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小堺一機に反論

Monday, July 5, 2004

小堺が CX 『ごきげんよう』で、「人間の蓄えられる知識量は限られている」というようなことを述べていた。そうだろうか。よく言われるのは、「人間は脳の半分も使っていない」ということである。使われていない部分は、機能できない部分であるという訳ではないだろう。それならば、学習を積み重ねれば積み重ねるほど脳のより多くの部分が使用されていくことになり、一生かかっても全て使い切れるかどうか。円周率を何万桁も記憶し、しかも特定の桁の数字をすぐに引き出せる人がいる。その実用性はともかくとして、そういう彼はだからといって日常生活に支障をきたしているという話は全く聞かない。これは脳の無限の可能性を示す一例ではないだろうか。

20 歳を過ぎるとニューロンが死滅するが二度と再生せず、記憶力が低下するから覚えきれないというのはまた別の話である。ニューロンは確かに減る一方だが、シナプスはそうではない。学習によってシナプスを再構成すればよい。ニューロンが死滅するといっても、脳梗塞のように一部がまとめてごっそり抜けてしまうというものではないから、「記憶力が悪くなった」と嘆く中高年も、普段使わない記憶は確かに薄くなるだろうが、全てが完全になくなる訳ではない。残存する記憶を辿って、必要な知識は書物などから再学習すれば、シナプスが再構成され、強化される。それで充分ではないだろうか。実際、若い頃に比べて大幅にニューロンの数が減少しているはずの高齢者でも、博学を保っていたり、的確な洞察力を見せたりするなど、脳の機能として何の問題もないと思われる人が大勢いる。それは現役のまま社会で活躍している人に多い。これは、再学習効果が働いていると考えていいだろう。逆に学習を続けなければ記憶に支障が生じるということである。

東大理V・慶大医学部現役合格で精神科医・受験勉強研究家の和田秀樹の本などを読むと、つくづく難関大学合格に必要なものは天分ではなく、受験勉強という努力の継続にあったと痛感させられる。私は以前東大文学部卒の高田万由子の話題に関連して東大への批判めいたことを書いたが、難関大学から多くの知的リーダーが輩出しているという事実を私は否定しているつもりはない。むしろ肯定している。東大・京大出身ではない私が言うのもおこがましいかもしれないが、大切なのは「受かったら普通の人」になってほしくないということなのである。知的リーダーになっている人は、いずれも人知れず学習を継続している。それなくしてはありえない。受験勉強で努力の継続に成功できた人は難関大学に合格し易くなり、それをそのまま入学後、大学院などと延長していければ、知的リーダーの数が多くなるのは自然ということになる。なおここには、東大は国立大学で最大の学生数を持つということによる必然的な数の増加も考慮しなければならないが。

早稲田中退でおそらく東大受験経験もあるのではないかと思われるタモリは、高田に対して「東大出たのに何で学者にならないの」などと言っていた。これは前述の議論に基づけば、単なる偏見である。高田は「受かったら普通の人」になってしまったのである。いや元から普通の人だったのかもしれない(私は以前高田が受験した東大文V二次試験後期日程の試験内容について書いた。高田がフランス帰りの帰国子女で、ほとんど母国語と言えるフランス語で受験し、しかも英語に比べてフランス語は試験が易しいと言われ、加えて他の試験は「日本の古典文学について書け」という簡単な小論文のみであったことから、学力判定に疑問ありとしたのである)。

それにしても文V、すなわち後の文学部というのは、厄介な代物である。よく「大学で学んだことなど社会に出たら何の役にも立たない」などという芸能人がいるが(何で芸能人が語るのか…まあ言論の自由の国だから取りあえず良しとしよう)、彼らの多くは文学部出身ではないだろうか。理系の私には、とてもそんなことは言えない。理系の全学部及び法学部で学習する内容は、いずれも社会で各専門分野に進む上では、必須の基礎知識ばかりである。しかし文学部は、他の学部に比べて社会で通用する知識の習得に極めて乏しい。

まず文学専攻。それで誰でも作家になれるのなら、医学部並みの高偏差値になることだろう。医学部は、一応国試に向けた勉強をしなければならないが、卒業すればまず確実に医師になれる。だから偏差値が高いのである。文学部を出たから作家になれたという話は聞いたことがない。言語専攻。最近は外国語ペラペラの帰国子女が多く、4 年程度の学習で彼らに追いつけるだろうか。芸術専攻。芸大や芸術専門学校が増加していることから、どれほど利点があるだろうか。心理学専攻。最近は精神医学や脳科学の進歩による理系の影響力が目覚しい一方で、純粋心理学は認知心理学のまま足踏み状態のようである。歴史専攻。これも…。結局大学での学習内容を生かすためには、大学に残って学者として大学の教員になるしかなさそうである。文学部の教員…何と狭いポストだろうか。

一方理工系の出身者は、大学に残る他にも、市井の研究所で働く選択がある。医学部の出身者も、大学に残る他にも、市井の病院で働く選択がある。法学部の出身者も、大学に残る他にも、市井の法律家として働く選択がある。いずれの分野でも、要求される専門知識は、全て大学で学んだ基礎知識の上に成り立っている。実に無駄がない。反面文学部は…だから文学部の偏差値はどの大学でも学部中最低で、就職にも不利とされるのは全くうなずけることである。東大文Tにはやや学力不足という受験生には、東大のブランドで文Vか、それとも早稲田の政経か法学部か…という悩みがあることだろう。どちらが良いかは、私からは言えない。それは各人が判断することである。

CX 『報道 2001』でもテレ朝『サンプロ』でも NTV 『うるぐす』でも近鉄オリックス問題が取り上げられるようになった。『サンプロ』でもわざわざ堀江社長をゲストにまで呼んで特集するとは意外だった。既に社会現象である。両球団の悪代官が今頃「何でや!こんな大事になるとは思わへんかった!」とまごまごしていることだろう。なお一躍有名人になった堀江社長は、グリコ社長誘拐事件のことも考えて、24 時間専属のガード・マンを付けていないなら付けておくべきだろう。最近の日本では甚だ日本人的ではない、非情な外国人犯罪が目立つ。彼らが次の獲物を狙っている。

『サンプロ』での財部氏の「他球団も合併して巨人の対抗馬を作る」という意見には大反対である。まず球団の強さからいえば、巨人は巨費を投じて空前の大規模補強を行ったものの、なぜか?現在 3 位で既に弱く、対抗馬を作る必要がない。球団の人気からいえば、巨人の人気は日本最古のプロ野球団という長い歴史から生じたものであり、またグループ企業日テレの完全バックアップの下、消化試合を除く全試合生中継というシステムにより全国に波及したものである。地域の人気に限っていえば、阪神やダイエーは地元密着により既に充分な人気を博している。球団が適当に合併したところで、人気が出るというものではない。

私が主張するのは、以前も書いた通り「巨人を分割して弱い状態で 12 球団を平均化するのではなく、12 の巨人を作るよう各球団が努力して強い状態で平均化せよ」ということである。これは、東大・京大の分割を主張する一部の左翼学生に対する反駁でもある。私の主張は、東大・京大を解体して低い状態で大学を平均化するのではなく、全大学が東大・京大を目指して高い状態で平均化せよということなのである。

またこれは、「貧乏社会主義」を主張する森永卓郎氏に対する反駁でもある。氏の主張は、社会構造の変化から不可避的に年収 300 万で平均化されるという予測に基づいているが、果たしてそうなのだろうか。現在サラリーマンの平均年収は 700 万円台の時代である。もちろん一部の高額所得層が高めに引っ張っている面はあるだろう。しかし現在の経済情勢では、GDP が急速に減少する要因は見られず、700 万が 300 万になってしまうという根拠は何なのか。私は言うなれば「金持ち社会主義」である。300 万という低い状態で平均化するのではなく、みんなが森永氏の印税収入 3000 万を目指して高い状態で平均化せよということである。

私と森永氏には一致する点もある。それは、「ハッピーな生活を送ることが最終目的」であるということである。これに異論を挟む者は誰もいないだろう。しかし森永氏と異なるのは、私は「一般人は森永氏のような聖人君子仙人ではなく、300 万ではハッピーになれない」と考える点である。50 万の薄型 TV が欲しい!200 万の車が欲しい!5000 万の家が欲しい!それが一般人のハッピーなのである。年収 300 万ではそれは不可能だ。氏はヨーロッパ人を随分と持ち上げているが、彼らは本当に幸福なのだろうか。

なお『サンプロ』では金子教授がレギュラーになったようだ。たまにはこんな奇論を吐く経済学者がいても面白い。ただ専門の財政に偏り過ぎとの嫌いはあるが…


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