佐賀大アイスホッケー部の皆さん
ご迷惑をおかけしました。
まず、佐賀大学アイスホッケー部の皆さんそしてOB&OGの皆さん本当にお世話になりました。しかし、まことに恥ずかしながら、私あの日の夜の記憶はまったくといっていいほどありません。
私が日本に帰国してまもなく、兄貴から一本の電話がありました。
「あ、耕造。俺やけど今度の週末佐賀大で学園祭があるって。だきこん?」
もちろん私は即答で
「いいばい!」
しかーーーし、こんな無残な結末になるとは・・・・・・・・・
それは、佐賀大の学園祭2日目の夜のことだった。 その日の午前中は別に何もすることもなく兄貴たちの住んでいる部屋でごろごろ本を読みながらしていた。金も大して持っているわけでもなく、朝飯も食わずに昼飯もなんか部屋にあったカップラーメンを食ったのかさえも今は覚えていない。 しかし、僕は知っていた。 学園祭の最後の夜はだいたい飲み会だろうと。 それだけを楽しみに昼からのこのこと佐賀大アイスホッケー部のテントに出て行った。
その日の夜は、学園祭最後の夜とのこともあってすべてのサークルのテントで飲み会が始まった。例にもれずアイスホッケー部のテントでも始まりだした。 はじめのうちは、静かに隅っこのほうで飲んでいた僕であったが、何やテントの真中でゲームが始まりだした。 まあ、それでも僕はシレーっとした感じで飲んでいたが・・・・・・・・
お呼びがかかってしまった・・・・・・・(反面かなり、うれしかった)
「オイ、弟、弟、こい、こい!!!!」
「来た、来た、きたぁぁぁぁぁ!!!!」
と、心の中で思いながらおもむろにその宴に加わりゲームをはじめた。
やはり、飲み会のゲームといえば、古今東西やそれらしいゲームがある。 そのときは、なにやら古今東西県の名前などがあっていたような気がする。
開始、20分くらいしてなんだか自分の体の変化に気がついてきた。
「うぅぅぅん、何かからだがおかしくないかい??」
しかし、そう思っている間に先輩たちがマネージャーたちを呼び始めた。それを聞いた僕は、
「まあ、まあ、これからやないかぁぁ!!」
と、自分に言い聞かせながらまたゲームに戻った。
それが、どういうことだろう。やはり、すきっ腹に焼酎はかなり効く。しゃれにならないほど効いてきた。はっきり言って何も感じない程度まで行ってしまっていた。
そこらあたりから、記憶がすごくあいまいになってきた。多分、かなありそそおの連発だったのだろう。そのとき、聞こえていたのは、
「ソソオ、ソソオ、ソソオ・・・・・・!!!!!!」
「弟、おとうと、オトウト・・・・・・・・・・!!!!!!!」
最後に僕が見たのは僕の手元に持ってこられている焼酎の注がれた2つのコップだった・・・・・・
それからは、まったく記憶がない。
話によると、そのまま前にぶっ倒れ、地面に激突!!!!
そして、左眼の上の眉毛のあたりを缶か何かにぶつけ出血していた。らしい・・・・・・・
それから、ぼくの止血をするためにOGの人が呼ばれ、懐中電灯で照らされ暗がりで手当てされていたそうだ。
しかし、それからあともしばらく飲んでいたらしい。しかし、まったく記憶にない。
次の日起きてみると、アイスホッケー部のテントの中だった。僕の目の前には、誰の皮からないが足が転がっていた。
そして、左眼があきにくかった・・・・・・
左眼のとこは、喧嘩で殴られたように黒く青たんができていた。 鏡で、みてみると眉毛の上に1センチ弱の切れ目が。
その日一日は、体がぜんぜん言うことを聞いてくれなかった。帰って、風呂にでも入りたかったが、めちゃめちゃ気分がだるく、腹が減っているが、ぜんぜん食べる気がしなかった。 それでも、腹が減っていたのでローソンになんか買い物に行くとまるで、食べたいものがない。仕方なく、ピラフおにぎりをかい外で食べたが、食べては吐き、食べては吐きしして最悪だった。そんな時、オヤジから携帯に電話が入った。
「ああ、耕造かい?明々後日くらいに、田植えをするき帰って来い」
「(まぁぁ〜〜〜じ!!!!!)」
それでも、やはり断りきれなかった僕は、げろを吐きながら、
「うん、いい、ウプッ、ばい。ウププッ」
そんなときに限って、親父の話は長かった。
そんなこんなで、ついにローソンの横で寝てしまった。しかも、げろを吐きながら。店員の人に起こされてやっとの思いでまた、テントまで戻った。
終わり!!!!
佐賀大学アイスホッケー部の皆さん、あの日は本当にお世話になりました。特に、マネージャーさんとUさん。Uさんにつきましてはトイレに2,3分にわたって付き合ってくれて有り難うございました。(まったく記憶にありませんが。)
また、今度、アメリカに帰る前に佐賀のほうに顔を出したいと思いますので、そのときはよろしくお願いします。