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法 と は 何 か


の目標は平和であり、それに達する手段は闘争である。法が不法からの侵 害にそなえなければならないかぎり―しかもこのことはこの世のあるかぎり 続くであろう―、法は闘争なしではすまない。法の生命は闘争である。それ は、国民の、国家権力の、階級の、個人の闘争である 。

世界中の一切の法は闘いとられたものであり、すべての重要な法規は先ずこ れを否定する者の手から奪いとられねばならなかった。国民の権利の前提は、いつなんどきでもそれを主張する用意があるということである。法は単なる 思想ではなくて、生きた力である。だから、正義の女神は、一方の手には権 利をはかる秤(はかり)をもち、他方の手には権利を主張するための剣を握っているのである。秤のない剣は裸の暴力であり、剣のない秤は法の無力を意味する。秤と剣は相互依存し、正義の女神の剣をふるう力と、その秤をあつかう技術( わざ) とが均衡するところにのみ、完全な法律状態が存在する。

法とは不断の努力である。しかも、たんに国家権力の努力であるだけでな く、すべての国民の努力である。 ( イエーリング『権利のための闘争』)