以下の文章は番組を見た後すぐ書き始め、半分ほど作ったが、次第に頭が痛くなり、薬局が開く 9 時までほとんど筆を進められなかった。薬局が開いたらすぐ頭痛薬を買い、一刻も早く痛みから解放されたかった私は、「空腹時の服用は避けてください」などという注意書きを無視して、すぐに所定の 2 錠を飲んだ。暫くして 90% ほど良くなったが、まだ若干痛みが残っていたので、再び「服用間隔は 4 時間以上空けてください」などという注意書きを無視してまた 2 錠飲んだ。するとほぼ治った。それで残りを完成することができた。晩年のモーツァルトではないが、ちょっと身体にトラブルがあると、「自分の人生ももう終わりか」などと無用な懸念を抱いてしまうものである。つくづく健康は有難い。病気になって初めて健康の有難さが分かる。
なお番組の内容については、ヴィデオ録画していなかったため、私の記憶だけを頼りにして書いた。できるだけ正確を期したが、不充分な部分もあるかもしれない。御了承願いたい。
NTV 『ビートたけしが挑む人類史上最高の音楽家モーツァルトの奇跡』を見て触発され、久々にモーツァルトに興味を覚えた。まずモーツァルトの歴史や人となりについての概要は、アカデミー賞映画『AMEDEUS』を見てほしい。サリエーリに関するエピソードはほとんど創作だが、凡庸な宮廷楽長サリエーリの、宮廷などの組織の枠に収まり切らない天才モーツァルトに対する妬みはいくつもの状況証拠から史実だと思われる。モーツァルトの音楽そのものと言える自由闊達で軽薄な個性は、ほとんど映画のままである。ドキュメンタリーというのは概して面白くも何ともなく退屈なだけだが、この映画は一部脚色を施すことによって史実を見事な人間ドラマに昇華させ、モーツァルトを悲劇の天才として描くことに成功している。アカデミー賞映画には一見するべきものが多いが、『AMADEUS』もその一つである。同時期にドイツで『くたばれアマデウス』なる映画も製作されたが、こちらは見るべきものではない。
さて『AMADEUS』で基礎知識を得たとする。番組は歴史的側面と現代科学的側面がほぼ半分ずつだった。歴史的側面については映画で充分理解でき、真新しい情報はほとんどなかったが、それは番組の構成上仕方がなかっただろう。モーツァルトを全く知らない人にも啓蒙する必要があるからである。現代科学的側面も、私にとっては聞いたことのある話ばかりで、真新しいものはなかった。現在研究中のものが多く、医学的効用などははっきりと示すことはできなかったようである。80 年代から話題になったα波や、最近話題になっている 1/f ゆらぎについても、「モーツァルトでなければならない」と断定することはできなかった。「モーツァルトの音楽は知能指数を高めるが、他の音楽ではそうではない」という話は 10 年ほど前に聞いたが、モーツァルトの音楽と極めて類似している後期のハイドンや初期のベートーヴェンの音楽でどうして違う結果が出ることがあるだろうか。私は、この件については、かなり恣意的なテストではないかと疑っている。
キャスティングに移ろう。たけしを使ったということは、民放のよくやる視聴率対策だと思われるが、特に注目すべき発言はなかった。大竹まことや MEGUMI についても同様である。彼らによって NHK 的な退屈さからは解放されたが、芸術・文化番組としての品位を低めたことは否めない。両羽の刃である。一方木村佳乃の現地リポートや暫く見ない間にすっかり禿げ上がった青島広志東京芸大元教授(名誉教授にはなれないのか?)をゲストに呼んだことは成功だった。木村のキャラクターは全体に透明で清純派という印象があり(私はちょっと清純派にこだわり過ぎかと自省しているが)、芸術・文化番組の客観的なリポーターとして無理がなかった。モーツァルト直筆のスコアを見た感想を聞かれて、「早く書いた感じがしたが、直した跡は見当たらなかった」というのは全く適切なコメントである。青島元教授も、相変わらずの愉快なルックスとキャラクターで楽しませてくれ、しかし深い音楽的造詣の一端を垣間見せていた。
さらに細かい点を挙げると、ベートーヴェンとヴを表記するなら、ウォルフガングではなくヴォルフガングにしてほしかった。あと自宅内でかつらは被っていただろうか。再現ドラマでの会話がドイツ語らしかったところは良かった。ここを安直にアメリカなどでロケをして英語で会話されるとせっかくの雰囲気が壊れてしまうところだった。またクラヴィコードは、名前は知っていたが、実物を見るのは初めてだった。玩具のお子様ピアノのようで、とても大人の演奏会で使えそうな代物ではなかった。大人になってもかなりの小柄だったモーツァルトは、おそらく少年時代も小さく、チェンバロやクラヴィーアでは手がオクターヴに届かなかったのではないだろうか。それで小さいクラヴィコードを持ち運んでいたのではないかと推測した。
また、モーツァルトの多作ぶりを示すためにケッヒェル番号の最大値 626 (ケッヒェル番号は何度も改訂されており、626 曲しか作曲された訳ではない。また遺失した曲もあるというのは番組でも触れられていた)に合わせて 626 枚の CD を置いたというのはよく分からない演出だった。多作なら J.S. バッハも負けてはいない。こちらの作品番号は 1087 まである。小学館のバッハ全集は全 15 巻、CD 156 枚に全ての作品とその周辺を網羅しているとされる。図書館にあったのでせっせと借りては mp3 圧縮をし、5.2GB の DVD-RAM 僅か 3 枚(正確には 2 枚半)に収めたということは以前書いた。9.4GB の DVD-RAM ならば 2 枚に収まるだろう。さらにブルーレイ・ディスクなら 1 枚でかなり余ってしまう。そういう技術の進歩を間近に見ている私には、「なぜ CD 626 枚か」と疑問が沸いたのである。一方、1 万枚にも及ぶというスコアを積み重ねたのは正確な演出だった。
さあ、一番驚いたのは最後の古楽器による演奏である。クラシック・ファンではない人に説明すると、古楽器演奏は 70 年代頃から始められた比較的新しい演奏形態である。古楽器とは作曲家が生存していた当時の楽器であり、断続的に改良が加えられてきた現代楽器とはかなり構造や音質が異なる。またオーケストラも、現代の 100 人規模ではなく、20 人足らずという構成をとり、最大限当時の音質を再現しようと試みている。J.S. バッハでは既に古楽器演奏が通常である。モーツァルトの頃になると、ジョン・エリオット・ガーディナーやニコラウス・アーノンクール、クリストファー・ホグウッドなどによる古楽器演奏に加えて、現代楽器・現代オーケストラによる演奏が次第に多くなってくる。ベートーヴェンの頃になるとさらに現代楽器による演奏形態が増え、過半数となる。それ以降の作曲家についても古楽器演奏があるが、かなり数は減る。ヴァーグナー、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどロマン派後期になると現代楽器とほとんど変わらないため、古楽器演奏はほとんど行われない。
私は古楽器演奏よりも現代楽器演奏の方が好きである。古楽器の場合、前述の音楽家たちなどによってほぼスタンダードな演奏が確立されていると考えられるが、オーケストラの質としては、世界最高のオーケストラであるヴィーン・フィルやベルリン・フィルにはかなわないと言っていいだろう。だから私は古楽器という演奏形態は重要なものだと認めるが、普段聴く分には、現代オーケストラの方をお奨めする。何と言っても歴史が違う。ヴィーン・フィルやベルリン・フィルは 100 年以上もモーツァルトを演奏してきたのである。高々 20〜30 年ぐらいの古楽器オーケストラとは格が違う。
古楽器の音もそれなりに聴いてきたつもりの私だったが、ピアノ協奏曲第 20 番 K.466 第 1 楽章の冒頭には正直面食らった。ストリングズは張力の弱い古いヴァイオリンで構成されている上に数が少ないので、全然音質が違う。「何だこの弱々しく不安定な音色は」。現代オーケストラのストリングズは白く透き通った音色に聞こえるが、今回の古楽器ストリングズは茶色いヴァイオリンの音が生で聞こえる。これは異様だったが、発見だった。カデンツァ(ポップスのギター・ソロ、アド・リブに相当する。ポップスの技法のほとんどはクラシックに由来している)がかなり短かったが、古楽器の変わった音色を楽しむのが目的なので、問題ないだろう。こうした場合、えてして楽章の一部しか演奏されないことが普通だが、第 1 楽章全体を放送したのは良かった。
才能に溢れ、努力をしなくても成果が上がっていると見える人に対してよく「天才」という形容が用いられることがある。以前も触れたが、田原総一朗は「天才はほっておいても出てくる」と言っていた。私は真っ向から反駁したい。努力のない才能なし。教育は本当に大切である。教育者としても名高かった父から英才教育を受けなければ、神童は生まれなかった。これは断言できる。
モーツァルトは頭の中で既に曲が出来上がっており、後は譜面に表すだけだったということがよく言われる。私も同感である。モーツァルトの音楽というのは、具体的な表現が難しいが、同時代のハイドンやベートーヴェンと比較しても、何か完璧な構成というものを感じる。起承転結が完全に構成されているとでも言おうか。ハイドンの場合、どうもやや無理をして引き伸ばしているような印象を受けることがあるが、モーツァルトにはそれがない。ソナタ形式の展開部・再現部における転調一つ取っても、他の作曲家と同じく全く型通りに行われているにもかかわらず、この一音しかない、一音たりとも動かせないというような、人知を超えた神の言葉、律法にも似たような不動性を感じる。それが天上の音楽とか宇宙的と評される所以だろう。
その完全性に加えて、これはハイドンの言葉だが、「良い趣味をしている」。これも具体的な表現は難しいのだが、ベートーヴェンがミケランジェロなら、モーツァルトはラファエロに相当する。致命的な身体障害の中、あらぶる不屈の魂でがつがつと彫刻のように作品を築き上げていったベートーヴェンの音楽には、上品さがあまりない。モーツァルトは音楽家が宮廷を離れ、一般市民へと聴衆を移行する過渡期にある作曲家で、ベートーヴェンの頃には対象は完全に一般市民となった。だから宮廷的上品さとは無縁であっても何も困ることはない。一方、音楽史を遡ると、ヘンデルは完全に宮廷的だが、ポリフォニーのバロック音楽であるため、現代人の我々には取り付きにくい。ハイドンやモーツァルトはホモフォニー(現代のポップスもこれ)の音楽でありながら、宮廷らしさを音に残した最後の作曲家だった。ハイドンの音楽性は農家出身であることと関係があるとよく言われる。宮廷的であるから決して下品ではないが、生まれた頃からヨーロッパの宮廷中を旅して各国の良質な音楽をその超人的な記憶力で吸収していったモーツァルトと比較して、やや泥臭い印象を受ける。
モーツァルトを振り返る時、私はいつもラファエロのことを想い出す。共に享楽的な性格で、人生を楽しみ、女性を愛し、夭折した天才である。レオナルドの精確性やミケランジェロの巌のような作品と比較して、ラファエロの作品は、特に聖母像に顕著に現れているが、何とも言えない優美さを感じる。それはモーツァルトの「趣味の良さ」と共通するものである。ラファエロはモーツァルトと同様に後世の模範とされたが、結局誰もラファエロには到達できなかった。それはモーツァルトについても同様である。
さて、モーツァルトにはあまりにも名曲が多く、選ぶのが苦しい中で 1 曲紹介しよう。
ダニエル・バレンボイム指揮・ピアノ、ベルリン・フィル。静かに緩やかにほのぼのと始まる冒頭も好きだが、特に 6:45 ごろから始まるトゥッティ(全楽合奏)が素晴らしい。この高揚感!思わずリキが入る。なぜ入るのか、久し振りにスコアを詳しく見ながら聴いたが、私にはよく分からない。多くの分析があるだろうが、本当のことはモーツァルト自身にしか分からないかもしれない。ひょっとしたら、モーツァルト自身にも分からないかもしれない。
モーツァルト・オペラの最高傑作は『魔笛』である。ベートーヴェンもそういう評価である。モーツァルト好きの中では、『フィガロ』がいい、いや『ジョヴァンニ』がいい、『魔笛』は構成がおかしいなどと人によって好みは様々だが、私はいかなる欠点をあげつらわれようとも、『魔笛』で明確に描かれている自由・平等(無階級社会)・博愛の啓蒙思想・フリーメイソン思想こそ、後代にいつまでも語り継がれなければならないと考える。『フィガロ』『ジョヴァンニ』『コシ』では単に貴族への嘲笑がテーマでしかなく、貴族ではない作者たちの階級社会に対する一杯飲み屋での愚痴にも近いものだが、『魔笛』ではそれが思想的に体系化され、おとぎ話の姿を借りて、来るべき未来の理想社会への憧れが描かれている。21 世紀に生きる我々には、自由・平等・博愛など当たり前の社会概念ではないかと軽く考えてしまうが、そこに至る過程では無数の一般市民の忍耐と努力と研鑽があったことを忘れてはならない。
なお『魔笛』のスコアでは、異国情緒を醸し出すためにタミーノの衣裳として狩衣と指定されているのは、我々日本人にとって親近感が沸く。実際の演出では、本物の狩衣が着用されるとおかし過ぎるので、映画『STAR WARS』でも用いられたように、柔道着風の衣裳が多いようである。
では『魔笛』からこれは外せないという 3 曲。まずパパゲーノが登場する時のアリア。パパゲーノは山奥で鳥を捕まえては夜の女王に売ることで生計を立てている。民謡風の旋律で、シカネーダーにも歌えるような易しい歌だが、モーツァルトは臨終間近い病床でこのアリアを口ずさんでいたという。よほど気に入っていたのだろう。
続いて夜の女王のアリア。夜の女王は『ヤッターマン』のドロンジョ様のようなものだと思えばよい。「サラストロをやっておしまい!」というようなことを歌っている。曲中で延々アアアアアアと歌い上げる部分があるが、これは歌手の技量を誇示するためのものである。それ以外の意味は特にない。これを聴くと、よくポップスで 7 オクターヴの音域がどうのという歌手がいるが、いかにクラシック歌手の技巧が卓越しているかが分かる。
最後にパパゲーノがパパゲーナと再開する場面。パパゲーノにパパゲーナと、人をばかにしたような滑稽なネイミングだが、オペラ全体を見渡すと、なるほどこのような名前がふさわしいと思えてくる。冒頭のアリアで、既にパパゲーノは女性への憧れを歌っていたが、最愛のパパゲーナと離れ離れになって、一時は自決を決意する。「こんな世の中なんかもう嫌だ。3 つ数えるぞ。止めるなら今のうちだ。1、2、… 3 …誰もいないのか。やっぱり死のう」そこへ妖精のような少年たちが現れる。「人生は一度しかないんだよ!君には魔法の鈴があるじゃない!それを鳴らせば、パパゲーナと逢えるよ!」「なんてことだ、おいらはすっかり忘れていた!さっそく鳴らすぞ!」するとパパゲーナが現れた。再会した二人は、お互いの名前を呼ぼうとするが、感激で声にならない。「パ、パ、パ…パパゲーナ!パパゲーノ!」このアリアを聴くと、先のネイミングの必然性が明らかになる。共にパから始まり、そして似たような名前でなければ、この二重唱は成立しない。「パパゲーナ!パパゲーノ!おいらはお前のものだ!お前はおいらのものだ!子供を授かったら、どんなに素晴らしいことだろう。まずはちっちゃなパパゲーノ!次はちっちゃなパパゲーナ!お次はちっちゃなパパゲーノ!その次はちっちゃなパパゲーナ!パパゲーノ!パパゲーナ!」
徹底的に宮廷的で、硬派で、美しくパミーナへの愛を歌い上げるタミーノだが、音楽的に素晴らしいにもかかわらず、私はタミーノのアリアにはちっとも感じるものがない。対照的に、深く感じ入るのはパパゲーノである。この二重唱を改めて聴いて、涙が止まらなくなった。徹底的に世俗的で、軟派で、恥じらいを知らず愛を歌い上げるパパゲーノの、小さく可愛らしい幸福感に強く打たれた。私にとってのパパゲーナが現れるのはいつの日か…
番組でも触れられていたように、30 歳を過ぎた後のモーツァルトは、音楽的により高度に熟成されてきたにもかかわらず、ヴィーンでの人気は下火になっていった。既に宮廷音楽家ではなく、定給がなかったモーツァルトは生活に困窮し、この頃の手紙は金の無心ばかりである。加えて体も蝕まれていった。そういう彼が最後の栄光を浴びたのは『魔笛』の成功である。初日はそこそこだったようだが、口コミで広がっていったのだろう、徐々に大盛況となった。番組や映画でも取り上げられたように、モーツァルトには盛大な葬式など行われず、遺体はホームレスなどと共に適当に埋葬され、未だに遺骨の位置を確認できないという惨めな最期だったが、『魔笛』の高い評判は、神童として始まった彼の短い人生を締めくくる最後の聖なる光だったと言えるだろう。最晩年の手紙を引用して終わりたい。
1791 年 10 月 8・9 日
最愛、最上の妻よ!
オペラから帰ったらお前の手紙を見つけたので、とても楽しく嬉しい気持だった。オペラは、土曜日はいつでも郵便日でだめな日なのに、大入り満員で、例によって喝采とアンコールのうちに上演された。明日も上演されるが、月曜日は休み。だからズュースマイアーがシュトルを連れて来るのは、あらためて第一回の公演が行なわれる火曜日になる。第一回の、というのは、多分また何度かつづけて上演されるだろうからだ。
今ちょうど高価な蝶鮫をひと切れ平らげたところだ。これはプリームス(ぼくの忠実な従者)が持って来てくれたものだが、今日は食欲が旺盛なので、できたらもっと何かもって来るようにと言って、また出してやった。その間に、こうしてお前に書きつづけている。今日は朝早くからせっせと作曲をしたので、一時半になってしまい、大急ぎでホーファーのところへ(ひとりぼっちで食事をしたくないばかりに)行ったら、ママにも会った。食事のあと、すぐまた家へ帰って、オペラの時間まで書いた。ロイトゲープから、また連れて行ってくれと頼まれたので、そうしてやった。明日はママを案内する。ママは台本をもうホーファーから渡されて読んでいる。ママの場合は、オペラを聴くというよりは、観るというべきだろう。今日は --- たちがボックスを取っていて、--- たちは何にでも大いに喝采をしていたが、例の物識り先生はあんまりバイアーン人ぶりを発揮するものだから、ぼくはその場にいたたまれなくなった。それ以上いたら、馬鹿野郎と言ってしまったろう。運わるく、ちょうど第二幕が始まった時、つまり厳粛な場面の時に、ぼくがそこにいた。あいつは何でも嘲笑った。初めのうちはぼくも我慢をして、二、三のせりふに注意させようとしたが、あいつは何でも馬鹿にするので、とうとうぼくも我慢ができなくなり、パパゲーノめ、と言ってやって、そこを出た。しかし、あのとんちき野郎には、その意味が分からなかったと思う。そこで今度はフランム夫妻のいる別なボックスに行った。そこではいろいろ楽しいことがあったので、最後までいた。ただパパゲーノがグロッケンシュピール付きでアーリアを歌う時だけ、舞台に上った――今日は自分であれをやってみたくてしようがなかったのだ。そこでぼくはいたずらをして、シカネーダーがちょっと休むところで、アルペッジョを鳴らしてやった。奴は驚いて、舞台裏を見て、ぼくを見つけた。二度目の時は、ぼくはそれをやらなかった。すると奴は休んでしまって、もう先へ進もうとしない。ぼくには奴の考えていることが分かったので、また和音を鳴らしてやった。すると奴さん、グロッケンシュピールを叩いて、黙ってろ、と言ったので、みんなが笑った。多くの人にはこのいたずらで初めて、あいつが自分で楽器を打っているのではないことが、分かったと思う。ともかく、オーケストラの近くのボックスで聴く音楽がどんなに魅力のあるものか、お前には信じられないだろう。天井桟敷で聴くより、ずっといい。お前が帰ってきたら、さっそく験してみるといい。――
35 歳でもこのいたずら好き。いかにもモーツァルトである。
モーツァルト最後の手紙。1791 年 10 月 14・15 日。死の 50 日前。
きのう十三日の木曜日に、ホーファーとぼくがカールのところへ行き、みんなで外で食事をし、それからぼくたちは町へ帰り、六時にぼくがサリエーリとカヴァリエーリを馬車で迎えに行き、二人をボックスに案内した。それから、その間ホーファーの家に待たせておいたママとカールを、急いで迎えに行った。二人ともどんなに愛想がよかったか、お前には信じられないだろう。ぼくの音楽だけではなく、台本も、何もかもひっくるめて、二人は大いに気に入った。これこそオペラというものだ――どんなに大きな祝祭にでも、どんなに偉い君主の前でも上演される値打ちがある――こんなに美しい、こんなに気持ちのいい出し物は見たことがないから、これからもきっと何度も何度も観に来るだろう――などと、言っていた。サリエーリはシンフォニアから最後の合唱まで、とても熱心に聴きもし観もしていたが、あの人の口から「ブラヴォー」とか「きれいだ」とかという言葉を誘い出さない部分は、ひとつもなかった。二人はこちらの好意に対して、いくら礼を言っても言いきれない様子だった。きのうもずっとオペラへ来るつもりだったが、四時には入って座っていなければならないので―今日はおかげでゆっくりと観たり聴いたりさせてもらった、と言う。