「空気」の研究
(文春文庫1983:山本七平著)
■ 信仰告白
■ なぜ、今「空気」の研究を読むのか?
★ 文芸春秋2001・8『特集 国民はいつ目を醒ますのか』
“今こそ山本七平『「空気」の研究』を読む” − 宮崎哲弥(評論家)
★ 中央公論 2001・9
“時評2001 「空気」が決める構造改革のゆくえ” − 松井彰彦(東大)
■ 過去、日本に発生した「空気」の実例
太平洋戦争時:戦艦大和の出撃をめぐる会議
■ 「空気」とはなにか?
@単純な「空気発生状態」−”遺跡発掘現場の人骨”
→物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態
A「空気発生状態」−イタイイタイ病
→カドミウム棒に対する臨在感的把握
B臨在感的把握は、感情移入を前提とする
C日本は、感情移入が生活化されている(乗り移らせるのが得意!)
→ B・Cより、臨在感的把握が絶対化される
★ 空気支配から逃れるには
・対立概念による対象把握
→対象が”対立概念”により把握されると、対象把握の絶対化ができなくなる
「水=通常性」の研究
■「水 = 通常性」とはなにか?
・「水」は「空気」を崩壊させる「通常性」である (水を差す)
・内村鑑三 外来の思想は、水により日本的に変形され、消化吸収される
水は消化酵素のようなものである
■「水」の実例
・日本と仏教 「これが果たして仏教なりや?」
・日本共産党 「これが果たして共産党なりや?」
・”空気”という”ぬいぐるみ”を脱ぐと、”通常性 = 水”が姿をあらわす
■ 日本的情況倫理とその奥にある論理
・通常性の基本の第一は、日本的情況倫理とその奥にある論理である
・(定義)情況倫理とは、「あの情況ではああするのが正しいが、この情況ではこうするのが正しい」という倫理である
・情況倫理の基準は、「情況への対応の仕方」にあり「行為」そのものではない
・他の民族は「行為」を取り出して「悪」と認定し、「情況」と「行為」の因果関係を認めない
・情況倫理的考え方=人間は一定の情況に対して、平等かつ等質に反応するものと規定してしまう → “個人”という概念が失われてしまう
・情況倫理と真っ向から対立するのが、固定倫理
・しかし、日本的情況倫理も、その支点に固定倫理が無ければ規範とはなりえない
・支点=人間の究極的概念 (これは、一君、絶対、天皇である)
・日本的情況倫理 → 一人の絶対者、他は平等 (=一君万民)
■ 日本的情況倫理の基本にある日本的儒教倫理
・日本的情況倫理の基本には、日本的儒教倫理がある
・日本的儒教 父子の関係を、企業などの組織にも適用 “父は子のため、子は父のために隠す(事実を隠す) 真実(直きこと)は、その中にあり” =忠孝一致
・臨在感的把握の対象を「父」とし、そう把握するものを「子」とする
→ この「父と子」の関係をあらゆる秩序の基にした
■「自由」という概念
・戦前の日本の軍部・右翼は、自由主義者を絶対に許さないものとみなした
→ 自由主義者 あったことをあったと言い、見たことを見たといい、それを真実 だと信じている
・第二次世界大戦後、日本がいとも簡単に改革できたのは、アメリカのもたらしものが「自由」と「民主」の二つだけであったから
→ 民主が全くなく、自由にさせておけば、伝統的な規範に基づき秩序を構築する
・「自由」のパラドックス → 日本における自己決定権・自由主義の問題
(後でやるかもしれません)
■「空気」「水」「自由」
・日本には、「自由」などない
・結局、「空気」と「水」のみ
「日本的根本主義」について
■ 改革とファンダメンタリズム
・ファンダメンタリズムと何か?
・旧約時代のエズラ革命、ピルグリム父祖のアメリカ移住
→ 神政制と民主制が一人の人間の中で分かちがたい一つの理念になっている
・1933年 ヒトラー内閣の成立、ルーズベルト大統領誕生、日本の国連脱退
→ 一種の神政制から合理的民主制へと移行した
以後、合理性万能信仰が半世紀の世界を支配する
・合理性信仰の崩壊
= アメリカのカーター政権の誕生
→ 宗教改革であれエズラ革命であれ、”ファンディに戻って”、となる
■ 日本的根本主義
・空気を醸成し、水を差し、水という雨が体系的思想を全部腐食して解体し、それぞれを自らの通常性の中に解体吸収しつつ、その表面に出ている「言葉」は相矛盾するものを平然と併存させておける状態