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新コイン・アセンブリに夢中

Thursday, July 8, 2004

また図書館でマジック本を探していたところ、「超能力はマジックだ」というテーマで書いている人がいたのだろう、検索で超能力本が引っ掛かってきた。それで久し振りに超能力本を読んで見ることにした。まず学研『いる?いない?のひみつ―宇宙人・怪獣・ゆうれい・超能力者』。また学研か。少年時代の私は学研のひみつシリーズを何巻も揃えていて、自分の本はもうぼろぼろでデイタも古いので、是非自分の子供には改訂版の新しい本を読ませてやりたいと思っていた。しかし役に立つひみつシリーズにもこんな外れがあったとは。借りて来なかったので初版本のはっきりした出版年は分からないが、多分 80 年代前半だったと思う。まだ世間にユリ・ゲラーのマジック(断言)を始めとする超常現象の残滓が残っていた頃である。今現在に初版本を出すならばまた違った傾向だろう。そう願いたい。

中身はまるっきり子供だましである。宇宙人は例のごとく「捕まった宇宙人」。爆笑。怪獣。ネッシーの唯一という首付きの写真が載っていた。これがトリックであることは、撮影した本人が死の間際に告白してくれた。墓の中まで持っていかれなくて本当に良かった。本人も心苦しかったのだろう。首付きが唯一なのも当たり前である。幽霊。東西で幽霊像が全く違うのが面白い。日本の幽霊は足がないが、西洋の幽霊には足があり、足音まで聞こえるという。日本の幽霊に足がないのは、欄外のまめ知識にもあったが、江戸時代に丸山応挙が初めて足なしで絵を描いて、それが好評を博したために、以降足なしが一般的な幽霊像になってしまったからである。超能力者。何かというとニーナ・クラギーナだが、映像としては私も子供時代に見た古いフィルムしか残っていないものと思われる。本物なら、衆人環視の下でやりなさい。

「こんなもの子供に読ませちゃいかん」と思いながら読了。続いて超能力を養うなどというテーマの本。出版社を見たらまた学研。またか、ちゃんと学習を研究してろよ。中は陳腐で特に目を引くものはなかったが、一箇所だけ注目すべき点があった。「多くの超能力者は科学実験を嫌がる」。幽霊の正体見たり枯れ尾花。これこそ正にトリックであることの証左である。ゲラーの場合も、アメリカで詳しく実験を行ったが、超能力によるものとする有意な結果は得られなかった。何で実験室に入ったら超能力がなくなる。「超能力を信じていない人が多いと力を発揮できないのだ」それは TV スタジオも同じだろう。サクラなしで、計器を付けられると途端に失われる力の方がおかしい。

よく言われる信じる?信じない?だが、先の 4 大際物宇宙人・怪獣・幽霊・超能力者については、「信じたいのに信じられない」というのが私の立場である。私ほど信じたがっている人間もいないと思っているが、私ほど幻滅している人間もいないと思っている。

私は高校時代、つのだじろうの本を買ってきて、その本の通りに 2 週間、「本気で」修行した。本当に超能力を心の底から信じて書いてある通りに練習したのである。しかしスプーンは全く曲がらなかった。あんまり悔しいので、「始めは何回も曲げてくにゃくにゃにした方がやり易い」という記述を応用して、始めから何回も曲げて折れる寸前にしたスプーンを持って行き、折ってみせたところ(曲げただけでは跡を調べられるとまずいため)、家族全員が引っ掛かった。「へえー、超能力って本当にあるんだねえ」この件から私が学んだものは、「信用第一である。普段から嘘をついてばかりだと疑われ、信じてもらえない。だからこれは絶対に本物だと最初から最後まで言い張ること。逆にそうすれば、ありもしない嘘も信じてもらえる」ということである。先の 4 大際物を巡る騒動については、これ以上付け加えることはないだろう。

先の「幽霊」に関係して、もう少し大人、それも自分の寿命が残り僅かとなれば、気に掛かるのは「死後の世界」だろう。私は死後の世界を認めない立場である。「証拠があるのか?」と言われればない。それは死後の世界がある証拠もないのと同じである。ではなぜ中立ではなく認めない立場に立つかと言うと、もし死後の世界があるならば、それは素晴らしいことである。大いに夢が膨らむ。この世で辛い目にあっている人ほど、死後の世界は楽しみになるだろう。イエスの山上の垂訓の通りである。そして、東西で認められているように(私はいずれもインドから西アジア起源だと考えているが)、天国と地獄があるならば、より良い。こんなおいしい話はない。品行方正にしていれば、この世を遥かに越える喜びが得られるというのだから。そして逃げ延びた悪人は地獄へ行って永遠の責め苦を受ける。こんな死後の世界があるのなら、私も早く行ってみたいところである。

しかし、そういう話は希望的観測から生じた伝説に過ぎないかもしれないのである。もし天国がなければ、人間の生活というものはかなり苦しいものとなる。いくら品行方正にしていても―それは処世術だけとしても最も賢明な策だが―有効範囲はこの世の間、高々 100 年程度だけである。「死んだら楽ができる」という訳にはいかない。同様にいくら悪事を働いても、警察に捕まらなければ、報いを受けることは永久にない。そう考えると、いかに来世がないことが無慈悲なものか分かるだろう。だからほとんどの宗教では来世を認めている。宗教を求めるのは、人生で行き詰まった人が大半だからである。「この教えを信じておけば、来世で応分の報いを受けますよ」と聞こえのいいことを言っておけば、何人かの人はいくばくかの金を布施してくれる。

しかし、誰も来世の実在を示したことがない。ならば最悪の状況、つまり「来世はない」としておくことがフェイル・セイフの考え方からして妥当ではないのか。ここから私の主張する「来世ではなく、この世にパラダイスを作る」とか「殺人には死刑で望む」という考え方が出てくるのである。

人類は何千年もの間、殺人に対しては死刑のみで報いてきた。このシステムは、何千年という歴史の試練に耐え抜いてきた。一方刑を軽くするというのはごく最近、ここ 100 年ほどの現象である。私は、これがうまく行っているとは思わない。来世がないならば、この世の犯罪にはこの世で完全に報いなければならない。「被害者は天国で幸せに暮らしているが、加害者は地獄で永遠の苦痛を受ける」と来世に下駄を預けてしまう訳には行かないのである。それに聖人君子仙人ではない、血も肉もあって喜怒哀楽があるこの世に生きている人々が納得するような刑罰でなければならない。

根津甚八のような、過失による死亡事故に対しては、流石に私も死刑が適切だとは思わない。しかしコンクリ事件や山口事件のような、人類社会のタブーを陵辱し、公序良俗を根底から覆す反社会犯罪に対しては、極刑以外に考えられない。そうしなければ、人類社会自体がおかしくなってしまう。

「結局財界の力関係と同じくナベツネと堤だけで全部決めちゃうのか。日本企業の海外展開が激しかったバブル期には、じゃあ代わりに外国人にも日本市場でビジネスさせてくれと頼んでもちっとも響かず、日本市場は閉鎖的だ、外資が入れないじゃないか、改善してくれと言われたことがよくあった。実はプロ野球界は、外資はおろか日本資本にも閉鎖的だったとは。ナベツネと友達でなければ参入できないのか。この期に及んでストなんかやってもあの石頭がほぐれるとは思わないし、ファンは抗議で観覧をボイコットしよう、読売取るの止めようなどとアジってみてもどうしようもないし…」などと財界人でないことの無力感を再確認したところである。

そういう暗澹たる想いがあるが、ここらでテイブル・マジックで感動してうさを張らそう。

VHS 『文春マジック講座Bコインマジック篇』が届いた。評判が良ければ続編も続々と出版されただろうが、最初の 3 巻で打ち止めで、既に絶版らしい。コイン・アセンブリが公開されているというので注文したが、届くまでの間に私は解明してしまっていた。今回のヴィデオでその原理の全容を見たら、やはり思った通りだった。下に敷物が必要というのも正にその通りだった。

これがコイン・アセンブリだ!

どうですかこの鮮やかさ、恰好良さ!スプーン折りよりよっぽど凄い。リヴァースも含まれていた。こちらも基本的には同じ原理だが、今回の演者はかなり複雑なことをしている。アセンブリの単純さに比べると、このリヴァースはちょっと難しい。特に最後の固まっている 3 枚が 1 枚ずつにばらされてしまうというのは、原理を知っていても壮観である。

さらに岡村は「手だけでもできるで」と言って、本当に手だけでアセンブリをやっていた。これも驚いた。岡村のオリジナルかと思って、アセンブリと同じ原理だろうが、うまくやっているものだと感心していた。しかし、今回のヴィデオに手だけのアセンブリが「チンク・ア・チンク」として入っていた。なあんだ、オリジナルじゃなくて、教えてもらってたんだと今回初めて発見した。オタリアのショウのように、アド・リブや思い付きでできるほどマジックは生易しくはなかった。

チンク・ア・チンク

鮮やかである。カードがない分、やや複雑になっている。

以上、何回映像を見ても分からない、何回考えても分からないが、どうしても原理を知りたいという人は、マジック文献を読み漁るか(しかしやや難しいのでほとんど載っていない)、この文春の VHS を買うしかない。この VHS は絶版なので、手に入れるなら今のうちだ。


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