『キリスト教綱要』
■ジャン・カルヴァン(1509−64):キリスト教綱要は1536年に完成
■ 第一章 律法について 〜 十戒の講解 〜
★ 定義
・律法:神からユダヤ民族へ与えられた法律(トーラー)
・聖なる教え(聖書の教え全部) = 神を知ること+人を知ること
★ 人間と原罪
・アダムは完全無欠の性質を持ってつくられた
・しかし、罪を犯したことにより、神との相似が失われてしまった = 神との断絶
・そのかわり、無知・不正・無力・死・裁きのみが残された
・我々も、生まれながらにして、そのような性質を持っている = 神に対して負債を負っている
★ 神の裁き
・神は人間の心に律法をしるした = 良心
・しかし、人間には自己愛に目がくらみ、自分を見据えることができない = 良心機能せず
→ 神は書かれた律法を我々に与えた
・律法をすべて守れば永遠の命を得る。しかし、一つでも破れば永遠の死がもたらされる
・律法をすべて守れる人間は存在しない
↓
すべての人間は有罪である = 永遠の死
★ イエス・キリストによる贖罪と聖霊
・イエス・キリストは、断絶していた神と人を結びつけた
→ 死によって、神の義に対する人間の負債を完済
・また、神はキリストを通して聖霊の賜物を我々にもたらした
聖霊は、我々のうちに住み、我々を神へ向かわせてくれる
↓
我々は神自身のはたらきによって、神を信じることができる = 予定説へとつながる
律法
★ カトリックとの違い
★ 第十戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。
・隣人のものを欲しがるな → 人はおのおのその招命に応じて職分をまっとうせよ(P.53) = 天職
■ 第二章 信仰について 〜 使徒信条の講解 〜
★ 信仰と使徒信条
・信仰の類型
@ 神の存在と、キリストについて語られている歴史を真であると考えること
A 神が我々の神であること、キリストが救い主であることを知って、その存在を信じること
・使徒信条とは、「公同の教会が同意している信仰の、ごく短い集成また抜萃である」(P.77)
★ “使徒信条講解”から読みとれる、カルヴァンの神学
・三位一体:父なる神・子なるキリスト・聖霊は、実体(スブスタンティア)もしくは本質(エッセンティア)を同じくし、位格(ペルソナ)において区別があるのみである
→ 「これらの奥義を論証しようとしてはならないし、またできないのである」(P.102)
・キリスト:断絶している神と人を結びつけるために、人として我々の兄弟になった
↓ ↓
キリスト = 神にしかできない(神性) + 我々と親近性を出すため (人間性)
・陰府(よみ):どこかある場所 = 死んだ人が(一時的に)いる場所
・予定説:「このえらびは彼らの生まれる前から神が彼らに定めていたものである」(P.104)
★ 使徒信条講解のまとめ
■第三章 祈りについて 〜 主の祈り講解 〜
★ 主の祈り
・主の祈り:イエス・キリストが弟子達に示した祈りの手本(マタイ・5,ルカ・11)
= 完全な祈り;言葉が違っていても許されるが、意味を変えてはならない
★ 祈りについて
・祈りの種類: @願い A感謝
・正しい祈りの規則 @ 自分を捨て、神に栄光を帰す
A 願い求めるものを真に必要であり、神から与えられることを願う
・祈りの値打ち = ただ信仰による,主要部分は心と魂におくこと
人間そのものの価値・聖徒・場所・声や歌によらず、ラテン語ではなく民衆の言葉で
→ 信仰以外の要素を排除 (キリスト教内面化)
■ 第四章 聖礼典について
★ 聖礼典(サクラメント)とは何か
・神の恩恵の証し(外的しるし)である
・神の3つの恵みの一つ:御言・サクラメント・聖霊
・キリストのより二つのサクラメントが制定された = バプテスマ(洗礼)・聖餐
・バプテスマ:我々が潔(きよ)められ洗われたことを、我々に立証する
・聖餐:我々が贖われたことを示す
★ バプテスマ(洗礼)
・バプテスマの意味 = 肉の死と霊の生
・肉の死:原罪からの解放
・霊の生:永遠の生命の獲得
★ 聖餐(主の晩餐)
・「体はどのようにして私たちに飲み下されるのか」= 詭弁的な問い
・サクラメントにおいて与えられるのは彼(キリスト)の実体(スブスタンテイア)自体でも、真の本性的体でもなく、キリストの恩恵である (P.185)
・物質的事物からの類比によって、我々は霊的事物へと導かれる (P.179)→ (キリスト教内面化)
★ 教会のリストラクチャリング
・教会:「御言・祈り・聖餐式・施し」があれば十分,ミサのような大げさなものは不要
・祭司:キリストが唯一の祭司であり、その他の祭司は不要 = カトリックの聖職者批判
(法王の権威の批判?)
■
原罪と自由意志
・原罪 (Original Sin):人が生まれながらにして負っている罪,人類の父祖アダムに由来
・原罪説はパウロによって唱えられ、のちに教父アウグスティヌスがこれを堅持し、ルター,カルヴァンも受け継いだ
●(参考)
“ペラギウス論争” ――― ペラギウスvs アウグスティヌス
・ペラギウス:人はアダムと同じように善と悪を選ぶ自由意志を持っている
・アウグスティヌス:人間は原罪負っており、専ら悪をなし、善を行うことはできない
→
人間には自由意志がない
・アウグスティヌス:アダムはペラギウス型人間であったが、自由意志により罪を犯した。結果、全人類は原罪を負うアウグスティヌス型人間になった。
・現在この論争は、自由主義神学(ペラギウス・エラスムス的) vs 正統主義神学(パウロ・アウグスティヌス・ルター・バルト)という図式を取っている
● (参考) エノクとは何者か?
・「内村鑑三・キリスト教問答」
(問)「エノクは神とともに歩めり」(創世記5・24)とありまして、生来(うまれつき)の義人のあることを示しているではありませんか。
(答)エノクの事は記事があまりに簡単でよくわかりません。
第五章 残る五つの礼典が、現在まで一般にサクラメントと考えられていたが、これらがサクラメントではないことを証明し、どんなものであるかを示す。
★ サクラメント
・カトリック:バプテスマ・聖餐・堅信・悔悛(告解)・終油・叙任・結婚(七つ)
・カルヴァン派:バプテスマ・聖餐(二つ)
・サクラメントには、神の言の先行が必要である(P.214)
★ 告解とは何か
・告解とは、 @ カトリック教徒が司祭に罪を告白して、心から悔い改め償いをする意志を表明
A 司祭「父と子と聖霊の名において、汝を汝の罪から解き放す」
B 司祭は告解者に贖罪行為を課し、告解者はそれを行う
・カトリック教会が告解を行う根拠 = マタイ16・19、マタイ18・18、ヨハネ20・22
@「使徒が赦す罪は赦される,使徒が地上でつなげば天上でもつながれる」
→ つなぐ=罪を赦す,解く=罪を残す
A(マタイの福音書 16章19節)
「わたし(イエス)は、あなた(ペテロ)に天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています」
B カトリック教会はペテロが建てたもの(また、教皇はペテロの後継者)
→ カトリック教会は、罪を赦すことができる
★ カルヴァンの告解批判
・罪を赦す権限は、イエス・キリストにありカトリック教会にはない
「あなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれる」(マタイ18章18節)
→ 主体的につなぐのはイエス・キリストであり、使徒は道具でしかない
・イエス・キリストは、ふさわしいものに権能を与える
「(堕落した)カトリックの司祭どもは誰も鍵の権能を持っていない」(P.247)
→ カトリックの司祭どもは道具として使われていない
★ 告解に関係する、その他の批判
・カトリック教会は、贖罪を制度化 = 教会の宝(救済財)・贖宥状の発明
教会の宝:教会に貯えられ教皇が管理している、キリスト・聖徒・殉教者の功績
贖宥状:教会は贖宥状により教会の宝を分配する
→ 罪の赦しはキリストの血のみにより、聖徒・殉教者の功績などでは無理
・罪の赦しはキリストの血により、無償である → 行いによる罪の償いは不要
・煉獄:赦された罪の償いをせねばならぬ者たちのおかれる一時的な場所
→ 神の言がない = 聖書に出てこない
★ その他のサクラメント批判
・堅信礼:バプテスマにおいて再創造せしめられた者たちを戦いへ向けて堅信せしめる
→ 神の言がない,聖書には按手のみで、油はでてこない
・叙任:聖職者への任命 → キリストが最後の祭司である
・結婚、終油:神の言がない
■ 第六章 キリスト者の自由について、および教会の権能、政治統治について
★ キリスト者の自由とは
@ 律法からの自由
A 神の意志に喜んで従う自由 (律法の恐怖があると喜んで神に従うことができない)
B「それ自身では善悪どちらでもない」外的事物からの自由
(C) 人間の権力からの自由
★ 自由の行使
・自由の行使には常に危険が伴う → 他者へ躓きを与える,弱者への配慮が必要
・躓きの種類
@ 弱い者の躓き・・・行為者の過ちから躓きが生じる → 無経験者・弱者を躓かせる
A パリサイ人の躓き・・・特に不適切ではないのに、悪意ある者により躓きとされてしまう
→ 弱い者の躓きには注意,パリサイ人の躓きは無視
・自由行使の規準:隣人の徳を高めるなら自由を行使,隣人のためにならないなら控えるべき
→ 自由主義の他者危害原則
★ 霊的統治と政治的統治
・人間の中には、「霊的統治」と「市民的政体」という二種類の統治がある
・キリストの霊的王国と市民的政体は全く異なる事柄であり、無関係
→ 政治的統治が必要
・政治的統治は、@行政官,A法律,B人民の三つの部分からなる
★ 行政官・法律・人民
● 行政官
・神によらない権力は無い(ローマ13・1) → 行政官は神の使者
・使命:万人の幸福と平和を追求する
・賞罰、戦争、防衛、同盟、政治的施設、年貢・税の導入
● 法律
・モーセの律法と形は異なっても、目的は同じでなければならない
→「公平」は、全ての法に適用すべき
・法律の「制定」に関しては、状況によるので差異があってもよい
・神の永遠の律法によって断罪された犯罪・・・「殺人」「盗み」「姦淫」「偽証」
● 人民
・訴訟:復讐の念を取り除くこと ← 復讐は神のもの
害を与えた者たちには善を施し、呪う者には祝福を祈ること
・人民の義務:行政官の職務に最大の敬意を払うこと
・君主がどんなにひどくても、従わなければならない ← 悪しき王は地に対する神の怒りである
自分の義務一つに従い、他人の義務について心配する必要はない