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書評「17歳の殺人者」

藤井誠二著 / ワニブックス

 以前、ある大学の教授が、セクハラや性的虐待に関する統計調査を行い、その結果がニュースで流れた。その結果を見て最も驚いたことは、強姦の被害にあったとこのある人の数が、私が思っていたのよりもずっと多かったことである。しかし、藤井誠二著「17歳の殺人者」を読んでみて、自分の感覚は社会のほんの一部を見ているに過ぎなくて、社会の現実とは大きく隔たっていることを実感させられた。

 この本の中で最初に取り上げられているのは、1988年に足立区綾瀬で起きた「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」である。この本では、事件の加害者を含む綾瀬の少年たちをはじめ、たくさんの人たちへのインタビューから、事件のおきた街や背景を詳しく記述されている。人々が、このような残虐な事件の報を聞いたときに考えるのは、「なぜそれほどひどいことができるのかわからない」といったことであろう。つまり、"暴力"="非日常"という感覚である。しかし、足立区綾瀬の少年たちの"日常"には、"暴力"が満ち溢れている。つまり、「あらゆるムカツクことが暴力の原因となる」ということである。学校内のイジメ。部活では先輩による後輩に対する暴力。少年たちは、暴力の中で生きている。

 ところが、"暴力"="日常"という図式が成立しているのは、ただ加害者である少年たちの間だけではない。区立東綾瀬中学の教員による生徒への体罰という名の暴力。加害者少年Cの父親による暴力。ほとんどの少年たちの家庭では、家庭内暴力が日常化していた。さらに、現地へ取材に行った藤井氏も、暴力団の組員と名乗る男性に横腹を蹴られている。

 このように暴力が日常化した世界から逃れるように、少年たちは自分の居場所を探すようになる。加害者Bの次のような言葉がそれを象徴している。
(弁護人)「お母さんと気持ちが離れちゃって、自分がいていちばん落ち着けるところ、気持ちが休まる場所というのはどこになりましたか」
(加害者B)「(加害者)Cの部屋でした。」
 しかし、そこで彼らを結び付けていたものは何であったのか。それは、結局、暴力でしかなかったのである。この事件の主犯格Aは、暴力により少年たちの間に君臨する。そして、その他の少年たちは、「Aに殺されるかもしれない」と常にAを恐れ、その暴力が自分に向くことを避けるために"思考停止"する。そうすることで、自分の居場所を確保するのである。結局、Aが命令すれば、自分の意思や感情を完全に麻痺させて、暴行、強姦・・・なんでもしてしまうようになる。
 筆者は、当時の少年たちの証言などを元に、少年たちが生きていた空間のリアリティを的確に捉えている。そして、われわれの日常と非日常の境界概念が、不透明になりつつあることを教えてくれる。