、価値システム学入門の授業を踏まえた上で、「今、社会で求められている価値システム学は、どういう風にしていったらいいのか。」について述べる。

 初めに、現代社会が抱える問題について考察する。現代社会が抱える問題は、どのような性質を持っているのか。そして、そのような問題に対応する際に、どのような視点が必要とされるのかについて考察する。

 次に、現代社会が抱える問題の対応の仕方を考える。対応のプロセスを大きく二つに分けると、価値判断、および、意思決定に分けられる。対応の二つの段階において、必要とされる知識・技術を明らかにする。

 最後に、現代社会が抱える問題に対応するための学問として、価値システム学についての構想をまとめる。

 

2.現代社会が抱える問題

現代社会と科学技術

 現在の野生動物がそうであるように、かつて人類も、自然の恵みの中から自分たちの食物を得ていた。しかし、自然の営みは、人類の意図とは関係なく動いている。ある人間が自分の食物を得られるのかどうかは、自然の営みの偶然性に支配されてきた。食物が得られなければ、人は死んでしまうからである。農業社会到来前、人間の生命は、自然環境に依存しなければならないという、不安定な状況下にあった。

 農業社会の到来は、自らの生命の安定性を求める人類の要求を、満たすものであった。農業社会の定義は、「人類が農耕を主な生業とし、漁猟を副業とした時代。このころ、ようやく人類は住所が一定し、人口は繁殖し、共同生活または交換方法も発達し、財産共有制はすたれ私有制となった。」(小学館・国語大辞典)である。農業社会の到来によって、世界の総人口は爆発的に増加することになった。食べることは、人間が生存するために必要不可欠な行為である。不可欠ではあっても、必要十分条件ではない。しかし、農業社会の到来と世界の人口が急増した時期が一致することは、農業生産量と世界の総人口の間に何らかの相関関係があることを示している。

 農業の発明により、世界の総人口は急増した。世界の総人口は、およそ1万年の期間で、500万人から5億人へと増加したと推定されている。それ以前は、15万人から500万人に増加するのに、約100万年かかっていると推定されていることから、農業という技術の発明によって、著しい人口の増加が可能になったことがわかる。

 ところが、世界の総人口は、その後さらに急増する。18世紀後半、イギリスから始まった産業革命は、その後の人間社会のあり方を大幅に革新した。産業革命の定義は、「物質的財貨の生産に無生物的資源を広範に利用する組織的経済過程である」(小学館・国語大辞典) 農業社会では、そのエネルギーを人間や動物の筋力か、風力、水力といった自然の力に頼っていた。また生活に必要な炊事や暖房、生産のための熱エネルギーは、主として薪炭に依存していた。つまり、農業社会においては、エネルギーの源を生物的資源へ依存していたということである。これに対して工業社会においては、石炭やガス、石油といった一度消費してしまえば再生不可能な化石燃料への依存に移ることである。その際、新しいエネルギー体系への移行とその経済過程への適用を支えたものが、科学技術の進歩であった。科学技術が進歩したことにより、それまでは使用不可能であった化石燃料を、エネルギー源として使用可能にしたのである。

 また、近代科学の進歩は、エネルギー源の転換を進めるだけにとどまらず、人間の生産活動全般を革新した。イギリスの綿工業においては、化石燃料をエネルギー源とする機械が発明され、綿織物の生産手段を大幅に能率化した。綿工業に見られるような、生産手段の能率化は、農業をはじめとするさまざまな産業にも広がった。このような一連の産業革命は、その後、ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本、ロシアなどに拡大する。産業革命の結果として生まれた社会を、産業の面から見てみると、大量生産の可能な社会であることが分かる。大量生産が可能な社会になったことにより、現在の世界の総人口は60億人にも達している。

 社会を産業に注目しながら見てみると、科学技術の進歩が現代社会を生み出したことが分かる。このことは、現代社会と科学技術が、分かちがたく結びついていることを示している。そのため、現代社会について考えるときには、それを支えている人間観・社会観に加えて、科学観についても考える必要がある。

 

現代社会が抱える問題

 現代社会は、科学技術を元に成り立っている社会である。科学技術の進歩は、それまで不可能であると思われていたことを可能にした。月面を人が歩けるようになったし、世界人口は60億人にも達した。このように、人間史を俯瞰すると、科学技術の影響力の大きさを実感することができる。それでは、科学技術は人間の生活を豊かにしてきたと言えるのであろうか。

 先進国を見てみれば、一見豊かになったように見える。交通手段が発達し、移動のスピードは飛躍的に上昇した。また、ほとんどの家庭の中には、洗濯機・掃除機・テレビ・クーラーなどが備えられ、快適な生活空間を作りだしているように見える。さらに、NIESのように、数十年前までは発展途上国と呼ばれていたような国や地域も、近年急速に発展してきている。このように、科学技術の進歩により、人々の生活はより快適になったといえる。

 一方で、科学技術は、人間社会に対して負の効用もあることがだんだん明らかになり、さまざまな場面で問題になり始めている。一例として、環境問題があげられる。

 環境とは、そのものをとりまく外界のことである。環境という言葉を使うとき、そのものが何を指すのかによって、環境問題の内容もさまざまである。そのものを一人の人間とすれば、環境とは、彼の周りの人々・社会制度・自然環境など彼をとりまくすべてが環境となる。このように、環境とはそのものの定義の仕方によって、あらゆる可能性が考えられる。それぞれの時代によって、人々の関心が向かう方向によって変化しうるものである。それでは、現在、環境問題と言えばどのような問題を指すのであろうか。一般的には、人間含む生物の総体(以下、生物圏とする)を中心に据え、それを取り巻く自然環境を環境と考えている。

 生物圏とそれを取り巻く環境との間において、問題が発生するようになった背景には、人間の活動の規模や範囲が急激に拡大したことがある。それまで、生物圏の一部にあって自然の一部であった人間が、自然環境そのものに大きな影響力を与えるほどに、その活動範囲を広げた。

 環境問題に対して、今まで考えられてきた解決方法の一つは、さらなる科学技術の進歩を期待するものである。科学技術が、農業革命や産業革命に見られるような大きな革新をもたらし、その結果現在の環境問題が解決できるというものである。人間社会の近代化のプロセスを俯瞰するとき、このような発想は一見合理的であるように見える。

 ところが、近年の科学技術と人間社会の不調和から引き起こされる問題から、科学技術自身がもたらした矛盾さえも解決できるという発想が、限界に達していることが伺える。

 例えば、世界中の河川で行われている治水事業がそのいい例である。古来、人間文明は大河川のほとりに築かれてきた。水は人間の生命活動に欠かせないものであり、また農業をはじめとする産業においても必要不可欠な要素である。しかし、河川は人々の生活に恵みをもたらすだけではなく、水害を引き起こすこともある。そのため、いつの時代も治水事業はその社会の至上命題であった。科学技術の進歩を過大評価した現代の治水事業は、河川という自然の営みを完全にコントロールできるのではないかという誤解を生んだ。ところが、世界中、いつになっても水害はなくならない。結果的に、現在の治水事業は水害を科学技術によって完全に無くすのではなく、水害の存在を認めた上で水害被害をできるだけ減少される方向に変わってきている。

 世界各地の治水事業における発想の転換は、現代社会が解決できないさまざまな問題に共通する視点を提供した。つまり、科学技術により現代社会がかかえるあらゆる問題を、すべて解決することは不可能であるということである。先に述べたように、現代社会が抱える問題について考えるときには、それを支えている人間観・社会観・科学観について考える必要がある。3つの視点のうち、科学観はもっとも新しく付け加わったものであるが、人間観・社会観を押しのけて過剰に肥大化してしまった観がある。現代社会が抱える解決困難に見える問題は、このような科学観の肥大化を是正し、人間観・社会観・科学観をバランスよく考慮しながら、問題に対処する必要性を示している。

 

3.現代社会が抱える問題にどう対応したらよいのか

問題に対応する手順

 それでは、現代社会が抱える問題に対しては、どのように対応したらよいであろうか。問題に対応するということは、問題を解決したり、あるいは緩和したりするための方策を考えることである。このような手続きの実施に期待されることは、社会にとって最も好ましいと思われるような意思決定を下すことである。

 社会の中には、さまざまな人々が暮らし、それぞれが異なる考え方や価値観を持って暮らしている。社会というものは、個人の集合体である。そのため、社会に関わる問題を扱うということは、異なるさまざまな価値観を扱うことである。

 価値とは、一般的に用いられているため、定義が難しい概念である。人間が生存していくために役に立つものを必死に求め、それを価値あるものとみなしたのが、価値という概念の誕生ではないだろうか。その後、役に立つものだけでなく、論理的価値()、道徳的価値()・美的価値()などの高度な意味づけがなされていった。このような多くの種類の価値を個人が持ち、社会を構成しているのである。

 そこで、現代社会が抱える問題に対応する際には、社会や個人の中にある価値をしっかり把握する必要があることが分かる。また、それぞれの価値は、時には衝突し、競合することもある。このような場合には、各々の価値がどのように関係しているのかを分析する必要がある。

 価値を把握し、それぞれの価値の関係を踏まえた後では、問題となっているそれぞれの対象に関する、価値判断をする。価値判断の定義は、「事実判断に対する規範的判断の一種で、人間の行為、性格、広義の対象に、積極的、消極的評価を与える評価判断をいう。」(小学館・国語大辞典)である。分かりやすくいうと、価値判断とは、何がよいのかを決定することである。価値判断がなされると、その判断を踏まえ、問題に対して意思決定を行うことができる。このとき、適切な価値判断がなされていないと、適切な意思決定を行うことは不可能である。

 以上のように、現代社会が抱える問題に対応するには、価値判断と意思決定というプロセスを経る必要があることが分かる。

 

価値判断と意思決定

 現代社会が抱える問題に対して、適切な意思決定を行うことによって、問題の解決や緩和を行うためには、問題となっている状況下で適切な価値判断を行わなければならない。価値判断を行うためには、人間観・社会観・科学観をしっかりと見据え、さまざまな価値を把握しなければならない。

 価値の把握は、現実社会を正しく把握することから始めなければならない。これまでの科学の歴史を整理すると、現実社会を把握する場合に用いられてきた研究法には、次の3つがある。普遍的に成り立つ理論法則によって現実を把握する(数理演繹法)、実験や大量データから一般化された経験法則によって現実を捉える(統計帰納法)、個別で一回限りの事象から物事の本質を解明する(意味解釈法)である。およそ科学であるならば、これら3つの方法を総動員して、問題に取り組むのが理想であると考えられている。しかし、これら3つの方法を網羅するような学問分野は、現在のところ存在しない。現状は、それぞれの学問分野が細分化・専門化しており、その筋の専門家は自らの研究分野における研究方法のみを用い、現実社会を把握している。これでは、正しく現実を把握できるとは言えず、包括的な研究方法の採用が望まれている。

 次に、現実社会に対する理解を踏まえた上で、価値判断を行う。価値判断においても、現実社会を把握する場合と同様に、文理の融合した包括的な方法によらなければならない。理想的な方法は、数学的手法を用いて、価値を厳密に秤量することである。数式など数学で用いられる「言語」は、対応する事象を正確に特定化することを要求するから、多義的解釈の余地を残さない。また、客観性の保持、演繹性を備えているなどの利点がある。しかし、数学的演算を可能にするためには、さまざまな仮定を設けなければいけないという制限がある。現実社会の現象を数学的に扱おうとすると、このような仮定があまりにも多すぎて、非現実的になってしまう。それゆえ、現在、数学的手法を用いて価値の秤量を行える現象は、経済学の分野を除けばほとんどないといえる。(経済学では、価値を効用関数という一元的な価値に置き換えている。効用は、基本的には貨幣のことを表している)

 一元的な価値を扱うのであれば、数学的手法が望ましいが、実際の社会現象はどうであろうか。実際、社会現象は複数の異なる価値を備えている。そのため、社会現象に対して一元的な価値を仮定し、その後で数学的手法を用いることが可能な場合はほとんどないと言える。その結果、適切な価値判断を行うためには、自然言語を用いなければならないことになる。自然言語を用いて、価値判断を行うためには、哲学・歴史学・文学等の人文学、また社会学を始めとする社会科学を用いなければならない。なぜなら、社会の中の価値は、長い間これらの学問分野によって扱われてきたからである。

 また、価値判断を行う際には、社会の中に存在するさまざまな情報を用いなければならない。現代社会は、情報伝達の技術が進歩したため、大量の情報が氾濫している。このような情報伝達技術を駆使して情報を収集し、分析することによって、価値判断を行わなければならない。現代社会において価値判断を行うためには、情報を収集・処理・分析することも必要不可欠である。

 適切な価値判断が行われた後には、問題を解決(緩和)するために、意思決定を行う。意思決定のプロセスも、価値判断の際に論じたのとほぼ同じ論理である。基本的に、意思決定は自然言語を用いて行われる。効用関数が定義できる(価値を一元的に把握できる)場合には、数学的言語を用いるほうが望ましい。ただ、数学的言語は自然言語のように多くの人が理解できるわけではないので、最終的には自然言語を用いて意思決定することになるであろう。

 

4.価値システム学の構想

 ここでは、価値システム学という学問分野について、定義してみたい。まず、価値システム学の目的であるが、現代社会が抱える問題を解決することと定義する。

 現代社会が抱える問題にどのように対応したらいいのかを考えると、従来の学問分野の枠を固持していては、適切な対応が取れないことが分かる。文系・理系というカテゴリーを超えて、従来の学問分野を横断的に用いることが必要である。さまざまなツールを用意し、マクロな視点から社会現象を把握し、そして、適切な価値判断・意思決定を行わなければならないということである。

 このように考えると、価値システム学は、従来の学問分野が持っていた専門的な知識・技術に対する理解がなければならない。別に、従来の専門家が備えている、知識・技術をすべて備える必要はない。ただし、知識・技術に関する深い理解が必要とされるのである。そして、それらの理解を総動員して社会現象をマクロに捉える。ここでの社会現象の捉え方は、従来、ジェネラリストと呼ばれる人々がやっていたような捉え方ではないことに注意しなければならない。彼らは、社会現象をマクロに捉える際に、それぞれの学問分野がもっていた知識・技術を用いることはない。現象をマクロに捉えるということに、専門化していたのである。価値システム学が目指すのは、ハイレベルなジェネラリストの育成である。現代社会が抱える問題を解決するためには、ハイレベルなジェネラリストと、それを支える学問として価値システム学が必要である。

(参考文献)
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・丸山茂徳・磯崎行雄,1998,「生命と地球の歴史」岩波書店
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・今田高俊編,2000,「社会学研究法 リアリティの捉え方」有斐閣アルマ
・武藤滋夫,2001,「ゲ−ム理論入門 」日本経済新聞社
・小室直樹,1998,「日本人のための経済原論」東洋経済新聞社
・幸村千佳良,1991,「はじめて学ぶ ミクロ経済学」実務教育出版
・橋爪大三郎,2000,「言語派社会学の原理」洋泉社
・碓井ッ他編,2000,「社会学の理論」有斐閣ブックス
・柴田三千雄他,1994,「新世界史」山川出版社
・公共事業チェック機構を実現する議会の会[編],1996,「アメリカはなぜダム開発をやめたのか」築地書房