Site hosted by Angelfire.com: Build your free website today!

書評「宇宙創造と時間」

ヒュー・ロス著 / いのちのことば社

 科学と宗教は対立する−−−。そう思っている人が多いではないだろうか。その理由はキリスト教と科学の歴史を見てみるとわかりやすい。天動説が真実であると考えられている時代があった。天動説を要約すると、地球は宇宙の中心であり、他の星は地球を中心として円運動をしているということである。中世ヨーロッパでは、教会が天動説を支持していた。聖書の中には、具体的な天動説の記述はない。おそらく、神学者により唱えられるうちに、犯すことのできない聖域となってしまったのであろう。その結果、ガリレオによって科学的に地動説が説明されたときに、カトリック教会は宗教裁判という形で言論統制してしまうという失敗を犯してしまった。科学の進歩に伴い、地動説の正当性はゆるぎないものとなった。しかし、このようないきさつは、科学と宗教は相容れないものではないか、という印象を人々に与えてしまった。

 カトリック教会は、20世紀に入るとガリレオ裁判のような愚行を繰り返すまいとして、科学のほうに歩み寄る姿勢を見せている。以前読んだ本には、ローマ法王あるいはカトリック教会によって宇宙物理のシンポジウムが開かれたことが書かれていた。また、キリスト教の経典である創世記には、神がこの世界のすべてを創造したと記述されている。すべての種類の動物も神により創造されたと記述されているのである。これは、明らかに進化論と相容れるものではないと考えられるが、ローマ法王は進化論と聖書は矛盾しないといった声明を出すなど、宗教(この場合はカトリック)と科学は対立するものではないと言うのに必死であるような姿勢が見て取れる。

 プロテスタントは、カトリックと違い個々人それぞれが聖書を読み、解釈する。そのためその解釈を元にたくさんの宗派に分派することになった。それゆえ、さまざまな解釈がありうるはずであるが、ことに科学と宗教の関係となると、みな思考停止してしまう傾向がある。つまり科学と宗教を二項対立として見てしまうのである。"科学を信じるのか"あるいは"キリストを信じるのか"といった具合である。
 しかし、よく考えてみるとさまざまな解釈がありうるはずであるプロテスタントにおいて、このような二項対立がメジャーであるのは明らかにおかしい。多くは、科学と宗教の間、つまり科学的な真実も受け入れながら、キリスト教の教義も信じるという具合になるはずである。

 「宇宙創造と時間」は、天文学の博士号を取得し、現在はプロテスタントの伝道師として働いているヒュー・ロスによって書かれた本である。ヒュー・ロスは、科学と宗教(この場合はプロテスタント)の両方を見渡した上で、両極端によらないバランスの取れた世界観を記述しようと試みている。
 プロテスタントにおける世界創造に関する論争史から、彼自身の創世記の解釈など誰にでも理解できるように書かれている。「科学と宗教を二項対立で考えるのはおかしい」と思っていた、多くのプロテスタントのクリスチャンや科学者にとっては、このような本が書かれることを期待していたのではないか。いや、むしろ、彼らが現在にいたるまで、このような本を持っていなかったことが不思議でならない。