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心を伝える[d1] 

 

先日、ある会社に用事があって出かけ、応接室で待っていると、娘さんがお茶を入れてくださいました。[d2] 

 

「どうぞ。」とお茶を私の前に置いたときに、娘さんは一寸首をかしげるようにして、

「少し熱いですが。」

と言い添えました。[d3] 

 

 私はその言葉をとても美しく聞いて、お茶を美味しくいただいたわけですが、この言葉は、その人の優しさ、敬語というような決められた言葉の美しさとは違う心の美しさの表れたもので、私のことを気遣う[d4] 心の言葉ということになるでしょう。

 

 言葉には、意思を伝えたり用事を果たし[d5] たりして実用的に使われる場合と、心を伝える言葉として使われる場合と、大きく分けてこの二つの使い方があるといえるでしょう。

 

 例えばたぱこを買うとき、その用事を果たすための言葉は、「マイルト•セブンを一つ。」と言えばよいわけです。駅のホームなどでは、みんなこうした買い方をして、お金を渡しています。

 

 駅の売店に勤めているA子さんが、こんなことを言いました。

「わたし、この仕事につくとき、お客様には、出来るだけ親切にしてあげようと決めたのですよ。でも、いざ店に立ってみると、『ありがとうございます。』などと丁寧に言っている暇はありません。『はい。』と言って次々に早く品物を渡し、お釣りを出してあげるのが、一番の親切だということが分かりました。だって、みんな大急ぎで電車に飛び乗っていくのですもの。」

 

 A子さんの言う通り、駅の買い物はみんな大急ぎ。それで言葉も実用だけで簡潔に済ますことが、使い方としてふさわしいのです。でも、ふだんいつも、こうした実用だけの言葉で済ますとしたら、寂しい[d6] 思いになることでしょう。

 

「どうぞお茶を。」というときの「どうぞ」は実用ではなく、「お茶。」「ご飯。」というだけで差し出したとしたら、お客様は、美味しくいただく気にはならないでしょう。

 

食事も飢えをしのぐだけならば、料理を工夫する必要もなく、お皿の数もいりません。[d7] じゃがいもはいつもゆでたまま、まるごとかじればいいということになります。着るものも体を覆う用を足すだけでよければ、美しい柄も色も余分なものとなってしまいます。

 

でも、それだけでは、寂しすぎる。寂しさに耐えられないのが人間のよさであり、人間は、寂しさを慰めるために、さまざまな美しいもの、楽しいものを作り出しているのです。芸術というものが、一面贅沢品[d8] のように思われながら、高く評価されているのは、それが、実用だけでは生きられない人間の心を慰め、喜びを与えるために作られているからでしょう。

 

朝起きて、「おはよう。」と言う言葉。それはたいした意味もない言葉と思われますが、その挨拶があって一日が始まります。前日に、もし喧嘩などをして気まずいことがあったとしても、「おはよう。」と声をかけ合うことでおたがいのこころがまた近づきます。言葉の美しさとは、話し手の心の動きの優しさを感じさせることをいうのでしょう。「さようなら。」のあとにつける「お大事に。[d9] 」「お気をつけて。」なども心の言葉です。そういう言葉がつくと、「さようなら。」もまたさらに美しくなります。「今日は良いお天気ですね。」「お寒くなりましたね。」のような挨拶の言葉も私は大好きなのですけれど、それも、お互いに心を交し合い、生きていることをいたわり[d10] 励まし合う心の言葉であるからでしょう。

 

そして、こうした言葉を交わし合うのは、お互いに相手の存在を認め合うという意味でもあります。もし一日、誰からも話し掛けられず、まただれにも声をかけることもなく終わったとしたら、その日自分はいないのと同じ、ということになるのではないでしょうか。

 

の庭に四、五日前、赤い椿[d11] が三輪咲きました。私は、それを茶の間から見、見ただけでは済まなくて、

「まあ、椿が咲いたわ。」

とひとりごとを言ってみました。

 

そうして口に出してはじめて、椿の咲いたことが、実感となって胸に伝わってきます。でも、まだそれだけでは気が済まなくて、娘に声を掛けました。そして、「ほんと!きれいね。」と言う娘の言葉を聞いて、花の咲いたことがまたいっそう楽しいものに思われてきたのです。

 

言葉とは本当に不思議。私達の日常は、実用的な言葉のやり取りよりもむしろ、こうしたちょっとした会話の方がずっと多く、そうした言葉に支えられながら、私達は生きているのでしょう。(高田敏子[d12] 


 [d1]心靈交流;感情交流;傳遞心靈感受。

 [d2]前陣子有事前往某公司,在會客室等候時,小姐幫我倒茶。

 [d3]「請用茶!」當小姐把茶端放在我的面前的時候,她躊躇一下點了點頭,補充著:「還有點燙喲!」

 [d4](きづかう):關切、關懷。

 [d5]完成事情;完成了事。

 [d6]寂寞、寂寥、孤單、單調、索然無味。

 [d7]喻毋須使用許多碗盤。

 [d8](ぜいたくひん):豪華奢侈品。

 [d9]請保重。

 [d10]原形是:労わる。慰勞、照拂、慰藉。

 [d11](つばき):茶花。

 [d12]1914年東京出生,詩人。